【自転車ヘルメット努力義務化は国家権力拡大の序章?】政府の強権国家権力が徐々に拡大~新しい戦前?!「治安維持法」「国家総動員法」とは?~

【自転車ヘルメット努力義務化は国家権力拡大の序章?】政府の強権国家権力が徐々に拡大~新しい戦前?!「治安維持法」「国家総動員法」とは?~





■「公務員なので…」しぶしぶ着用? 自転車ヘルメット、努力義務の街

朝日新聞  2021年11月14日

https://www.asahi.com/articles/ASPCD4CMNPCCOIPE02J.html


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自動車王国・愛知県で、自転車用ヘルメットに熱い視線が注がれている。

10月から着用が努力義務になったからだ。

通事故が多いと言われる土地柄もあり、「ケガのリスクを少しでも減らしたい」という願いが込められている。

ただ、今でも、街でヘルメットはあまり見ない気がする。

面倒くさい?

せっかくセットした髪形が崩れる?

まずは実態を把握するため、行き交う自転車を数えてみた。

・「公務員で、着けろと言われて」

11月上旬、記者が愛知県内の6カ所で1時間ずつ、通行した自転車と、ヘルメットの着用者を数えた。

1748人のうち、着用者は98人。着用率はわずか5・6%だった。

「公務員で、着けろと言われて……」。

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「公務員なので…」しぶしぶ着用? 自転車ヘルメット、努力義務の街
朝日新聞  2021年11月14日





■自転車ヘルメット着用が来春から義務化ってマジ!? 政権内で強まる警察権力〜国民生活の常識とかけ離れたルールが立案され閣議決定されてしまう恐ろしさ

SAMEJIMA TIMES 2022年12月26日

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1984年春、中学入学を目前に親の都合で兵庫県尼崎市から香川県高松市に引っ越して最初にショックを受けたのは、自転車で街中を走る中学生たちがみんな真っ白なヘルメットをかぶっていたことだった。

現代の日本を訪れた欧米人が人影のまばらな街角で幼い子まで真っ白なマスクをして歩く光景を目の当たりにして受ける衝撃と似ているかもしれない。

私はまだ思春期とも言えない奥手の12歳であったが、真っ黒な学生服に真っ白なヘルメットをかぶって自転車で街ゆく自らの姿を想像して、あまりに格好悪く、とてもそんなまねはできないと恐れおののいた。

遠い地に来てしまったとしみじみ感じたことを覚えている。

ところが中学に入って1ヶ月も経てば、友達と一緒にヘルメット姿で自転車を必死にこいで通学することに何の抵抗もなくなっていた。

日々の環境や習慣は人間の感性を瞬く間に変えてしまうのだ。

ずいぶん昔の話を思い出してしまったのは、あの時と劣らぬほどの衝撃を受けるニュースに接したからである。毎日新聞の『自転車のヘルメット着用、23年4月から義務化 全利用者に対象拡大』である。

改正道路交通法の施行期日に関する政令が20日に閣議決定され、2023年4月1日から全ての自転車利用者にヘルメットの着用が義務づけられることが決まった。

罰則のない努力義務となる。

すでに13歳未満の子どもについては、保護者に着用させる努力義務が課せられているが、対象が拡大されることになる。

この政令が閣議決定されたからといって、毎朝子どもを自転車の後部座席に乗せて保育園を目がけてペダルを踏み込む母親や、夕刻にスーパーの大きな買い物袋をいくつも自転車のカゴに押し込んで家路を急ぐ母親が、ただちにマイヘルメットを購入して持ち歩くことはなかろう。

「罰則のない努力義務」なのだから目くじらを立てることはないという意見もあるかもしれない。

しかし、である。私はこの閣議決定を看過できない。以下、理由を述べよう。

①警察の巨大利権となる

交通行政はそもそも警察の巨大利権である。

運転免許証の更新や交通標識の設置などに投入される巨額予算は警察に群がる業者を潤わせ、警察官の天下り先を拡大させている。

自転車用ヘルメットの義務化も、実際に着用する人が少ないとしても、全国津々浦々に周知させるための広報費やヘルメット着用を普及させるための外郭団体の新設、さらには推奨ヘルメットの選定など、新しい利権を次々に生み出すであろう。

その原資はすべて私たちの税金だ。

かつて日本政府で幅を利かせてきたのは財務省と外務省だった。

ところが憲政史上最長となった安倍政権は財務省を遠ざけ、警察庁と経産省を重用した。

とりわけ警察庁OBが安倍〜菅〜岸田の3政権10年にわたって官僚トップの官房副長官に君臨した結果、政権中枢で警察庁の影響力を強大化し、いまや財務省や外務省を圧倒している。

