見出し画像

【Netflix】「シモン・ペレス 生涯の軌跡」 安倍暗殺事件と重なる政治家の肖像

オスロ合意の立役者


イスラエル「建国の父」の1人で、首相、大統領を務め、1994年のオスロ合意(イスラエル・パレスチナの和平合意)により、ノーベル平和賞を受賞した。政治家としてのキャリアは70年におよび、生涯現役、2014年に93歳で亡くなった。

そのシモン・ペレスの生涯を追うNetflixの新作ドキュメンタリー映画。


ナレーションをジョージ・クルーニーが務めていることでもわかるとおり、ペレスは西欧ではリベラルに人気があった。国防次官を務めたが、軍役はなく、和平追求派と見られた。(軍役のなさは選挙で彼の弱点になったが)

このドキュメンタリーではクリントンとオバマがペレスを称え合い、ペレスの大統領退任式でペレスのために歌ったバーブラ・ストライサンドも登場する。

日本の左翼リベラルは(重信房子人気でわかるとおり)反米主義もくわわってパレスチナびいきだから、彼らがシモン・ペレスを褒めたのを聞いたことがない。かく言う私も彼のことはほとんど知らなかった。

それでなくても、イスラエルは、日本にとって遠い国だ。北半球で日本の裏側に位置するこの国は、地理的にも、思想的にも遠い。

だから、イスラエルから見た現代史ともなっているこのドキュメンタリーは、たいへん勉強になった。

日本とイスラエルの距離


日本とイスラエルは、戦前の日ユ同祖説みたいなトンデモはともかく、基本的に同一民族から成り、資源に乏しい小国で、敵国に囲まれ、外交と科学技術を頼りに生きて行くしかない、という国の境遇は似ている。

シモン・ペレスの得意分野は、国防、核開発を含む科学技術、そして外交だった。偉人の伝記だから、ペレスの美点ばかりが取り上げられてるが、当然、きれいごとばかりではなかっただろう。

武器の調達や、核開発のために、世界中のユダヤ人億万長者からカネを集める役を担ったのもペレスだ。合法だろうが非合法だろうが、国のためならなんでもやる、という一面も、ちらほらとは描かれている。


長い政治活動の中、世界中を飛び回っており、このドキュメンタリーでも世界の要人たちと会う映像が挟まれる。しかし、日本の政治家は出てこない。日本だけでなく、アジアはほとんど出てこない。それも、日本とイスラエルとの距離感を表しているだろう。ペレスは当然、何度か来日しているのだが。

2007年の来日時、第一次政権の安倍首相と並んだ写真があったので貼っておこう。

記事写真キャプション:東京の首相官邸で写真撮影に応じるイスラエルのシモン・ペレス副首相(当時、中央)とパレスチナの交渉責任者、サエブ・アリカット氏(左)、安倍晋三首相(2007年3月14日撮影)。

(c)AFP/FRANCK ROBICHON


盟友が暗殺された時


そしてーー安倍晋三氏暗殺事件のことがあるからだろう。

私がいちばん感動したのは、1995年、ラビン首相が暗殺された時のペレスの行動だ。(ペレスも参加した党の集会で、至近距離から銃殺された。犯人は和平反対派のユダヤ人青年だった)

ラビンは、労働党内で、ペレスが常に党首選を争っていた相手だった。ペレスにとって長年の同志であると共に、最大のライバルだった。2人の不仲は公然の秘密とされていた。(そして、常にラビンが優勢だった)

しかし、ラビン暗殺の夜、ペレスは、警備の反対を振り切って、ラビンが担ぎ込まれた病院に向かった。そして、夫の死をラビン夫人に伝える役を担った。

副首相だったペレスは急遽、首相代行となる。周囲は「いま選挙をすれば絶対に大勝する」と進言したが、ペレスは「あり得ない。悲劇を政治に利用すべきではない」と拒否する。

この時のペレスの国会での暗い表情は、今回の件での岸田氏や菅氏の表情に重なった。

晩年のインタビューでこう答えている。

「(ラビンを)兄貴のようだったと心から思っていたのです。身を切られるようでした。悲しみは重すぎました。特につらかったのが、相談する人を失ったと気づいた時。最も寂しいと感じる瞬間です」

シモン・ペレス 生涯の軌跡


このインタビューで、その時を振り返るペレスの顔には真情があふれている。

ふだん、政治家が選挙民やマスコミに見せない部分、政治家同士の友情や心の機微を、感じさせる部分だ。


指導者の条件


結局、テロの横行を非難されて、ペレスの労働党は次の選挙で敗れる。

最終的には(名誉職とはいえ)大統領を任期いっぱい務めて死んだペレスは、政治家としてはこれ以上ない人生だっただろう。とはいえ、長い政治活動で、苦汁をなめることが多かった。

クリントンやオバマは、彼の不屈の「楽観主義」こそが、世界の政治家を励ました、と語る。

しかし、彼を政治家として大成させたのは、外交場面で、秘密の約束であれ、約束したことは必ず守る、という姿勢であり、彼自身がインタビューで語っている「一度人を裏切ったら、二度と指導者にはなれない」という信念だったのではないか、と私は思った。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?