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暇空茜氏に今年のジャーナリズム賞を

今年も後半に入りました。

この季節になると、マスコミでは「新聞協会賞」だの「ジャーナリズム大賞」だのの選考準備を始めます。秋から暮れにかけて結果が発表される。

ああいうのは、ちゃんとしたスクープとかがあればいいけど、なければ、仲間内の談合で決まるしょうもない受賞になりがちだ、とマスコミ現役時代から思っていました。

だいたい持ち回りで、業界バランスが崩れないよう配慮されている。


もちろん、受賞に値する文句なしのスクープも、たまにはあります。

2000年の毎日新聞「旧石器発掘捏造」スクープなんかがそうですね。

でも、オールドメディアの本物のスクープは、あれ以来、出てないんじゃないかな。毎日新聞もその後左傾化して鳴かず飛ばずだ。(いつの間にか「スクープの毎日」と言わなくなった)

北朝鮮の拉致をスクープできてればよかったけど、それを2004年に「スクープ」したのは小泉純一郎と安倍晋三らの官邸でした。(1990年代から国会で問題になり、日本記者クラブに加盟していない産経新聞は疑惑を報じていましたが、他のメディアは無視した)

2020年、西日本新聞・中日新聞の愛知県知事リコール捏造暴露は、久々の大スクープかと興奮させましたが、あの程度で収束させては竜頭蛇尾だと思う。

そして、今年のジャニーズ性加害スクープを放ったのは、国内メディアではなくBBCでした。

「マイナカード」関連の報道が、受賞するのかな。昔から、なぜか日本のマスコミは「国民背番号制」つぶしに血道を上げる。


私の考えでは、今年は、colabo問題追及の暇空茜氏が、ジャーナリズム賞を取っていいと思う。

これぞ調査報道という手法で、ほぼ独力で非営利団体の「会計不正」疑惑に斬り込んだ。

私の知る限り、氏は「権力」を一切使わず、東京都という巨大権力と非営利団体の関係にメスを入れた。東京都は一国家に匹敵する「伏魔殿」であり、団体側には左派メディアと野党議員という別の権力も味方に付いて「鬼に金棒」状態だったが、暇空氏はひるんでいない。(そういう抵抗の大きさが、利権の「鉱脈」の大きさを物語っているとも言える)

「成果」は今のところ小さいとしても(再監査で不正と認められのは200万弱。係争中)、何かよさげなイメージのNPOやNGOの一部は、活動家の利権の温床になっているのではないか、という疑いは先進国で共通のものだと思うし、その追及に世論を巻き込んで先鞭をつけた意味があります。

裁判費用(法的コスト)をクラファンで集めたことなど、「市民ジャーナリズム」の1つの形を明確に示した点でも、大きな業績だと思うんですね。


暇空氏以外なら、ジャニーズ性加害報道のBBCに賞を与えるか、文春のジャニーズ疑惑追及がさかのぼって顕彰されるべき年だろう(文春のその他のスキャンダル報道はくだらないが)。

あと、裁判とかではボロボロになりながらも、主流メディアが報じない同和問題の闇に挑みつづける神奈川県人権啓発センター(示現舎)に、何かあげたい。


もちろん既成メディアは、暇空氏その他の業績に一切触れないだろうし、まして顕彰したりしない。

自分たちの「利権」に逆らう存在だから。

「流行語大賞」も利権の1つだから(既成メディア関係者が審査員を務める)、「公金チューチュー」は無視される。

鳥越俊太郎氏の「オーマイニュース」とか、マスコミが「市民ジャーナリズム」を盛り上げようとしたことはありました。

でもそれは、「市民ジャーナリズム」が自分たちに従順で、自分たちの「天下り」先に使える限りであって、自分たちに敵対するのなら、すべて「フェイク」として取り締まるべき対象になるでしょうね。


暇空茜氏自身、かなりの右派思想の持ち主らしいし、性格に癖のある方のようです。

暇空氏を攻撃する側は、彼の「ネトウヨ」性や「オタク」性を印象付けようとしている。

しかし、私の経験では、大スクープをとってくるような記者は、だいたい性格に問題があった。スクープはたいがい、盗聴とか盗撮とか、ネタ元と性的に関係するとか、違法ギリギリか、はっきり言って違法な手法でしかものにできないものです(その点、暇空氏が「遵法」にこだわったのは評価できる)。

人格と業績は切り離して考えるべきだと思うんですね。とくにジャーナリズムのような分野では。


既成マスコミには左翼の活動家がかなり入り込んでいる(それを私は経験から知っている)。スクープの背後に(とくに保守政治家の「失言」関連)、思想的「底意」がありそうなのは、既成マスコミも同様でしょう。

しかし、スクープの評価に、右とか左とかの思想は関係ない。「旧石器」や「愛知リコール」は、どちらかといえば「右」が打撃を受けるスクープだった。「colabo」は「左」にとっての打撃だが、それは結果にすぎません。

スクープの価値は、「どれだけ当事者が隠したい事実を暴いたか」と、「その事実の公益性の大きさ」によって評価すべきです。暇空氏の場合は、公金の使途という最も公共性ある問題であり、マスコミも一緒になって隠そうとした部分に挑んだ点に価値がある。


余談だがーー米国でアファーマティブ・アクションに違憲判決が出ましたが、LGBTや移民問題での各地での混乱を経て、各国メディアは今後、リベラルメディアを含め少し右に寄って、バランスを取ろうとするのではないでしょうか。現状は左に寄りすぎて、右からだけでなく、リベラルからの批判が強くなってきました。


まあ、今年の「新聞協会賞」や「ジャーナリズム大賞」の類は、

「今年も一般市民と外国メディアと週刊誌にやられっぱなしでした」

と、自らに「残念賞」を与えるのが至当だと思います。

そして、参院で議事進行を妨害して叱られた東京新聞の望月衣塑子記者に「不名誉賞」を与えよう。


*愛知リコール捏造スクープのときは、どの新聞も「民主主義の正当な過程を歪めた」と社説で捏造を非難し、スクープに新聞協会賞を与えた。望月衣塑子記者は同じ「民主主義の歪曲」を国権の最高機関に対しておこなったわけだが、このままお咎めなしだとすれば、ダブスタもはなはだしい。



<どうでもいい補足>

この文章は、本来、

【令和の大スクープ】「百合丘第1公園」は弘法松公園だった

という地元「市民ジャーナリズム」ネタの記事の前振りのつもりで書いたんだけど、なんか力が入っちゃたんで、これだけ先に独立させる次第であります。「本記事」は次回。



<参考>


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