経済対策や外交政策よりも国民を管理統制する治安対策が優先されるようになった。

その象徴が外交安保政策の司令塔である国家安全保障局である。

2014年に新設された官邸直属の部署で、外務省出身の谷内正太郎氏が初代局長に就任したが、安倍首相は警察庁出身で自らの首相秘書官を務めた北村滋氏を第2代局長に押し込み、同局内の重要ポストは警察庁出身者が占めるようになった。

菅政権で外務省出身の秋葉剛男氏が局長に起用された後も警察庁の影響力は強く残る。

外務省関係者は「国家安全保障局の役割は、中国、台湾、北朝鮮など東アジア情勢を分析して外交安保政策を立案することなのだが、警察庁がポストや予算を握っている結果、国内治安対策やJアラートなど避難対策ばかりが重視されている」と嘆く。

それほど警察庁の影響力は強まっている。

河野太郎デジタル相が強引に進めるマイナンバーカードと健康保険証の一体化(健康保険証の廃止)でも、当初は運転免許証の一体化方針もあわせて発表されたのだが、いつの間にか消えてなくなった。警察庁が強力に巻き返したからだ。

警察庁の権力は強大になった。

自転車のヘルメット義務化を閣議決定する程度のことは、たやすいことだったろう。

国民生活が困窮を深めるなかで、警察利権は着実に拡大しているのである。

②警察は管理統制が大好き。同調圧力の強い日本社会の風潮は侮れない

利権ばかりではない。

警察という組織は国民を監視して統制することが大好きだ。

国民を逮捕することのできるこの組織は「国家権力中の国家権力」といってよい。

警察権力の源泉は法令である。法律は国会が定め、政令は法律に基づいて閣議決定される。

法令を根拠に警察はさまざまな権力を行使するのである。

自転車のヘルメット義務化に罰則はないとしても、法令によって義務化されたことは侮れない。

警察官はノーヘルで自転車に乗っている人をみかけたら、ただそれだけで「努力義務違反」を口実に、堂々と職務質問することができるのだ。

車の影がまったくない住宅街にある赤信号の横断歩道、至る所にひかれた一時停止のライン…私たちの日々の生活はありとあらゆる「法令に基づくルール」に取り囲まれている。

ふだんは問題にされないことも、警察官がその気になれば「法令違反」を理由に私たちの私生活に口出しできる。

口出しするかしないかは警察官の一存で決まるのだ。

自転車のヘルメット義務化は、警察官が国民の私生活に関与する「新たな武器」を与えたといってよい。

しかもコロナ対策で明らかになったように、日本社会は同調圧力が極めて強い。

外出自粛も営業自粛もマスク着用も法令に基づく「禁止行為」でないにもかかわらず、マスコミは「禁止行為」のように報じ、ほとんどの国民は従ったのだ。

いったんルールが設定されると、たとえ罰則がないとしても、何かの拍子に強力な同調圧力によって事実上の強制措置となる恐れは十分にある。

実際、自転車のヘルメット着用が義務化される来春以降、公務中の公務員や郵便局の配達員、電気・ガス会社の社員ら公的性格の強い仕事に携わる現場の人々から順に、ヘルメット着用の動きが急速に広がる可能性は捨てきれない。

これらの組織のトップたちも、日常生活で自転車を乗り回すことなど無縁の上級国民だからだ。

これこそ、他人を管理統制して支配することを何よりも好む警察キャリア官僚たちが理想とする社会である。

国民がそれぞれ自由奔放に、多様に、楽しく明るく伸び伸びと暮らす社会を、彼らは本質的に望んでいない。

警察権力が強大化する先に待っているのは、国民を監視して統制することが何より優先される警察国家である。

③国民生活とかけ離れた政策立案がまかり通ることに恐怖すら感じる

毎朝子どもを自転車の後部座席に乗せて保育園へ向かってペダルを踏み込む母親や、夕刻にスーパーから大きな買い物袋を自転車のカゴに入れて家路を急ぐ母親の日常生活を思い浮かべることなく、警察キャリア官僚たちが非日常的で非現実的な「自転車のヘルメット義務化」をクソ真面目に企画立案し、それが閣議決定に至ってしまった現実に、私は恐怖すら感じた。

