【無料公開中】安保法制成立で、再び戦争の時代に突入!? 昭和初期と現代「歴史は繰り返す」か?

『安保法制と自衛隊』(青林堂)

――1980年代後半から続いたバブル景気の崩壊後、長期の経済停滞にあえぐ日本では、格差の拡大、ナショナリズムの高揚、中国の台頭への警戒感の高まり等々の問題が噴出しており、そのさなか、強い批判を受けながらも安倍晋三政権は2015年9月、いわゆる安保法制を成立させた。こうした状況に対して昨今聞かれるのが、今という時代が、15年戦争へとつながっていく大正から昭和初期にかけての時代と似ているのではないか、という指摘だ。そこで、こうした指摘の妥当性について、歴史の専門家の意見を聞いてみた!

 去る9月19日、集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障関連法案が成立した。

 この安保法制をめぐっては、自衛隊の海外での武力行使に道を開きかねないとして、かねてより「憲法違反である」との指摘があり、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)などが主導する国会前デモをはじめとする反対運動が一般市民を巻き込み全国的な盛り上がりを見せたのは周知の通りである。

 かように安保法制は強い批判を受けながら成立したわけであるが、その批判の中には「戦争法案」といった法案そのものへの批判のほか、それを強引に押し通した安倍晋三内閣の姿勢を問題視するものも多かった。さらには、そのような現代という時代を俯瞰し、以下のような不安を抱く向きも。すなわち、歴史的に見て現代は、およそ100年前、大正から昭和初期の状況と似ているのではないか。なればこの先に待っているのは、破滅的な戦争の時代ではないのか、と──。

 またもや日本は、戦争に突き進む国になってしまうのか。本稿ではこの点について歴史の専門家に話を聞きながら検証していくが、まずはその「似ている」というのが何を指しているのか、その具体的な中身について説明していこう。

 大正初期の日本は、第一次世界大戦に伴う大戦景気に沸いたが、やがて戦後恐慌と関東大震災の影響で長い景気低迷期に入る。他方で、「大正デモクラシー」の気運が高まるその裏で治安維持法が成立。昭和に入ると二大政党による政党政治がいったんは確立するが、満州事変および五・一五事件を経て完全に瓦解、以後、軍部の政治的台頭により日中戦争、そして太平洋戦争へと向かっていく。

 では現代はどうかというと、1980年代後半からのバブル景気が終焉を迎えたのち、阪神・淡路大震災を経て日本は「失われた20年」に突入。政治面では93年に自民党が初めて下野を経験し、09年には民主党による政権交代が実現するも失策を重ね、もはや二大政党制ではない、自民党の「一強他弱」状態に。その結果、安倍政権は特定秘密保護法や安保法制など、国民の理解を得たとは言い難い法案を「数の力」で押し通すに至っている。

 こうして見てみたとき、まず目につく類似点は、「空前の好景気からの長期的な景気後退」であり、そのタイミングで起きた「巨大な自然災害」であろう。

 1914~18(大正3~7)年の第一次世界大戦に際し、日本は「大正バブル」とも呼ばれる大戦景気の恩恵を受けた。この背景には、大戦によって列強がアジアから後退したことで、日本がアジア市場に進出し、また拡大するヨーロッパ戦線へも軍需品・日用品を供給したことによる大幅な輸出超過がある。その結果、海運・造船業や鉄鋼業などの工業生産額が激増し、14年に11億円の債務国であった日本は、20(大正9)年には27億円以上の債権国となった。

 しかし、疲弊したヨーロッパ列強が20年頃に市場に復帰すると、日本経済は一転して輸出不振となり大量の余剰生産物が発生、株価も大暴落した。この戦後恐慌に追い打ちをかけたのが、23(大正12)年の関東大震災である。経済の閉塞感は深刻化し、その状況は30(昭和5)年の昭和恐慌(29年にアメリカから始まった世界恐慌の影響)まで続く。

