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女性指揮者の3つの壁 アロンドラ・デ・ラ・パーラのドキュメンタリー

私が以前、「美貌No1」と紹介した、メキシコの女性指揮者アロンドラ・デ・ラ・パーラのドキュメンタリーがYouTubeで公開されていました。


「ラ・マエストラ メキシコ人指揮者アロンドラ・デ・ラ・パーラの肖像」


残念ながら日本語字幕がないので、英語字幕で見ました(言語は英語)。


アロンドラが2018年、オーストラリアのクイーンズランド交響楽団首席指揮者だった時を中心に、彼女の活躍と、2人の子の母である日常、その生い立ちなどを描いています。

美人で、才能に溢れ、指揮者になりたいという子供時代の夢をかなえ、家庭にも恵まれーーもう、言うことのない人生のように思えます。

実際、そのような、彼女の眩しい成功を描いたドキュメンタリーとして見ることもできますが、一方で、全体を見ると、彼女の苦労もよくわかります。

ここでは、その苦労の部分を中心に感想を書きます。


アロンドラ・デ・ラ・パーラ

(メキシコ 1980年10月31日生まれ)

ニューヨーク生まれだが2歳のときメキシコへ移住。メキシコシティの音楽研究センターで作曲を学んだ後、19歳でニューヨークのマンハッタン音楽院に入学。23歳のときに多国籍の若手によるフィルハーモニック・オーケストラ・オブ・ジ・アメリカス(POA)を創設、現在は音楽監督を務める。2017-19年、オーストラリアのクイーンズランド交響楽団首席指揮者。多数のオーケストラに客演し、来日時に東京フィルハーモニー交響楽団も振っている。メキシコ政府観光大使。


指揮界の女性差別について


まず、女性差別について、彼女はドキュメンタリーの中で、以下のように言っています。


長い間、私は、インタビューで必ず聞かれます。女性だからトラブルに遭いませんか、女性だから難しくないですか、と。

私はこう答えてきました。まったく問題ありません、完全に順調でした、と。

それは、自分は順調だったと信じたいからですし、女性だから、ということを、問題にされたくも、したくもないからです。とくにカメラの前では触れたくありません。

インタビューでそのことに触れるのは嫌いです。今でもそうです。

女性だから、という話が本当に嫌いなんです。

でも、私が女性であることが、問題ではなかったと言えば、それは完全に嘘です。

言うまでもなく、それはずっと、絶対的に問題でした。

for many years I always in interviews, when people asked me: As a woman have you had any trouble, have you been facing difficulties? I would say: Absolutely not. It’s been absolutely fine, because I so wanted to believe that. I so wanted to believe that everything was fine, and I did’t want to pay any attention or bring any attention to the issue or say it in front of a camera, or I did’t want the interview to be about that. And I still don’t. I really don’t like the subject. But it would be absolutely untrue to say: No, it hasn’t been an issue. Yes of course it has absolutely. (34:00あたり)


3つの壁


アロンドラは、必ずしも女性差別のせいだけではない(しかし無関係でもない)以下のキャリア上の3つの壁に直面しているようです。

1 ヨーロッパで実績がない

 クラシック音楽の本場であるヨーロッパで成功しておらず、クラシックの核心的レパートリーである独墺系の音楽(モーツアルトやベートーヴェンなど)の解釈で評価されていない。

2 祖国メキシコで認められていない

 より深刻なのは、祖国メキシコの楽壇で認められておらず、正式なポストにもつけていない。これは、女性指揮者への偏見とともに、メキシコでは地元の音楽学校や権威者とのつながりが必要で、アメリカで教育を受けたアロンドラにそれが欠けているからである。