警察キャリア官僚たちは若い頃から都道府県警の幹部として黒塗りの車で送迎され、日常生活で自転車に乗る必要など一切ない上級国民である。

所詮はヘルメット着用義務など他人事なのだ。

警察庁に加えて、首相官邸や閣僚に常識的な生活感覚を持った人がいれば、「自転車のヘルメット義務化なんて、ありえませんよ」と一笑に付したのではないか。

国民生活とかけ離れた非常識なエリートたちで政権中枢が固められ、彼らの非日常的な感覚で政策が立案されていることは、笑い話では済まされない。

なぜなら、そのような非日常性の先に、戦争が待っているからである。

一億総玉砕の本土決戦を掲げた先の大戦は、まさに日本中が狂気に包まれたものだった。

常識的感覚さえ失わなければ、あの戦争に勝てるはずはないとすぐに気づくはずなのに、政権中枢のエリートが日常性を失い、国民全体にそれが及んで、日本は泥沼の戦争を遂行し、多くの人命を失ったのである。

実に馬鹿げた戦争であった。

自転車のヘルメットを義務化するという、実に馬鹿げた政策がまかり通ってしまう現代日本の風潮は、極めて危ういとしかいいようがない。

全国各地の学校で児童・生徒を支配下に置くためだけの「信じられないほど人権を無視した校則」がしばしば指摘されるが、校則による統制管理がついに大人の世界にまで及んできたと私は感じている。

日本社会はますます窮屈になり、個人の自由の尊重や多様性とは真逆へ向かっている。

時流はかなり怪しくなってきた。

私はせめてもの抵抗として来春以降、ノーヘルで自転車に乗る警察官を見かけたら片っ端から「道交法違反ですよ」と声をかける対抗策を思いついたのだが、自分の首を締めることになると思い直してやめた。

「ヘルメットなんて、かぶってられませんよね。アッハッハ」と微笑みかけることにしよう。

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自転車ヘルメット着用が来春から義務化ってマジ!? 政権内で強まる警察権力〜国民生活の常識とかけ離れたルールが立案され閣議決定されてしまう恐ろしさ
SAMEJIMA TIMES 2022年12月26日





■「安倍政治」の弊害 民主主義ゆがめた深い罪

毎日新聞 2020/8/30

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安倍晋三首相の辞任表明を受けて自民党では「ポスト安倍」選びに向けた動きが早くも始まっている。

党総裁選をいつ、どのような形で実施するのか。

近く正式に決まる見通しだ。

しかし、まず必要なのは、第2次安倍内閣発足後、7年8カ月に及んだ長期政権の功罪をきちんと検証して総括することだ。

それ抜きでは前に進めない。

安倍政権がなぜ、ここまで続いたのか。

最大の要因は、2012年、安倍首相が自民党総裁に返り咲いて以降、計6回の衆参両院選で全て大勝したことだろう。

ただし勝利の背景には、旧民主党政権が国民の失望を招いた後だったという有利な点が元々あったことを忘れてはならない。

安倍首相は「弱い野党」に随分と助けられてきたのである。

・対立あおり国民を分断

ところが首相は、選挙で勝ったのだから全ての政策が信任された――と言わんばかりに強引に突き進んだ。

再三指摘してきたように、集団的自衛権の行使を一部認めた安全保障法制や、「共謀罪」を創設した改正組織犯罪処罰法など、国民の間に反対論が根強かったにもかかわらず、与党の数の力を頼りに決着させたのが典型だ。

