中年おばさんの履歴

50歳近くなったおばさんの話。ニュースの話しを書こうかと思ったけど、方向転換しました。

中年おばさんの履歴

50歳近くなったおばさんの話。ニュースの話しを書こうかと思ったけど、方向転換しました。

最近の記事

私は賢い女です(爆)…の巻

「あなたは聡明な方ですね。」 そんなことを言われたことがありますか?みなさん。 あたしゃ、そんなことを言われたことがなかったので、帰りのエレベーターの中で検索してしまいましたよ。 「周囲の様子をしっかりと見聞きして理解・判断できる人」 聡明とは「頭がさえ、理解力があって(人格にすぐれ)かしこいこと」 ですって。 ええええええええええ!? 何かの間違いなんじゃないの? 私の記事を読んでもらったら分かるように、考えもなしに買い物をして、借金まみれで、出てくる言葉は

    • たかが100円、されど100円…の巻

      体調はだいぶ良くなりました。結局、更年期なのではないかという結論に。内科の先生が「婦人科も行ったらいいよ」とおっしゃいました。 しかし、わたくしの小遣いは、病院代でほぼ終わってしまうわけで、婦人科に行ってる場合じゃねーんだわ。 ということで、のん気に寝っ転がっていたら、「あーた、今月、電気代を支払わなきゃ、電気を止めますぞ」という、黄色と赤のハガキが届きましたの。 そこで、左手が使えなくても日払いで働ける仕事を探していたら、 ポスティングのバイトを紹介していただきまし

      • え?どこの病院に行けばいいの?…の巻

        愛も変わらず、じゃなくて相も変わらずマイナス思考全開、マッハでネガティブなお話なので、元気になりたい方は、そっと閉じてね。 熱が出て布団の上にへばりついている私です。PCR検査を2回受けて6600円飛んでいったBBAです。 結局、陰性でした。陰性の場合、検査代は有料とのことで「はーい、分かりました。」と、電話で答えたのですが、休職中の私にとって、6600円は6万円くらい飛んでいった感覚で、何度もアプリで口座の残高を確認したのですが、6600円が飛んでいった事実は変わりませ

        • 都会ってすごいのね②…の巻

          大阪に出てきてびっくりしたのは、缶拾いのおじさんがうじゃうじゃいることと、古紙回収の日はトラックがウロウロしていることでした。 私が住んでいた田舎では缶拾いのおじさんなんて見たことがありません。結婚してから県庁所在地の市に引っ越しましたが、そこでもそんなおじさんは見たことがありませんでした。 今は分からないですが、確か、缶とビンの日は月に1回だったような気がします。そして、月番の人と世話好きのおじさん達が収集日に立っていたので、缶を取って行くことが不可能であることも理由の

        私は賢い女です(爆)…の巻

          都会ってすごいのね①…の巻

          離婚してから、少しの期間、地元で暮らしていましたが、本来は父親に「地元から出ていけ」と言われておりましたので、大阪市へ引っ越しました。 私は、ど田舎で育ってきましたから、大阪市に引っ越してきたとき、本当にカルチャーショックでした。 トラック運転手をしていた時に、週5回大阪には来ていましたが、夜中から早朝に大阪で荷卸してすぐに帰ってましたので、本当の大阪を知りませんでした。 まず、駅の自転車置き場が有料であることにびっくりです。駅の隣にある自転車置き場なんて1日150円で

          都会ってすごいのね①…の巻

          アイドルが生きがい…の巻き

          ネガティブな話を書いてきましたので、今日は箸休めとしましょうか。と思ったのですが、全然楽しい話が浮かんでこない私は、いったい50年近く生きてきて何をやってたんですかね? ここからかなりの長文になります。お暇な方だけ呼んでください、まちごうた、呼ばれても私は行けないわ、読んでください。呼ばれて飛んでこられても、読者の皆さんは困りますよね?知らんけど。 本文はここから 何ごともマイナス思考だらけの私が元気に生きてこられた理由の一つに「嵐」の存在があったんです。 これまたね

          アイドルが生きがい…の巻き

          結局、うまくいかない…の巻き

          (まっさかさ〜ま〜に堕ちてdesire♪←古い歌で申し訳ない。私の黒歴史の中で1番くら〜い内容でございます。心が元気になりたい方はご退場をおすすめいたします。) 今日のお話しはここから 子供が生まれて、それはそれは幸せな気持ちになりました。 しかし、退院してからが大変でした。彼は一度仕事に行くと3日ぐらい帰ってきません。帰ってきても疲れ果てて寝ています。それでも同僚から連絡があれば、飲みに出かけます。 こちらは育児で寝不足だし、借金のために子供を託児所に預け、昼間は訪

          結局、うまくいかない…の巻き

          私の職歴、その3…の巻

          (相変わらず、くらーい内容&作文でございます。明るい内容をお読みになりたい方はご退場いただきますとありがたいです。) なんの資格も経験もなしに介護助手の仕事を選んだ私。 それはもう私の中になかった世界が広がっていました。流れ作業のようにおむつ交換、お風呂介助、食事介助が待ち受けていました。 なにも言葉を発することができないご老人が、ただただベッドで横になっており、拘縮した手足で指一本さえ動かせず、鼻に管を通されておりました。 ポータブルトイレに移動できる方でも認知症が