 翻って現代に目を移すと、86~91(昭和61~平成3)年にかけて、日本は株式や不動産を中心とした資産価値の過度な上昇によるバブル景気を迎えている。80年代後半には、東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという算出結果が出るほど日本の土地価格は高騰し、日経平均株価も89(平成元)年の大納会で史上最高値の3万8957円44銭を付けた。しかし、実体経済と乖離して急騰した資産価値はほどなくして急速な下落に転じ、日本はバブル崩壊と共に先の見えない大不況に陥る。そして、95(平成7)年の阪神・淡路大震災が経済にさらなるダメージを与えた。

 自然災害に関しては単なる偶然に過ぎないが、ついでにいえば、昭和恐慌が起こった30年代前半には東北地方で大飢饉が発生しており、また07(平成19)年のサブプライムローン問題、および翌08(平成20)年のリーマンショックが招いた世界金融危機の対処に追われていた11(平成23)年には東日本大震災が発生している。このように恐慌と天災がセットでやってくるというのも奇妙な一致ではなかろうか。

天皇大権のもと成立した政党内閣

 さらに政治・社会・文化面を横断的に見た際に挙げられる類似点が、「自由な空気の拡大」と、その裏で成立していった「抑圧的な法律」であろう。

 大正デモクラシーとは、1910年代から20年代にかけて見られた民主主義の発展や、自由主義的な運動などの総称であるが、この大正デモクラシーを完成に至らしめたといわれるのが、25(大正14)年に制定された普通選挙法である。これにより、従来の納税額による制限選挙から納税要件が撤廃され、満25歳以上のすべての成人男子に選挙権が与えられ、大衆の政治参加が実現したのである。

 また、普通選挙法の成立に先立ち、18(大正4)年に立憲政友会の原敬によって日本初の本格的な政党内閣(議会で多数を占める政党を基礎に組織された内閣)も誕生している。本来、天皇大権(天皇が行政権・司法権・立法権をはじめとする統治権全般を有する)を定める大日本帝国憲法下で政党内閣制は不可能なのだが、大正デモクラシーの代表的言論人の美濃部達吉が提唱した「天皇機関説」が、これに論理的根拠を与えたのだ。

 ほかにも、言論・集会・結社の自由を求める運動や、平塚らいてうらによる女性解放運動、22(大正11)年に設立された全国水平社による部落解放運動、労働運動など、さまざまな自主的集団による社会運動が展開された。

 しかし、そうした自由な空気が醸成される一方で、その象徴たる普通選挙法の成立と同時に、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的とした治安維持法も制定されている。これがのちに言論弾圧・粛清の根拠として機能したのは歴史が示す通りである。

 戦後、民主主義国家として新たなスタートを切った日本において、大正デモクラシーのような思潮にぴったり符合する動きはないかもしれない。しかし、たとえば「女性の権利」という観点から見れば、バブル前夜の85(昭和60)年に、職場における男女差別を禁止すべく制定された男女雇用機会均等法は、97(平成9)年と06(平成18)年の改正により差別禁止の範囲を拡大した。また99(平成11)年には男女共同参画社会基本法も制定され、福祉面では92(平成4)年に育児介護休業法など、少子化対策も見込んだ法律も整備されている。これらは世相の要求に応じたリベラルな変化であろう。

 その一方で、13(平成25)年には、国家の安全保障に関わる情報を「特定秘密」に指定し、漏らした者に罰則を定めた特定秘密保護法が、そして今年9月には安保法制が成立。前者は言論統制に繋がる「平成の治安維持法」、後者は自衛隊の海外での戦闘参加を認める「戦争法案」だと、主に左派勢力から厳しく批判された。

 なお、戦史・現代紛争史研究家の山崎雅弘氏はツイッターで、反安保デモを「今後の展開次第では、今この国で起こっている現象が『平成デモクラシーの初期段階』として後世の歴史書に書かれるかもしれない」と評価している。つまり、危険な法律によってデモクラシー的な運動が喚起されたという見方も可能であろう。