記憶に残る言葉がある。

「こんな人たちに負けるわけにはいかない」

17年夏の東京都議選の街頭演説で、安倍首相は退陣を求めて声をあげる一部の聴衆を指さして、こう言い放った。

自分にとって敵か味方か。国民を分断し、対立をあおる言葉だった。

民主政治は確かに、最終的には多数決で決する仕組みだ。

だが、その結論に至るまでの十分な議論が欠かせない。

そして、国民を分断するのではなく、可能な限り一致点を見いだしていくのが指導者の務めのはずだ。

異論や批判に耳を傾けず、相手を激しく攻撃して対立をあおる。

こんな「分断手法」が続いてきたのは、安倍政治の大きな弊害と言っていい。

この姿勢が、憲法で「国権の最高機関」と位置づけている国会の著しい軽視につながった。

国会をまるで内閣の下請けのようにしてしまった罪は深い。

そもそも首相には、野党議員も国民に選ばれた代表であるという認識が欠けていた。

権力の私物化が指摘された「森友・加計」問題や「桜を見る会」の問題を追及する野党に対し、首相は誠実に取り合おうとせず、同じ答弁を繰り返した。

結局、一連の問題の解明は進まなかった。

首相は絶えず「丁寧に説明する」と口にしてきたが、国民に対する説明責任を果たさなかったというほかない。

官僚が首相におもねる「忖度(そんたく)政治」がはびこっただけでなく、安倍内閣は検事総長人事にも介入しようとした。

内閣にとって都合がいい人物を捜査当局のトップに据えたかったのだろう。

実現はしなかったものの三権分立の大原則をゆがめかねない深刻な事態だった。

程度の差はあれ、歴代首相は国家権力を抑制的に使おうとしてきた。

だが安倍首相は「政治権力は最大限行使すべきだ」と考えていたと思われる。

検察人事問題には安倍政治の本質が表れていた。

・まずは検証と総括から

政権末期が近づいてきたのと軌を一にするように、前法相の河井克行衆院議員と妻の案里参院議員の両被告が公職選挙法違反で起訴され、公判が始まるなど自民党に所属していた国会議員の摘発も続いている。

何をしても許されるに違いないと考えていたのだろう。

長期政権は政治家の感覚もマヒさせてしまったのだ。

司法のあり方も含めて一刻も早く、三権分立がきちんと機能する政治に戻さなくてはならない。

「安倍1強体制」の下、自民党もかつてのような活発な議論がなくなった。

そんな中で迎える党総裁選だ。

「ポスト安倍」の候補として、菅義偉官房長官や岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長らの名が挙がっているが、真っ先に求められていることがある。

安倍政治の何を継承して、何を修正するのか。これを明確にすることだ。

それが、どんな国を目指すのかという具体的な議論につながる。

まっとうな民主政治を取り戻す道でもある。

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「安倍政治」の弊害 民主主義ゆがめた深い罪
毎日新聞 2020/8/30






■「国家総動員法」とは? 国民を悲惨な戦争に巻きこんだ法律を知ろう【親子で歴史を学ぶ】

小学館 2021.9.13

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・1938年に日本で制定された法律

国家総動員法は1938(昭和13)年、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の下で制定された法律です。

当時の日本は、中華民国(中国)との戦争の真っ只中にあり、国内は完全に戦時体制に突入していました。

日中戦争の長期化が必至になると、政府は国力を総動員できる広い権限を持つことを必要としたのです。

国家総動員法の主旨は、「国内におけるすべての人的・物的資源を統制・運用する権限が政府にある」というものです。

制定以来、政府は議会の承認を得ずとも、「勅令(ちょくれい)」で労働力や物資を調達できるようになり、日本は「国家総力戦体制」を整えていきます。

・成立の裏には陸軍の強い圧力

国家総動員法の成立の裏には、陸軍の強い圧力があったといわれています。

日中戦争が勃発(ぼっぱつ)する直前、陸軍は「総動員法立案ニ対スル意見」を内閣に送り、総動員法の制定を促しました。

第一次近衛内閣は、「企画院」と呼ばれる内閣直属の官庁を設定し、国家総動員法の立案を行います。

国家総動員法案が議会に提出された際、衆議院や貴族院では、一部の議員が批判の声をあげましたが、軍の圧力に押し切られる形で可決されたのです。

八紘一宇の塔(宮崎市)。宮崎県立平和台公園にある塔で、1940(昭和15)年、紀元二千六百年記念行事の一つとして建立された。

「八紘一宇」とは、「全世界を一つの家にすること」で、第二次大戦中、日本が中国・東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンにされた。

・国家総動員法の内容は?

国家総動員法は事実上、議会に、政府の「白紙委任状」を要求するものでした。

政府はあらゆる資源を管理するとともに、国民徴用令(ちょうようれい)などの法令を次々に制定していきます。

国家総動員法の具体的な内容について見ていきましょう。

・政府が人や物などの資源を全面的に管理

国家総動員法の第一条には、「国家総動員トハ戦時ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂(い)フ」とあります。

「国家総動員とは、国防目的達成のため、国の全力を最も有効に発揮するよう、人的及び物的資源のすべてを政府が統制運用する」という意味です。

第二条には、政府が統制運用する具体的な内容が記されています。

●軍用物資
●被服・食糧・飲料など
●医療機械器具・衛生用物資など
●船舶・航空機・車両・その他の輸送用物資
●通信用物資
●土木建築用物資・照明用物資
●燃料及電力
●上に挙げたものを生産・修理・配給・保存するのに必要なもの
●上に挙げたもの以外で勅令で指定する国家総動員上必要になる物資

・政府が自由に法律を制定可能

国家総動員法によって、政府は議会の承認を得ずに、「勅令」として自由に法律を制定できるようになりました。

「勅令」とは、天皇が発する法的効力のある命令のことです。

戦時中は、国家総動員法に基づく勅令として、数多くの法律が制定されます。

その代表格といえるのが「国民徴用令」です。

16歳以上45歳未満の男性と、16歳以上25歳未満の女性を、強制的に軍需産業に従事させることができる内容で、平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣によって1939(昭和14)年に公布されました。

このほかにも、「生活必需物資統制令」や「価格等統制令」「賃金統制令」などが制定され、国民の経済活動の自由が奪われていったのです。

・国家総動員法が国民生活に与えた影響

1938年に制定された国家総動員法は、第二次世界大戦が終わるまで続きました。

本法により、日本国民は、どのような生活を強いられたのでしょうか?

