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今に満足すると「成長」は止まってしまうのか?【ユタカジン】
かめりんです。
サムネイルに猫の画像を使ってみましたが、本記事は猫とは全く関係がありません。
ちょっと堅めの内容を少しでも明るくしようという取り組みです。
「今に満足しましょう」
「今この瞬間に満足感を得ましょう」
こういう言葉は、ちらほらといろんなところで耳にするかもしれません。
急速に変化する世界の中で、生き急ぐことがデフォルトのような世の中に疑問符を打ち、もう少しゆっくり過ごし今に目を向けよう、というニュアンスを感じます。
僕も、タスク/時間管理術である「タスクシュート」という手法や、時間というものへの向き合い方について発信する中で「今に満足する」という言葉を使うことがあります。
この言葉を目にしたとき、こう不安に思うことはないでしょうか。
「今に満足してしまうとそこで成長が止まってしまうのではないか」
と。
実を言うと、過去の僕はこれまでこういった類の言葉は好きではありませんでした。
なんとなく自分を甘やかしているというか、どこか自分を騙そうとしているように聞こえたからです。
今に満足すれば確かに今は幸せかもしれないけど、
そのツケは絶対あとで自分に返ってくる、
という気がしたのです。
この感覚は、裏を返せば、
今に満足してしまうと成長が止まってしまう。
成長が止まってしまうと、世界から置いてけぼりにされ、後で苦しい思いをする。
と信じていたということになります。
もしかしたら、今これを読んでいるあなたも「今に満足する」という言葉に僕と同じような不安や抵抗感を感じるかもしれません。
しかし、今はほぼ真逆の考え方を持っていて、
「今に満足すること」こそ安定した成長の土台となるものだ
という風に考えが変わってきています。
「成長」と対をなして使われる言葉たち
いつから「今に満足すること」と「成長が止まる」ことがセットだと思うようになったかは覚えていません。
でも、そう思うようになった理由はなんとなくわかります。
それは、「成長」という言葉が、とある文脈の中で特定の言葉たちと一緒に使われることが多いからです。
その言葉というのは、
「目標」「理想」「我慢」「ストイック」、、
といった言葉たちです。
これらの言葉は基本的にポジティブな意味で使われます。
理想を掲げ、目標を立てる。それを達成するために自分を律し、やりたいことを我慢してストイックに努力する。
半ば無理やり言葉を詰め込みましたが、やはりこういったことを体現する人は非の打ちどころのない素晴らしい人のように思えます。
ストイックさが美徳として語られることは今に始まったことではありませんし、その風潮は今もずっと根強いです。
そして、この「目標」「理想」「我慢」「ストイック」といった言葉たち。
僕には「時間」の概念との結びつきが強いように感じられます。
「目標」や「理想」という言葉は未来に目を向けた言葉ですし、
「我慢」や「ストイック」という言葉は、今に制限をかけることでレバレッジを効かせ、未来をよりよくするような意味合いがある気がします。
成長というものについて語られるとき、こういった言葉で表現される姿があるべき姿だと主張されることほとんどでしょう。
過去の自分はそんな言葉を浴びまくって、その結果「今に満足」してしまうと「成長に結び付かない」と思うようになってしまっていたのかもしれません。
目線が常に未来を向いている
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過去の自分は(今もですが)成長することを強く望んでいました。
成長を望んでいたわけなのだから、そこにはきっとなんらかの努力がありました。
アカデミアの世界で生きていくには英語がきちんとできるようにならなきゃいけないという気持ちで、洋画を見て英語の勉強を始めてみたり、
これからは「個」の時代だから自分の考えをしっかり持って情報発信しなければならないという思いから、発信したいことは二の次でブログを立ち上げてみたり。
(タスクシュートのブログを立ち上げる2年ほど前に別のブログを持っていました)
ところが、自分の成長のためにやっていたはずなのに、全然成長できている実感がありませんでした。
そして今振り返ってみても、成長のためにやっていたことの中で、あれをやっていたから成長できた、と思い返せることがあまりありません。
成長のためにやっていたことは、結局あまり成長に結び付かなかったような気がします。
それもそのはずです。
成長のためのことをやっているまさにその時に、既にそれが身についている(かもしれない)未来の自分を、半分無意識のうちに見ていてしまったからです。
成長したいなら、成長するためにやっている目の前のことに集中するのが一番効率的なはずです。
しかし、体や頭は動かしつつも思考のどこかは未来を見ている。今この瞬間にやっていることに完全には意識が向いていない。
しかも、ふと現実に目を向ければ「理想の自分」とは程遠い「大してできない自分」。
そこに生まれるのは焦りや欠乏感、自責でした。
そんな心理的状況で大きな成長など望めるはずもなかったのです。
成長しようと思ってやっていることに効果が生じないくらいだったらまだマシかもしれません。
それどころか、やらなきゃいけないことにも集中できなくなり、手をつけることすらままならなくなっていきました。