共通する政党への失望 そしてカリスマ待望論……

 最後に、戦前と現代との類似点のうち、ある意味において最も重要なもの。それが「政党政治の機能不全」と、その後の混乱である。

 25年の普通選挙法成立後、最初の男子普通選挙が実施されたのは28(昭和3)年の総選挙だった。結果は、「国民の生活」を争点に選挙を戦った立憲政友会と立憲民政党が票を分け合う(政友会217議席、民政党216議席)格好となり、国民としては、国家目標を共有する二大政党が競争しながら議会を運営することを期待していたはずである。

 ところが、30(昭和5)年の総選挙で圧勝した民政党が、「数の力」でロンドン海軍軍縮条約を批准したため議会は混乱する。民政党としては、昭和恐慌に対処すべく緊縮財政を敷く意図から軍縮は必須であったが、野党政友会は、海軍軍令部の承認なく兵力量を決定したことは「統帥権干犯」に当たると反発。これに対し民政党は、条約の正当性を認めさせるため、議会中心主義を掲げながら天皇大権を濫用するという愚を犯した。

 かくしてせっかく成立した二大政党制的な動きは、党利党略での足の引っ張り合いに陥っていく。極言すれば二大政党制は、相手の党が失策を犯せば自らの党に政権が転がり込むことのみを意味するようになっていくのである。当然、国民は政党に対し懐疑的になり、政党政治の威信は失墜する。

 また、昭和恐慌に東北大飢饉が重なり都市部では失業者が急増、農村部も窮乏するなか、31(昭和6)年に関東軍(中華民国東北部・満州に駐留していた大日本帝国陸軍)による満州事変が勃発。このとき、二大政党による協力内閣構想が実現しかかったが、事態が沈静化の兆しを見せると与党民政党は単独で解決を図ろうとし、野党政友会も翌32(昭和7)年の総選挙を見据えて離反していった。

 そして、野党政友会は思惑通り同選挙の争点を景気対策一本に絞って大勝するが、満州問題は放置され、関東軍は戦線を拡大。この「外からのクーデター」が国内のクーデターに連動し、同年、帝国海軍の青年将校たちが犬養毅首相を殺害した五・一五事件により政党政治は崩壊する。さらに36(昭和11)年に起こった二・二六事件により、軍部の政治的影響力が増大することとなっていくのだ。

 こうした二大政党制への期待と失望は、平成を生きる我々も繰り返し経験しているところであろう。1度目は、93(平成5)年に非自民・非共産連立政権として誕生した細川護煕内閣。このとき、自民党が55(昭和30)年の結党以来初めて野党に転落したことで、世論は「新しい政治が始まるかもしれない」という期待に満ちていた。事実、細川内閣は発足当初71%という驚異的な支持率を誇ったが、連立の一致点であった「政権交代可能な政治改革」として、衆議院選挙への小選挙区制導入などを実現すると急速に求心力を失い、わずか9カ月で総辞職。後を引き継いだ羽田孜内閣も、在職日数64日という日本国憲法下ではワースト1の短命内閣に終わった。

 この政界の混乱を経て、94(平成6)年に自民党は社会党を抱き込み、社会党委員長の村山富市を内閣総理大臣に任命するという奇策で政権に復帰(自民党・社会党・新党さきがけによる連立政権)すると、98(平成10)年の小渕恵三内閣で再び単独与党となった。他方で社会党は96(平成8)年に社民党へと改組、および分裂し、いまやかつての野党第1党だった姿は見る影もない。

 その後、00年代前半の自民党は小泉純一郎首相のもと長期安定政権を築くが、小泉退陣後は短命内閣が続き、内閣支持率も低迷したことで再び政権交代の気運が高まった。この流れに乗った民主党が、09(平成21)年の解散総選挙で圧勝。これにより政権交代可能な二大政党制に近づいたかに見えた。しかし、圧倒的な人気を背に与党となった民主党も失策を繰り返し、11年の東日本大震災でも場当たり的な対応に終始するなど、結局は政権担当能力のなさを露呈しただけであった。