・多くの人が戦争に参加させられた

国民総動員法によって、軍人以外の多くの国民も、戦争に巻き込まれることになりました。

太平洋戦争が始まり、国内の労働力が不足すると、政府は学生や生徒を「学徒勤労動員」として、農村や軍需工場に配置させます。

未婚の女子も「女子挺身隊(女子勤労挺身隊)」として、さまざまな労働に従事させられたのです。

戦争に無関係な民需産業の工員は、軍需産業に強制配置され、国内は戦争一色となっていきます。

1945(昭和20)年、国民徴用令や女子挺身勤労令など、五つの法令を一本化した「国民勤労動員令」が制定され、老若男女、病人までもが戦争へと巻き込まれていきました。

・物資が不足し、生活が苦しくなった

戦時中は、政府による「経済統制」が行われ、ガソリン・綿糸・砂糖・マッチなどの生活必需品が、段階的に「切符制」となっていきました。

国家総動員法では、軍需関連の生産が第一と考えられていたため、農業や繊維をはじめとする国内の民需産業は、次第に衰退していきます。

太平洋戦争に突入すると、物資の不足が著しくなり、米はもちろん、味噌や醬油、野菜までもが「配給制」になりました。

配給は、遅配や欠配が続いたため、町には非合法の闇市(やみいち)が出現したといわれています。

人々は、法外な価格で品物を手に入れるしかなくなっていったのです。

戦争が激化すると、「ぜいたくは敵」「欲しがりません勝つまでは」というスローガンを掲げ、人々は窮乏を耐えしのんでいました。

・言論の自由が奪われた

政府の統制は、経済面だけではなく、人々の思想や言論の自由までも奪っていきました。

1941(昭和16)年、近衛内閣は、国家総動員法の下に「新聞紙等掲載制限令」を公布します。

外交・経済・財政など、政策遂行に支障を来す恐れのある事項を、新聞に掲載することを禁止し、違反すれば、発売禁止や差し押さえなどの厳しい処置が取られたのです。

太平洋戦争が始まると、戦況の悪化にもかかわらず、日本が優勢であるかのように報道する「大本営発表」が繰り返されました。「大本営」とは、日本軍の最高司令部を指します。

情報操作は、戦局が激化するにつれて多くなり、日本国民は「架空の勝利」を信じ続けることになりました。

・全国民を戦争に引きずり込んだ法律

国家総動員法は、第二次世界大戦において、日本の総力戦体制の大本(おおもと)となった法令です。

軍部の圧力により、政府は帝国議会の承認なしで、国民生活のすべてを統制・運用する権限を獲得しました。

その結果、日本国民の生活からは、自由と平和が奪われ、悲惨な戦争へと突入していったのです。

現在の日本は、「国の在り方を決める権限は国民にある」という国民主権を採用しています。

戦争の反省を生かし、かつては国家主義的な傾向が強かったことも忘れないようにしたいものです。

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「国家総動員法」とは? 国民を悲惨な戦争に巻きこんだ法律を知ろう【親子で歴史を学ぶ】
小学館 2021.9.13






■コロナ危機で、国家の「権威と権力」はさらに強大化する~グローバル化の「裏の顔」があらわに~

週刊現代 2020.04.28

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・グローバル化の「二つの顔」

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、世界は国境封鎖し、鎖国状態になっている。

こうした事態を受けて、グローバル化は終わりつつあるという議論が欧米を中心に始まっている。

しかし、このような主張は皮相的なものにすぎない。

やや逆説的に聞こえるかもしれないが、各国による国境閉鎖は、ある意味でグローバル化の当然の帰結だからである。

つまり、鎖国は、グローバル化という現象の「もう一つの顔」をあからさまにしたのである。

以下に敷衍しよう。

一般にグローバル化とは、人やものの自由な移動、さらには「ボーダーレス」な世界の到来として語られる。

しかし、そうした現象の裏側で同時進行しているのは、国家による国境監視の強化である。

国境をフィルターにたとえれば、グローバル化は、一面において、フィルターを通過する人やものの大幅な増大を意味する。

しかし、その反面、フィルターは、国家が通過させたくない人やものをふるいにかける。

2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、テロリストであると疑いがかかる個人を世界中で特に警戒するようになったのは周知のことである。

