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左幸子の悲劇 左翼とスキャンダル

昭和の大女優・左幸子のスキャンダルを振り返るYouTube動画があって、懐かしくて見てしまった。

【衝撃】左幸子が残した恐怖の遺言...旦那を奪った妹の正体に一同驚愕!!「飢餓海峡」で知られる女優の悲しすぎる最期に涙が止まらない!!信じた人全員に裏切られた生涯とは...(乱末2分の1『昭和芸能』 2024/4/23)


ちょっとサムネ詐欺的な、テキトーな動画ではあるけど。(「恐怖の遺言」が出てこない・・)

でも、忘れていたことをいろいろ思い出して、面白かった。

わたしが見たのは、昭和のじじいの懐かしさゆえだが、意外に視聴回数をかせいでいる(数日で10万回以上)のに驚いた。若い人も左幸子を知ってる? なんで?


左幸子のスキャンダルといったが、実際には、夫の映画監督・羽仁進のスキャンダルといったほうがいいかもしれない。


1973年、夫の羽仁進が、左幸子(本名・額村幸子)の実の妹である額村喜美子と不倫していることを知り、左幸子は手首を切って自殺をはかる(未遂)。

1977年、羽仁進と左幸子が離婚。羽仁はすぐに額村喜美子と結婚。子供の羽仁未央は、羽仁進側についた。


つまり左幸子は、実の妹と、夫と、子供の3者から、いっぺんに裏切られて、天涯孤独となったわけである。

以後、左幸子は酒びたりとなり、そのためか胃がんとなって2001年に亡くなる。

1960年代までは映画賞の常連だった名女優左幸子は、スキャンダル以降はバラエティーくらいしか仕事がなくなった。

亡くなったとき、左幸子の葬式に、羽仁進、額村喜美子、羽仁未央は、「親交がないから」と参列しなかった。


このスキャンダルを振り返るとき、1960年代、70年代当時の「羽仁進」の威光が、いまの人にはわかりにくいと思うんですね。

なにしろ、祖父母は自由学園創設者の羽仁吉一・羽仁もと子、父母はマルクス主義歴史学者の羽仁五郎と夫人活動家の羽仁説子、というサラブレッド。

子供の羽仁未央も、小さい頃からメディアにちやほやされた。学校なんか意味がない、と宣言して、学校に行かなかった。よくわからないけど、新進気鋭のメディアアーチストあつかいされていた。まあ、いまの「落合陽一」みたいな感じ。

いわば「ザ・進歩的文化人一家」という感じであった。


進歩的文化人・・という概念が、もうわからないかもしれない。

まあ「朝日新聞とか岩波書店とかの左派がすごいほめる人たち」のことである。


このスキャンダルでも、悪いのは羽仁進だと人々は思いながら、マスコミには、羽仁一家の悪口など言えない、という空気があったかもしれない。

左幸子は、そのワリを食った感じかなあ・・。

かわいそうだったね。


羽仁未央は、左幸子が亡くなったあと、肝不全で50歳で死んだ。

上の動画のコメントには、「バチが当たった」なんて書いてる人がいた。



同じようなことは、井上ひさしと、妻の西舘好子(元井上好子・現西舘代志子)とのあいだにもあったね。

井上ひさしを「9条の会」のシンボルに祭り上げていた左派マスコミは、井上からDVを受けたという好子の告発に、微妙な反応を見せた。

西舘のwikipediaに「離婚後は雑誌『正論』などフジサンケイグループの著作物の寄稿常連となる」とあったけど、そりゃ朝日とかが使いにくいからね。西舘が被害者側だとしても。

そういえば最近、自民党議員が「パパ活」で辞職したけど、パパ活といえば思い出す米山隆一は、朝日御用達の室井佑月と結婚して、マスコミから攻撃されにくくなった。これは、逆の例ですね。



なお、羽仁進は95歳で健在。

映画は撮らなくなったが、「独自の教育論」で執筆・講演活動をつづけ、最近も岩波書店などから本を出している。

現在は「軽井沢自然景観会議」の会長をしている、とのことです。



<参考>



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