 その反動から、翌12(平成24)年の解散総選挙で民主党は記録的な大敗を喫し、代わって単独で絶対安定多数(269議席)を確保した自民党が与党に返り咲く。ただ、自民党大勝の背景には「他にマシな政党がないから」という消極的支持も少なからず含まれていることを各種世論調査は示している。これは、まさしく政党政治の機能不全にほかならない。

 ここで再び歴史を戦前昭和に巻き戻すと、政党政治が終焉を迎えた結果、国民はカリスマ的な政治指導者を求めはじめる。そこで37(昭和12)年に首相の任に就いたのが、血筋も見た目もよく、大衆的な人気も獲得していた近衛文麿である。国民の絶大な支持のもと、近衛は同年の盧溝橋事件に端を発する日中戦争の長期化に伴う政治・経済上の危機に対処すべく、全体主義的な国家形成を目指し、40(昭和15)年に大政翼賛会を設立。すべての既存政党は解党し、これに合流することになる。つまり、政党そのものが消滅したのである。しかし近衛は41(昭和16)年10月に政権を投げ出し、後を継いだ東條英機が同年12月に英米に宣戦布告、日本は翼賛体制のまま太平洋戦争へとその身を投じていく──。

 一方、見た目はともかく血筋の面では折り紙つきの現首相・安倍晋三も、かつて第1次安倍内閣で「政権投げ出し」をやらかしたこともあり、たびたび近衛と比較されている(ちなみに近衛は細川護煕の祖父に当たる)。また、山崎拓自民党元副総裁は今年9月、安倍首相の無投票再選となった党総裁選を「党が大政翼賛会的になっている」と批判した。従来の自民党は、党内で左派勢力と右派勢力が拮抗し、いわば党内で政権交代が行われているような状態だったが、現在は右派=安倍の暴走を制する者が党内にいない、というわけである。

 こうして見てみると、確かに日本は、かつて来た道を再び歩み始めているかのようにも映る。もちろん、戦前と現代では国内外の情勢も違えば、国民の意識や価値観も異なる。しかし……。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と語ったのはカール・マルクス。そこでいよいよ次ページからは、2人の歴史の専門家にご登場いただき、具体的な検証作業に入っていこう。本稿では、政治や天災などといった比較的わかりやすい面からばかり類似点を挙げてみたので、それとは違う方向から光を当ててみたい。軍隊のあり方という視点から、埼玉大学教養学部准教授の一ノ瀬俊也氏に、経済面からは、明治大学政治経済学部准教授の飯田泰之氏に、それぞれの立場から論じてもらうこととしよう。

(文/須藤 輝)


【共通点1】「空前の好景気からの長期的な景気後退」[大正3年~]大戦景気×[昭和61年~]バブル経済

[戦前]1次大戦の勃発で列強がアジアから後退、日本からアジア市場や欧州市場への輸出が増加し、債務国から一転、1920(大正9)年には27億円以上の債権国となった。

[現在]1985(昭和60)年のプラザ合意で急速な円高が進行、輸出に頼れない日本政府が内需拡大策を取った結果、株や土地への投機を生んだ。


【共通点2】「巨大な自然災害」
[大正12年]関東大震災×[平成23年]東日本大震災

[戦前]1923(大正12)年9月1日、神奈川県沖でマグニチュード7.9の地震が発生。200万人近くが被災、10万人超が死亡したとされ首都は混乱、戒厳令も発布され、流言飛語による朝鮮人虐殺も起こった。

[現在]2011(平成23)年3月11日、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生、1万5000人超の死者、2500人超の行方不明者を生んだ。また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も引き起こされた。


【共通点3】「自由な空気の拡大」
[大正14年]普通選挙法の公布×[昭和60年]男女雇用機会均等法

[戦前]青鞜社の結成(1911年/明治44年)、政党内閣の成立(1918年/大正7年)、全国水平社の結成(1922年/大正11年)等々、一連の社会運動の広がりを大正デモクラシーと呼ぶ。

[現在]男女雇用機会均等法(1985年/昭和60)、育児・介護休業法(1991年/平成3年)に、介護保険法(1997年/平成9年)等々、差別禁止、福祉の向上などの観点から多くの法律が制定された。