一方、私が居住するニュージーランドでは、自然環境を保護するために、動植物などいわゆるバイオハザードの対象となるものが国内に入るのを厳しく制限している。

そして、今回、フィルターにかけられているのは感染病ウイルスであり、それに感染している個人である。

20世紀末以来論じられてきているグローバル化は、このように「二つの顔」を持つ。「表の顔」が人やものの自由な移動だとすれば、「裏の顔」は移動する人やものの国家による監視の強化である。

そう考えれば、世界諸国が鎖国状態にあるのは、グローバル化の「裏の顔」が「表」になったことを意味する。

・パスポートはいつ発明されたか

国境を越える人とものの移動の増大が、国家による監視の強化に伴っていたことは、最近始まった現象ではない。

海外渡航する際、パスポートを携帯することが義務づけられたのは、第一次世界大戦中のヨーロッパであった。

アメリカの社会学者ジョン・トーピーが『パスポートの発明』(法政大学出版局)で論じたように、19世紀以前にもある種のパスポートがヨーロッパ諸国で用いられていたが、パスポートのあり方について世界的に標準的な慣行はまだ定まっていなかった。

実際、パスポートを発給するのは国家であるとは限らなかった。

地方の聖職者や役人が自国民、他国民を問わず、一種の通行手形や、携帯者の品行方正を証明する推薦状のようなパスポートを発給していたのがその実態であった。

こうした事情が大きく変化を遂げたのは第一次世界大戦の時代だったことを、20世紀イギリスを代表する歴史家A・J・P・テイラーが『イギリス現代史 1914年-1945年』の開巻冒頭でこう書いている(英文原書より筆者が翻訳)。

1914年8月まで、分別があり法を遵守する英国人であれば、郵便局や警察を除いて、国家の存在にほとんど気づくことなく人生を過ごすことができたであろう。

どこでも好きなところで、好きなように生活することができたはずである。

公式なナンバーや身分証明書も持たなかった。

海外旅行したり海外移住したりするに際しても、パスポートも公式な許可書の類も必要なかった。

携帯者の身分証明書であると同時に、国家による移動の管理手段でもあるパスポートは、およそ1世紀前に本格的に導入されたものなのである。

国境が封鎖される数週間前まで、我々は国際的な移動の自由を享受してきたわけだが、そうした自由は、各人が帰属する国家によって発給されるパスポートによって我々の移動が管理される限りにおいて成立していた。

つまり、国際的な移動の自由とは、国家による監視によって保証されるという逆説的な事態なのである。

第一次世界大戦当時、パスポートの携帯が義務づけられるに際して、そうした移動の監視はあくまでも一時的な方策とされていたが、その後まもなく恒常化することとなった。

今日では、パスポートという手段によって国家が移動を監視することの正当性を疑問視する人はほとんどいないであろう。

このように近代パスポートの歴史を振り返ったとき明らかになるのは、人的移動の自由と国家による移動の監視とは切ってもきれない関係にあるということである。

こうした歴史に鑑みれば、現下のパンデミックが終息した後に、国際的な人的移動の自由を回復することは、国家による監視のさらなる強化との引き換えという形でしかありえないのかもしれない。

そもそも、移動の自由における「自由」概念とは、17世紀イギリスの政治哲学者トマス・ホッブズのいう古典的な消極的自由である。

つまり、物理的拘束が欠如している状態にすぎない。

自由をこのような意味で理解する限り、何らかの強制力によって国境を越える移動が阻止されていない限り、たとえ監視下にあっても、移動の自由は存在するとみなされることとなろう。

・国家は人々の「移動」を管理する

このように、現下のコロナウイルスをめぐる危機のひとつの核心とは、国家が人的移動を、前例のないほどの規模で制約していることである。

それは国際的な移動だけでなく、国内移動についても同様である。

だからこそ、ロックダウンの状態にある諸国の住民たちはほぼ例外なく、いわば自宅監禁のような状況にあるわけである。

ここに明らかなのは、近代国家が、移動の自由を管理する正当な権限を独占するという特徴である。

さらに、コロナ危機の結果、世界経済は危機に直面しているが、それは、いうまでもなく、経済活動が正常に運営されるためには人的移動の自由が不可欠の条件だからである。

ただし、ここで注目すべきは、その自由がもっぱら国家によって与えられているということなのである。

つい先頃まで、グローバル資本主義の時代の到来とともに、近代国民国家は歴史的役目を終え、「ボーダーレス」な時代がやってくると喧伝されてきたが、グローバルな感染病拡大という事態は、それが間違っていることを見事に実証した。

