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望月衣塑子に厳罰を

望月衣塑子・東京新聞記者が昨日、参議院法務委員会で傍聴席からヤジを飛ばし審議を妨害した。

それを鈴木宗男・参議院懲罰委員長に注意されている。


周知のとおり、望月の非行はこれまでも数知れず、何とかしろとここでも何度も書いてきた。

そして望月に先導されるように、このところ新聞記者全体のモラルが崩壊していた。


怒りというより、マスコミOBとしてただただ恥ずかしい。

昔から、新聞社、とくに朝日、毎日、東京(中日)、北海道、西日本などには左翼の活動家が多く、社内で好き放題やっているという話はあった。

しかし、ここまでの例はさすがに珍しい。


私なんかはものの数に入らないが、それでも大勢のマスコミ人が、情報の信頼性のために日々地味な努力を積み重ねている。

望月の愚挙は、そうした膨大な良心の作業を無に帰してしまう。

こういう記者がいると、過去までさかのぼって、新聞の公平性が疑われて仕方がない。

そして、将来、本当に大事な局面で新聞が真実を伝えようとしても、誰も信じてくれなくなる。


学者の中の「活動家」の言動も、最近は許容範囲を超えつつある。

毎日新聞に載った五野井郁夫の「キャンセルカルチャー正当化論」らしきものが(私は有料記事を読んでいないから詳細はわからないが)、SNSで批判の的になっていた。


まともな学者からの批判も追って出てくることだろう。すでにSNSで反応がある。


オピニオンの違いはあれ、我々が等しく信じていた「自由」や「民主主義」の原則が、崩れていくのを感じる。

自由は、たとえ自分が少数派でも意見を述べる権利と、いかに自分の気にくわない意見でも封殺してはならない謙抑を求める。だからキャンセルカルチャーは不当だ。

民主主義は、たとえ自分の意見と違う決定でも民主的ルールの下の決定には従う義務と、そのルールが味方にとっても敵にとっても公正であるよう互いに務める責任を求める。望月の国会における行動が幾重にも不当であることは明らかだ。


自由と民主主義を守るのは我々の総意だと思っていたし、メディアとアカデミズムはその前提の下に、その前提を守るために存在していると思っていた。

それがこうして目の前で次々と裏切られていく現実に耐えられない。



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