こうしてさらに、やらなきゃいけないものから得られる成長も限られたものになっていきました。
成長を望んでいたはずなのに、気がついたら成長から程遠い状況に身を置いてしまっていたのです。
「未来思考」というのは聞こえはいいですが、時として成長に大きなブレーキをかけ、やるべきことにもハードルを感じるようになってしまうこともある、矛盾と危険をはらんだスタイルだと強く自戒しています。
理想という妄想に惑わされず目の前の現実に集中する
さて、今の自分はどうか。
今なら「今に満足することができる」と言える自覚があります。
(今という漢字がゲシュタルト崩壊してきますね)
上に書いたような「今に満足できない」自分から「今に満足できる」自分に至るまで何があったのかとお思いかもしれませんが、そのいきさつを語ることは別の機会に譲ることとします。
そして、過去の自分よりも今の自分の方が成長速度が速いと思う自信もあります。
というよりむしろ
「今に満足できる」ようになったからこそ「より速く成長できるようになった」とも言えるような気すらしています。
「成長」という言葉に具体的に言及しないままここまで書いてきましたが、
よくよく考えると「成長」というのはなんとも掴みどころのない言葉だと思います。
そんな言葉が、人を駆り立てるようにあらゆるところで使われているのは正直ちょっと怖いです。
成長というのは、なんらかの技能的・精神的能力を身につけることを意味する、と僕は捉えています。
その成長をなんのためにするのかというと、身の回りの人々や社会、そして自分自身から必要とされることをできるようになること、つまり役にたつためだと思うのです。
そして「役にたつ」というのはとても個別具体的なものではないでしょうか。
そう考えたときに、成長するためにすべきことは、
未来に目を向けて「役に立つかもしれない」という漠然とした思いで今を蔑ろにしながら無茶をする
のではなく、むしろ、
今このときに他者から求められること、そして今このときに自分が必要だと思うことにしっかりと腰を据えて集中して取り組む、
ということが大事なのだと思うのです。そしてこの取り組み方は大きな満足感を生みます。
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今の自分は「今に満足できるようになった」と言いましたが、そう思えるようになったのは、日ごろから次の3つができていると思えるからです。
やる必要のあることを把握していること
やる必要のあることに着手していること
やる必要のあることに着手していることを自覚していること
全てのことを100%うまくできている自信はあまりありません。時折ポカをやらかして人に謝ることもあります。
でもやっぱり、ちゃんと目の前のことができているというのは安心感があります。今に満足しているという感覚が得られます。
未来のことはわかりません。わかりようがありません。
だからこそ、今必要なことに集中してしっかりと取り組む。その中で得られることをきちんと自分の糧にしていく。それが結果的に未来の役にたつ。つまりは成長につながる。
そしてさらに、こういった安心感、満足感は次の行動を軽くします。
地に足がついているからこそ、次の新たな一歩を安心して踏み出すことができるのです。
未来のことは全くわからないからこそ、試しに一歩踏み出してみてその成り行きを見守る。結果的に成長につながれば儲けもんです。
目の前のことにしっかりと取り組む。その過程を楽しみながら満足感を得る。
その繰り返しで少しずつ成長していく。
「今に満足すること」こそ安定した成長の基盤、豊かな土壌となりうるものではないでしょうか。
今に満足するというスキル
![](https://assets.st-note.com/img/1717022375433-j42VllAGnG.png?width=1200)
さて、この「今に満足する」ことは、スキルだと思います。
今に満足できるようになること自体が一種の成長と呼べることになりますね。
先に挙げた自分が日ごろからやっている3つのこと
やる必要のあることを把握していること
やる必要のあることに着手していること
やる必要のあることに着手していることを自覚していること
のうち、上2つはできている人も多くいると思います。
しかし、最後の
「やる必要のあることに着手していること」を自覚していること
というのは意外と見逃されがちで、実はあまりできていない人も多いのではないでしょうか。
そしてこれこそ今に満足するための一番重要な要素だと考えています。
ではどうすればできるようになるのでしょうか?
その鍵は「記録」にあるのかもしれません。
もしもしかめよ かめりんでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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本記事はタスクシュート協会メンバーが運営する「ユタカジン」への寄稿記事です。
ユタカジンとは「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマとして、時間や習慣、タスクシュートなどなどにまつわるお話が連載されていくマガジンです。
明日以降も続々と「ユタカジン」に記事がアップされていきます。
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