バイオレンス

先日、年の離れた友人とお茶をした。
友人の子は軽い発達障害のけがあり、学校を行ったり行かなかったり……といった状態だった。

ただ友人は、それを理由にして欲しくない、とその診断を子に伝えてはいなかった。

私の兄もまた、そのような人間であった。
時はもう随分昔に遡る。

兄に対する違和感で1番幼い記憶は、兄が小学生に上がった頃だった。
兄はやや内弁慶だけれど、基本的に優しく、私はしょっちゅう喧嘩をしていたけど血を分けたたった一人の兄妹だった。

兄が小学生に上がり、定刻に家を出て、学校で勉強し、帰ってくる、という生活をし始めるとたびたび激しい癇癪を起こすようになった。
いや、それ以前も起こしていたのかもしれないが、私が覚えていないだけだろうか。

きっかけは靴下が肌に触れる感覚が嫌だとか、ズボンのゴムの締めつけが嫌だとか、そういう事で、何が彼をそこまで激しくさせるのか、と当時はわけが分からずにいた。

そして兄妹喧嘩も激しさを増した。
私は負けん気が強く口が達者だったため、兄は私に勝つためには手を出す他なかった。

朝から晩まで喧嘩をしては父親に頭を掴まれて、2人のおでこをごっちんとさせられた。どう考えても兄の頭の方が硬いのに、理不尽だ!と泣いた。

兄に対し何が逆鱗に触れるのか分からず、危険な動物と暮らしてるかのような生活が気付いたら維持されていた。

私は正直そこそこに利口な子供だったので、兄がこう言っていたからこうしたのに!と思う事が多々あったし、それを口に出すと殴られた。

兄が小学校高学年になった頃、我が家にパソコンがきた。
兄はそれでその時流行っていたネットゲームをしていた。

調子がいい時は、兄は本当に優しい子供だった。他人を思いやれる子だったし、人に親切に出来る子だった。(むしろその辺に関しては私の方がドライな性質だったかもしれない)

ただ、このネットゲームにハマることで兄は癇癪を益々大きくさせるようになった。

おそらく兄の友人たちの間で流行っていたこのネットゲームは、それこそ友人間のカーストを決めるくらい大きな物だったかもしれない。
小学生なんてそんなものだと思うが。

兄はひと際自制心が無かったため、親はゲームに制限時間を設けたがそれはさらさら守られなかった。
親の目が厳しくなると私に代わりにレベル上げをしろ、と言い、ひたすらレベル上げをさせられた。

そして兄のゲームに対する執着はますます酷くなっていった。この辺は正直、毎日泣いていたし常に空想と漫画の世界に逃避していたため記憶がぼやけている。

兄はお小遣いすべてをゲームに課金していた。
そして私のお小遣いも巻き上げるようになった。多分親の金も盗んでた。
 
学校に行ったり行かなかったり、そして夜遅くまでネットゲームばかりやり、親が何かをいうと癇癪を起こし、父親の前でだけは大人しくなっていた兄だがその反動はすべて私、そして母親に向けられていた。
兄はだんだんと激しさを増していき、母親が父親がいない所で兄を止めようとすると兄は包丁を持ち出した。
そして訳の分からないことを言いながら部屋中の壁やタンスを切り刻むのだ。
父親は長距離トラックの運転手をしていたので、家にいる時間が少なかったし、兄もそれを分かっていたのだろう。
母親がパートに出て家にいない時間、今でも鮮明に覚えている。

当時私は小学一年生のころからずっと少女漫画雑誌の「ちゃお」を買っていた。

いつもの兄の癇癪や脅しを聞き流し、(この時は兄に2、3発殴られるのは日常だったのでそれくらいでお小遣いをとられずに済むなら安いものだと思っていた)無視してテレビを見る。

兄は静かに私に近づき、首元に包丁を突きつけた。
要約すると「お金よこせ」と。
しかし私はその時大してお金も持っていない。
「もう使っちゃったから残っていない」と話すと「ちゃお買う金あるだろ」と言われた。

私は毎月絶対に欠かさずちゃおを買っていたので、絶対にお金を渡したくなかった。首元に突きつけられた包丁に力が込められる。

首に触れる包丁が冷たい。殺されると思った。力では敵わない。少し動いたら包丁が私の首の薄い皮を切り裂くだろう。抵抗し兄を殴っておさえつけるか?そんなこと成功するだろうか。そんな状況であればあるほど、頭は芯から冷えて、冷静に働く。
私は大好きな漫画で、こういった場面ほど落ち着いて、何事もないように振る舞わねばならない、と知っていた。

「もらってないよ、パパがちゃお、買ってきてくれるって言ってたから」
声が少し震える。普通の態度を心がける。小学校まだ中学年の私。
この時の自分を思い出すと惨めで、この文章を書いている今も涙が出る。 

嘘ついてないだろうな、と兄は私から包丁を突き離し、一発蹴りをいれるとどこかへ行ってしまった。

兄に見つかったら今度こそ殺される。声を殺して学習机のしたに小さくなって泣いた。首にはまだ包丁の冷たさが残ってる。

今思うと兄は私を殺す度胸なんて無かっただろうし、そんなつもりなんて無かったかもしれない。けれど私は本当に兄は私を殺すと思った。
そこに理由なんてない。
兄はおかしいからだ。

部屋中が獣が暴れた跡みたいにいつもぐちゃぐちゃだった。ありとあらゆるものが傷つけられ壊され、飼っていた犬と兄にとって大切なもの以外、私の目線からはすべてがめちゃくちゃに見えた。

両親はそんな兄に悩み、頭を抱えた。
一緒に住んでいた祖父母も同じだった。

学校からは特別学級に行くことを勧められたが、それは断ったようだった。
(当時特別学級に行くような生徒は明らかな発達障害やダウン症の子くらいだった)

当時の幼い私からは見えない、色々な葛藤が両親にもあったであろうし、苦労もあっただろうし、大変な事もあっただろう。

母親は熱心にネトゲ廃人となった人の話をネットで読んだり、本を買ったりしていた。

父は少しづつ家に寄り付かなくなった。

もう寺に預けよう、と大昔、寺に預けられていた祖父が提案した。

両親は長く悩んでいたが、兄が中学生に上がる頃、兄のネットゲームに対する執着や激烈な癇癪は嵐の後のように落ち着いた。

それでも時たま私はみぞおちを殴られ、一人で泣いていた。常に殴られていると慣れるけど、時々やられるとダメージがすごい。

兄は中学に上がるのをきっかけに学校に行くようになったがそこでまた問題を起こし、学校に行かなくなったりしたのだけど、私は当時を思い出してもやはり兄に対する解像度はすごく低く、たいして思い出せない。

途中から所謂不良になった兄は学校にも行かなければ、うちにも帰ってこなかったので、私はつかの間の平穏を得たのだった。


友人に兄と私の話をすると、そんな環境でもこうして立派に育ったあなたから勇気が貰える、と言われた。

確かに人生で、首に包丁を突きつけられる経験をすることも中々ないだろう。
私は大抵のことでは動じない人間になった。

兄と過ごした幼少期は私にとっての修行期間だったのだ。心を強くするための、この辛く厳しい人間社会で生き抜いていくための。

そう思うと、不思議と兄に対する憎しみも怒りも湧いてこない。

今はただ、誰にも何も言えず相談できず、一人で耐え忍んだ幼い自分をつよく抱きしめてあげたいと思う。

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