【共通点4】「抑圧的な法律」
[大正14年]治安維持法の公布×[平成27年]安保法制の成立

[戦前]普通選挙法の成立と同時に、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的とした治安維持法も制定された。これがのちに、戦時下の言論弾圧を生むこととなった。

[現在]1999(平成11)年には国旗国歌法や通信傍受法、2013(平成25)年には特定秘密保護法、そして2015(平成27)年には「戦争法案」とも批判された安全保障関連法が成立した。


【共通点5】「政党政治の機能不全」
[昭和7年]五・一五事件×[平成24年]民主党の惨敗

[戦前]1918(大正7)年にいったんは成立した、二大政党制による政党内閣も、党利党略による争いから1930年代以降徐々に支持を失い、1932(昭和7)年の五・一五事件で完全についえてしまった。

[現在]1993(平成5)年の細川内閣成立による政治改革のうねりは、2009(平成21)年の民主党政権の誕生によって大きな実を結んだかに見えたが、政権運営能力の欠如が露呈、政治不信を生むに至った。


「大正~昭和」「昭和~平成」それぞれの“30年”

大正から昭和初期
大正3年・7月 第一次世界大戦勃発
大正3年・7月 第一次世界大戦勃発
8月 日本、対ドイツ宣戦布告
大正4年・1月 中国に二十一カ条の要求
大正7年・7月 米騒動
8月 シベリア出兵
9月 原敬内閣成立で政党内閣開始
11月 第一次世界大戦終結
大正8年・1月~ パリ講和会議・ヴェルサイユ条約調印
3月 朝鮮で三・一独立運動
5月 中国で五・四運動
大正9年・1月 国際連盟加盟
5月 日本初のメーデー
大正11年・2月 ワシントン海軍軍縮条約締結
3月 全国水平社の創立
大正12年・9月 関東大震災、甘粕事件
大正14年・1月 日ソ基本条約調印
4月 治安維持法公布
5月 普通選挙法公布
昭和2年・3月 金融恐慌始まる
昭和4年・10月 世界恐慌勃発
昭和5~9年 東北大飢饉
昭和6年・9月 満州事変
昭和7年・3月 「満州国」建国宣言
5月 五・一五事件で犬養毅首相暗殺され、政党内閣終わる
昭和10年・2月 美濃部達吉の天皇機関説が問題になる
昭和11年・2月 二・二六事件が発生
昭和12年・7月 盧溝橋事件が発生、日中戦争へ
昭和16年・12月 真珠湾を攻撃、日米開戦、太平洋戦争へ
昭和末期から平成
昭和62年 バブル景気始まる
昭和63年・6月 リクルート事件発覚
平成元年・11月 ベルリンの壁崩壊
12月 日経平均株価が史上最高値
平成2年・3月 総量規制通達、バブル崩壊の始まり
平成3年・1月 湾岸戦争勃発
12月 ソ連崩壊
平成4年・6月 PKO協力法成立
平成5年・8月 細川護熙内閣の成立
平成6年・6月 自社さ連立政権成立
平成7年・1月 阪神・淡路大震災
3月 地下鉄サリン事件
8月 村山談話(戦後50年)
平成8年・9月 民主党結党
平成10年・4月 新民主党結成
平成11年・8月 国旗国歌法、通信傍受法成立
平成13年・9月 アメリカ同時多発テロ事件
10月 アフガニスタン紛争勃発
平成15年・3月 イラク戦争勃発
平成17年・8月 小泉談話(戦後60年)
9月 郵政解散後の総選挙
平成18年・1月 ホリエモン逮捕、ライブドアショック
平成20年・9月 リーマン・ショック
平成21年・1月 オバマ大統領就任
9月 民主党政権誕生
平成23年・3月 東日本大震災発生
平成24年・12月 第2次安倍内閣誕生
平成25年・12月 特定秘密保護法成立
平成26年・7月 集団的自衛権容認を閣議決定
平成27年・9月 安保法制成立
大正:1912年7月~1926年12月/昭和: 1926年12月~1989年1月/平成:1989年1月~

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