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私の職歴、その3…の巻

(相変わらず、くらーい内容&作文でございます。明るい内容をお読みになりたい方はご退場いただきますとありがたいです。)

なんの資格も経験もなしに介護助手の仕事を選んだ私。

それはもう私の中になかった世界が広がっていました。流れ作業のようにおむつ交換、お風呂介助、食事介助が待ち受けていました。

なにも言葉を発することができないご老人が、ただただベッドで横になっており、拘縮した手足で指一本さえ動かせず、鼻に管を通されておりました。

ポータブルトイレに移動できる方でも認知症があるゆえ、排尿排便が上手くできません。

夜中は消灯台の電気だけという暗がりの中、ずっと「あー、あー、あー」と言っているかたもいます。

なかには、夜勤中、ナースコールを50回くらい鳴らす方もいました。「主人に迎えに来るよう電話してください」と。ご主人さんは亡くなられているようで、しかも迎えに来てくれるご家族がいたとて、夜中の0時から3時くらいの話しですから、電話をかけたふりをして「誰も出ないですねえ。もう少ししてからかけ直しますね。」というやり取りを何回もすることがありました。

ベテランヘルパーの中には「あんたの旦那はとうの昔に死んどるわい」と、介護の世界ではご法度な返答をする人もおり、認知症の方の行動にもビックリですが、お局様たちの対応にもビックリすることがありました。

それでも若かったし、そんな世界に衝撃を受けつつもなんとか仕事をこなしていました。


(私が、働いていた病院は長期療養型と言って、特養のような役目をしていました。最近はこのタイプの病院はないと思います。療養型という病院はあるようですが。)


で、気づいたらなななななんと妊娠でございます。嬉しい反面、借金どうする?産まれる間近まで働いて、産まれたらすぐに働けばいいやくらいの、相変わらず能天気な考えでございました。

しかし、つわりはひどいし、8ヶ月くらいになると腰痛で、完全に妊婦をなめてました。

しかもタバコが吸えないと。最初の頃は禁煙で痰は出るし、すんげー睡魔に襲われて、多分同僚には迷惑をかけてました。

とても良い環境で働かせてもらったし、知り合いの紹介で入った病院だったのですが、患者さんへの対応の仕方、同僚との人間関係が嫌になり産まれる2週間前くらいに辞表を提出しました。

そして、特にプロポーズもないまま、子供のためにと籍を入れました。

子どもが生まれてから、私はまたまたうつ病になってしまいました。これからどうするの?私。

ということで、次はそれから先のお話しを書いてみたいと思います。


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雨が凄いですね。夜中にスマホの防災速報が鳴るので、それにビビって起きてしまいました。

さらに、台風が福岡に最初に上陸するのは観測が始まった1951年以降、初めてとのことで「へぇボタン」があったら10回くらい押すところです。


今日のツボTikTok
オチが草


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現在、事故で寝込んでおります。ご支援いただけたらありがたいです。

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