グローバル企業も大資本家も、パンデミックの発生以来、鳴りを潜めてしまっている。

ウイルス感染に対して対策を講じているのは、国家だけである。

しかも、つい先頃まで新自由主義と「小さな政府」を目指していたアメリカやイギリスといった国々は、一変して、経済に積極的に介入する「大きな政府」へと舵を切った。

さらに、ヨーロッパ圏内における移動の自由も、ヨーロッパ連合加盟国が次々と国境封鎖を行なったことで雲散霧消し、その限りでは、ヨーロッパ連合は、すでに経済人類学者カール・ポランニーのいう「甲殻類的な国家」(鎧のような外殻を持った、外と内を峻厳に区別する国家)の集合体へと変貌してしまった。

こうした一連の事態は、近代国家こそが、この世における究極的権威であって、いかなる国際的な公的組織も、いかなるグローバルな巨大資本も、国家に比肩することはできないことを如実に示している。

・魔女狩りとコロナウイルス

パンデミックが終息した後、移動の自由の回復は、国家による監視の強化と引き換えという形でしかなされないかもしれないと前述したが、このような国家権力の強大化の趨勢は、近代国家形成の歴史を参照しても容易に想像のつくことである。

16・17世紀のヨーロッパで絶対主義国家として成立した近代国家がその権力を増長させたのは、現下のパンデミックと同様「目に見えない敵」である「悪魔」との戦いを通じてであった。

悪魔の支配するところとなった魔女たちが、人間や家畜、農作物に被害を与えたり、ひいては、魔術によって国王暗殺を試みたりしていると信じられた結果、政治的支配者から一般民衆に至るまで、ありとあらゆる人々がその脅威に怯えていた。

悪魔の力に抗するために、ヨーロッパの絶対君主たちは、神的権威を自らが帯びていると主張した。

なぜなら悪魔に打ち勝てるのは神以外ではないからである。

こうしていわゆる王権神授説が唱えられ、王権は神に比肩する権威を主張するようになり、そのような権威を背景に、いわゆる魔女狩りが16世紀から17世紀にかけて猖獗を極めることとなった。

魔女狩りと近代国家の権威増強のプロセスとは、表裏一体の関係にあったわけである。

新型コロナウイルスは、2020年の「悪魔」である。

この「悪魔」に取り憑かれた人々は、魔女のように火刑に処されることはなく、国家によって隔離されるにすぎないが、魔女狩りの時代と同様、ある社会では不幸にも差別の対象になっている。

魔女狩りが近代国家の成長を助長したという歴史に照らしてみれば、ウイルスとの戦いが、近代国家をさらに強大化する可能性を示唆しているといえよう。

当然、国家は、感染病へのより迅速な対応を追求するようになるだろう。

迅速な対応は、経済活動の停滞期間を最小化するという意味でも、重要だからである。

しかし、その一方で、感染病の蔓延を防止するということが人命の保全という至上課題である限り、国家は人的移動の制限を必要に応じて行う権限を強化することにもなろう。

平時から、潜在的な感染ルートについてのデータを収集する必要にせまられることになり、それは監視国家への道を用意することにもなろう。

すでにBluetoothを使った人の移動の監視は日本でも論じられているし、ドローンによる監視はヨーロッパ諸国ですでに始まっている。

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コロナ危機で、国家の「権威と権力」はさらに強大化する~グローバル化の「裏の顔」があらわに~
週刊現代 2020.04.28







■「共謀罪」ってなんだ? これを読めばちょっとは語れる!