          私の職歴、その3…の巻

          私の職歴、その2…の巻

          (昨日の続き。内容はただの作文です。気分がアゲアゲにはならないのでご注意ください。) 借金は200万円くらいに減っていたと思いますが、それでも200万円です。 なのに、無職。 やべーな。 そう思いつつ暇になった私は出会い系サイトで男を漁っておりました。最低ですね。 出会う男は、そらもう鼻息荒げた野獣だらけです。もう最低です。車の中で事を済ませようとする人が多い。 もちろん、とある理由を述べて断りました。ブチ切れて知らんところで降ろされたりもしました。 出会い系=

          私の職歴、その2…の巻

          私の職歴、その1…の巻

          (今日から、ただの作文になります。読み返してみると、実にくだらない内容で元気になる要素は皆無です。しかも長文。注意してお読みください。) 本文はここから 300万円の借金ができたゆえ、仕事として選んだのはトラック運転手でした。 3流私立の高校卒業、協調性ゼロの私は接客業など難しく、行き着いたところが運送会社でした。 最初は佐川急便の下請けで宅配の仕事をしました。1日60個ぐらいだったでしょうか、そのくらい配ってました。都会の人からしたら60個?と思われるでしょうけど、

          私の職歴、その1…の巻

          中村うさぎさんを神と讃える…の巻

          実家暮らしが嫌になり、県外に引っ越した私なんですけどね、詳しく「何歳のときに○○で働いて、住所はここでした。」と言えないんです。ですから、履歴書を書くとき本当に困ります。 そのため、ハローワークに行き、職歴照会をお願いしてそれを元に履歴書を書きます。実は、私の祖父二人とも学習障害があったのではないかと思うのですが、私もそれに近い状態した。←過去形だけど、現在進行形でもある(爆) 隔世遺伝ってやつです。(すげー言い訳) 仕事でのミスが多く、注意されすぎて嫌になって辞めると

          中村うさぎさんを神と讃える…の巻

          実家がだんだん小さくなる…の巻

          子供の頃は、大きな家に住んでいたのですが、道路ができるとのことで実家は立ち退きになりました。私が高校に入った頃だったかな。 そして、次に見つけた家は築30年くらい経っているおんぼろで、狭い家でした。庭でBBQなんてことはできない車だけ止められる狭いスペース。隣の家が歩いて30歩っていう住宅地です。 でも、立ち退きってお金は余分にもらえると聞きますよね?余ったお金はどこに行ったと思います? そう、エホバの証人の会衆への寄付だったのです。さらに、エホバの証人の活動だけしてい

          実家がだんだん小さくなる…の巻

          精神的に病んでしまった…の巻

          今日は湿っぽい話しを書くよー。最初に謝っておきます、すみません。 今日のお話しはここから 私の家庭は周りから見れば幸せそうな家庭だったでしょう。実際、私はあることを除けば幸せだったと思います。 しかし、父と母はまともな家庭で育っていませんでした。おじいさんは、今考えると精神的な病気か学習障害があったのではないかと思うのですが、協調性がなくどこかに雇われて仕事をすることができませんでした。 両方のおじいさんが酒に溺れ、自営業でその日暮らしでした。なので、おばあさんが正社

          精神的に病んでしまった…の巻

          お子様のときは小金持ちでしたのよ…の巻

          わたくし、ひとりっ子で蝶よ花よと育てられました。おほほほほほ。←んな笑い方はこの方一度もしたことはない。 自慢ですけど、実家は100坪以上ある土地にでっかい家を構え、庭に植木が生い茂り、池の中を優雅に泳ぐ鯉、車は4台ぐらい停められるスペースがありました。 と言っても、田舎ですから私の家なんぞ狭いほうだったのですが、今から考えるとまともな暮らしをしていたかなと。 高度成長期&バブル期には、車をよく買い替え、家電製品も新たに出るとすぐに買っていました。昭和50年近辺で、今み

          お子様のときは小金持ちでしたのよ…の巻

          不回避な事故?

          バイクでスライディングして、肩の骨がバッキバキの私なんですけど、なぜ事故したかって? 聞いてくださいよ、そこの皆さま方。(誰も聞いちゃいねえってか?) 車一台くらいしか通れない道を、私はバイクで走ってました。そこに中学生が10人くらいでがちゃがちゃ歩いていたんですよ。 こちらはカブなので、結構エンジン音がするわけで、バイクが来ていることが分かっているだろう運転をしたわけですよ。 すると、一人の子がバイクの進行方向に飛び出てきたんです。それも走って。小学生かよ。いや、小

          最近の私と自己紹介

          私はあと一年ぐらいで50歳になるおばさんでございます。(プロフィール画像は数年前のシワが少ないときの写真をさらに加工してあります(爆)) 今年の夏になる前、バイクでスライディングし、肩がバキバキに割れてしまい1型糖尿病のせいで手術ができないまま家で寝っ転がっております。 2回目のコロナワクチン接種を済ませれば、手術を検討すると言われ、2回目の予約がなかなか取れないので、まだまだねっ転がる日々が続くでしょう。 毎日、毎日夜の1時頃に起きて、仕事を馬車馬のようにしてきた私に

          最近の私と自己紹介