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ポール・マッカートニーと戴冠式 「アイルランドに平和を」の思い出

5月6日、ポール・マッカートニーはツイッターで、チャールズの戴冠式を「楽しもう」と呼びかけた。


その戴冠式の模様を見て、5月7日、イギリス王室の専門家、君塚直隆氏はこうツイートした。

何より画期的だったのは、アイルランド共和国からヒギンズ大統領夫妻が駆けつけられたことですよね。こんなこと70年前には考えられないことでしたね!
*70年前=正確には71年前、1952年のエリザベス2世戴冠式のこと


なぜ、アイルランド大統領の参列が「70年前は考えられなかった」のか。

それで、51年前の1972年、ポール・マッカートニーがウィングス最初のシングルとして発表した「アイルランドに平和を」を思い出したのは私だけではないと思う。

「アイルランドに平和を Give Ireland Back To The Irish


アイルランドは1922年にイギリスから分離独立したが、イギリス領として残された北アイルランドで、親アイルランド派(カトリック系)と親イギリス派(プロテスタント系)の対立が続いていた。

1972年1月30日、北アイルランドで、親アイルランド派のデモ隊にイギリス軍が発砲し、14人が死んだ(血の日曜日事件)。

ポールの「アイルランドに平和を」は、それに抗議して作曲されたもので、「アイルランドをアイルランド人に返せ」と歌っている。曲は1日で作られ、事件から1カ月もたたず緊急発売された。

Give Ireland back to the Irish
アイルランドをアイルランド人に返せ
Don't make them have to take it away
アイルランド人に国を諦めさせようとするな
Give Ireland back to the Irish
アイルランドはアイルランド人に返せ
Make Ireland Irish today
アイルランドを今日、彼らのものにしろ
Great Britian you are tremendous
大英帝国はなんてことをするんだ

ビートルズが生まれたリバプールはアイルランド人が多いところで、ポールもアイルランド系である。(ジョン・レノンやU2もこの事件の曲を作っている)


この曲は、イギリスで放送禁止となったが、アイルランドでは1位になった。


以上のようなことは「ビートルズ学」の基礎知識と思われるが、「アイルランドに平和を」が私に思い出深いのは、ちょうど洋楽を聞き始めた時期の曲だったからである。私がポールで最初に思い出すのが、それらの曲なのだ。

1972年は、私の「洋楽元年」であると共に、私に言わせれば「ポール・マッカートニーの奇跡の年」だった。この年、ポール(とウィングス)は、矢継ぎ早に3枚のシングルを発表する。

2月 「アイルランドに平和を」

5月 「メアリーの子羊 Mary Had A Little Lamb」


12月「ハイ・ハイ・ハイ Hi, Hi, Hi」


「アイルランドに平和を」は前述のごとく政治的理由で、「ハイ・ハイ・ハイ」は性的エクスタシーを暗喩し卑猥だという理由で、本国などで放送禁止になった。

そして、その2つの放送禁止歌に挟まれた「メアリーの子羊」は、人畜無害を絵に描いたような「童謡」だった(当時3歳だったポールとリンダの長女メアリーのために作曲され、彼女もレコーディングに参加している)。

とんがった曲から「童謡」まで、メロディ・メーカーとしての才能を遺憾なく発揮する天才に、私は完全にノックアウトされた。

日本ではもちろん、いずれも放送禁止などにはならず、それらの曲が一年中流れてヒットしていた。

長らくアルバムに収録されなかった3曲だが、私にとって最も思い出深いポールの曲で、今でも3曲とも大好きである。

一般にはウィングスは1973年の「バンド・オン・ザ・ラン」以降の評価が高いが(今年は「レッド・ローズ・スピードウェイ」と「バンド・オン・ザ・ラン」の発売50周年でもある)、1972年のポールのこれらの曲は、いちばんとんがっていた時期の荒削りな勢いと、幅広い音楽性を発揮した楽曲群として、特筆されるべきだと思う。

(私が物心ついた時にはビートルズは解散していた。私はこのころのポールに心をつかまれ、それからビートルズに入っていったのである。)


1998年の和平合意で北アイルランド紛争は解決する。

それにより、70年前のエリザベス女王戴冠式ではあり得なかった、アイルランド共和国大統領の参列が、今回のチャールズ王戴冠式では実現したわけだ。


ポール・マッカートニーとイギリス国家との「和平」は、その国家間の和平の前から実現していた。

和平合意前年の1997年、ポール・マッカートニーはイギリス王室からナイト爵を授与されて「Sir」となった。

さらに、2018年には「名誉勲章 Order of the Companions of Honour(CH)」をエリザベス女王から得ている。ビートルズ時代の1965年にMBE勲章(Member of the Most Excellent Order of the British Empire)を得ているから、ポールは英国では正式には、

Sir James Paul McCartney CH MBE

という称号になるそうだ。

もっとも、ポールは他人に「Sir」と呼ばせることも、自分でそう呼ぶこともないそうだが。

なお、ジョン・レノンは、ベトナム戦争(へのイギリスの協力)に抗議してMBE勲章を返還したが、勲章は王室に保管されており、叙勲が取り消されたわけではない。また、リンゴ・スターにも2017年、ポールから20年遅れで「Sir」が贈られた。


ポール・マッカートニーが、戴冠式関連で、何かイベントをおこなうかどうかは知らない。

彼が、この機会に「アイルランドに平和を」を書いたころの思いや、その後や現在の心境を語ってくれれば興味深いが、たぶんそういうことはないだろう。

私自身は70年前のエリザベス女王の戴冠式のことは知らない。生まれていないから。

しかし、51年前の「アイルランドに平和を」に感激したことは鮮明に覚えており、あれから50年もたつのか、という感慨にふけるのみだ。


<参考>




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