あさがくナビ(朝日新聞) 2017年03月22日





■時代の正体〈438〉共謀罪考(上)自由との境界壊す悪法

神奈川新聞 | 2017年2月3日





■”天下の悪法”共謀罪法案が強行採決寸前、国会周囲で毎日昼夜に抗議活動―野党に審議拒否求める声も

Yahoo!ニュース 2017/5/16 志葉玲






■まるで戦前の治安維持法? テロ対策の名を借りて復活した「共謀罪」の恐怖

ライブドアニュース 2016年9月29日 週プレNEWS





■「治安維持法が衣替えして復活している」…逮捕された100歳の生き証人が謝罪と賠償を求め続ける理由とは

東京新聞 2022年5月12日





■「共謀罪」と治安維持法、運用の危険性共通

朝日新聞 2018年03月05日




■共謀罪ー日本の刑事司法における大きな転換点

Yahoo!ニュース 2017/5/23 園田寿甲南大学名誉教授、弁護士





■安倍政権、違法な手続きで共謀罪成立の疑惑浮上…

Business Journal 2017.12.28 林克明/ジャーナリスト





■「共謀罪」の危険性を広く市民に知らせよう

懸念される、捜査手法の拡大と監視社会の到来

論座(朝日新聞)2017年01月18日 山下幸夫 弁護士
 




■テロ対策と五輪が“口実” 安倍政権が企む「共謀罪」の恐怖

日刊ゲンダイ:2017/01/07




■〈時代の正体〉「共謀罪」が生む監視社会 海渡雄一弁護士が語る

神奈川新聞 | 2017年1月20日





■証言 治安維持法「検挙者10万人の記録」が明かす真実 NHK「ETV特集」取材班著

東京新聞 2020年1月5日





■特定秘密保護法が濫用されまくるのは確実な理由について

Yahoo!ニュース 2013/11/26 志葉玲





■“世紀の悪法”と呼ばれる理由がわかった!『小説・特定秘密保護法 追われる男』が訴えるものとは

2015年03月03日 週プレNews





■政権で変貌、安全保障のいま

NHK 2019年12月11日





■<民なくして>「あの法律によって戦争をする国になってしまった」 安保法の是非を衆院選でも争点に

東京新聞 2021年10月4日





■プロから見て「安保法案」は何が問題なのか

法律の中身と首相の発言にズレがある

東洋経済 2015/07/20 美根慶樹





■安保法制成立で、再び戦争の時代に突入!? 昭和初期と現代「歴史は繰り返す」か?

2015.11.28





■安保法「命守らない政治、反対」37都市で抗議集会

毎日新聞 2016/3/29





■悪法を次々…安倍サンは国会も選挙もない国に変えたいの?

日刊ゲンダイ:2018/12/12  金子勝の「天下の逆襲」





■安倍政権、民主主義を破壊し、国家を蹂躙してきた7年間<100日で崩壊する政権・54日目>

ハーバー・ビジネス・オンライン 2020.05.25





■安倍晋三、コロナ禍に乗じて断行! 不要不急の「三大悪法」許すまじ

日刊大衆 2020.05.17





■菅首相の6人任命拒否で暴かれた、安倍前首相が犯していた憲法違反

まぐまぐニュース 2020.10.08





■改憲すれば戦時体制完成 今は「昭和3年」と酷似 内田博文・九州大名誉教授

毎日新聞 2019/9/24





■戦争動員総仕上げの共謀罪 

長周新聞 2017年1月18日





■映画人269人が「秘密保護法案」反対 高畑勲監督らが呼びかけ

J-CASTニュース 2013年12月04日





■「映画愛する皆さん、反対を」秘密保護法案に高畑、宮崎監督ら呼びかけ

スポニチ 2013年12月3日





■【日弁連】秘密保護法・共謀罪法の廃止を求めます(秘密保護法・共謀罪法対策本部)

日本弁護士連合会





■「思想犯」にされた日々 95歳と96歳 治安維持法を語る

Yahoo!ニュース 2017/09/13





■現代社会は、強権国家、監視国家をどうコントロールすべきか

・「監視国家」に注目、IT活用で感染者追跡

・非常時に膨れ上がった国家の権限

論座(朝日新聞)2020年04月30日





■岸田政権の“改憲”の本命「緊急事態条項」はこんなに危ない! 災害対策には役に立たず独裁を可能にする自民党条文案の罠

excite.ニュース 2022年05月04日





■倉田真由美氏 “緊急事態条項”3月中に条文案取りまとめを警戒「恐ろしいことが着々と」

2023年3月12日 東スポWEB





■知らなきゃヤバい!緊急事態宣言と緊急事態条項の違いについて

2021/05/09




■憲法への新設が議論 「緊急事態条項」の危険性

2022/06/23 サンテレビニュース(兵庫県)




■伊藤 真 弁護士が語る「加憲」の危険性②「緊急事態条項」

2017/10/12





■『ナチスの「手口」と緊急事態条項』刊行記念 長谷部恭男先生×石田勇治先生 トークイベント

2017/10/03 集英社新書





■【緊急事態条項】9割の国民が知らない危険な中身

2023/01/19 堤未果 / 月刊アンダーワールド / 公式チャンネル





■憲法改正 古舘伊知郎が語る緊急事態条項の危険性  報道ステーション  改憲阻止!

2022/07/14





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