3 クラシック業界は縮小している

 クラシック音楽界は不況である。ほとんどのオーケストラが予算の縮小に苦しんでおり、アロンドラ含め指揮者たちは集客や楽団経営に苦労している。


2重の「差別」


アロンドラの場合、皮肉だと思うのは、以下のようなことです。

あからさまには言いませんが、オーストラリアの地方のオーケストラが彼女を招聘したのは、美人指揮者の集客力を期待したからでもあるでしょう。

女性のくせに、という差別を跳ね返してプロの指揮者になったら、今度は、女性ならでは、の力で集客を期待される。

これは、いわば2重の差別だと思うんですね。女だから力がない、と一方で言われて、女ならではの力を発揮しろ、と一方で言われる。

アロンドラも、そういう皮肉を感じているでしょうが、彼女はプロですし、ビジネスもわかっているので、「お母さんと子供のためのプログラム」のような、自分のイメージにあった企画を立てたりしています。


小澤征爾の場合


このアロンドラの例を見て、小澤征爾を思い出す人は多いのではないでしょうか。

小澤征爾も、祖国日本では批評家に叩かれ、日本のオケと相性が悪かった。

小澤征爾も、モーツアルトやベートーヴェンを長らく録音させてもらえなかった。フランスものなどラテンものや、ロシアものを振らされがちだったのは、アロンドラと共通しています。

小澤征爾はのちにヨーロッパでも活躍しますが、それは、日本経済絶好調の頃、ジャパンマネーをもたらしてくれる、という期待もあってのことだったでしょう。

小澤自身の目的は、日本人でも西欧のクラシック音楽が演奏できる、ということの証明であり、それは見事に証明された。

それは日本人としては偉業だけれど、クラシック音楽界の方から見れば、「だから何?」ということになる。

アロンドラの場合も同じで、女性でも指揮者ができる、と証明したとしても、問題は、そのあとだ。そのあとに、彼女がクラシック音楽界に何をもたらせるか、が問題にされる。

苦労は、そこから始まるわけですね。


差別を逆手に取れないか?


で、ちょっと思ったのは、差別を逆手に取れないか、ということですね。

ゲルマン民族の、アーリア人の、男性が作った音楽は、髭をはやした西欧の男性にしか指揮できない、という偏見があるなら、逆に、東洋人が作った音楽は東洋人指揮者にしか振れず、女性が作った音楽は女性にしか振れない、という偏見を作ればいい。

同性愛者のチャイコフスキーやブリテンの音楽は、同性愛者しか振れない、とかね。

小澤征爾は武満徹で売った。ただ、その後はあんまり取り上げなくなったね。やはりモーツアルトやベートーヴェンが振りたいんでしょうね。

アロンドラもメキシコものを期待され、彼女自身もメキシコ音楽に情熱を持っているみたいだから、それは今後も生かしていけばいい。それにくわえて、最近は、女性作曲家も多い。女性作曲家を多く取り上げていく、とか。

差別(セクシズム、レイシズム、オリエンタリズム)で苦労してきたのに、別の差別で対抗するのは、矛盾するようだけど、そういう戦略もあるのではないかと思うんですね。


第4の壁ーーエイジズム


アロンドラはまだ若い、とは言っても、もう40代です。

次に「壁」になるのが年齢であることは予想できます。

男の指揮者には年齢は関係ない、というより、年をとるほどによくなる、とされている。

80代、90代の爺さん指揮者が崇拝される世界です。

同じことが、女性指揮者にも起こるのか、どうか。

私は、お婆ちゃんが振るベートーヴェンやブルックナーも聴きたいけれど、保守的なクラシックファンはそれを受け入れるかどうか。

アロンドラのような美人指揮者は、むしろ苦しくなっていくのではないか。


アロンドラとクイーンズランド響との契約は3年で切れ、現在、彼女は無任所ですね。

キャリアの曲がり角に来ているかもしれない。

彼女のような指揮者が活躍できなければ、クラシック業界の先行きは暗いと思うので、頑張ってほしいと思う。


その他の見どころ


なお、アロンドラの夫は、ネットで調べたところ、Teo de Maria y Camposというメキシコのドラム奏者らしいのだけど、このドキュメンタリーには出て来ません。

ただ、車の中で夫の録音らしきものが流れ、子供に「ダディーの曲よ」と言う場面があります。


また、クラシックファンにとってのその他の見どころは、クルト・マズアが彼女を指導している映像を見られるところと、2017年にオープンしたばかりのハンブルグのコンサートホール「エルプフィルハーモニー・ハンブルグ」が見られるところでしょう。




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