見出し画像

メディアは平和主義者をいつ「損切り」するか

1 平和主義から人権主義へ


細谷雄一・慶大教授が最近、日本の「平和主義」が時代遅れになった理由を、ツイッターできわめて簡潔に示してくれていた。

第一次世界大戦後の欧州では戦争の悲惨な経験から平和主義が非常に強い影響を持ったのに対して、第二次大戦後の欧州ではむしろホロコーストの経験から、人道主義や人権の観念が強く意識されるようになったように思います。人道主義が強い戦後欧州と、平和主義が強い戦後日本。今回の戦争でも対照的。

なので、平和のためであれば虐殺があってもよいという認識と、虐殺に抵抗するためには戦うしかないという認識の違い。当然日本では、前者の認識が広がり、欧州では後者の認識が自明視される。平和主義と人道主義。どちらも重要ですが、そこに緊張が生まれたときに、立場の違いが生じます。

私以外にも、欧州国際政治や、欧州外交史を研究する方の中で、このようなホロコーストの反省から人道主義を重視する姿勢が強い立場の場合に、平和主義を優先する立場の主張ともしかしたら、立場の違いが生じるのでしょう。どちらかが正しいというよりも、歴史認識の違いから生まれるものかも。

@Yuichi_Hosoya  Apr 15

ウクライナ危機を契機に、日本でも時代遅れの「平和主義」から、欧州の「人権主義」へ、世論が動くことが考えられる。

2 左派メディアが護憲を捨てられない事情


この細谷教授のツイッターを読んで、思い出したことがある。

私は10年ほど前、ある左派メディアに勤めていた。

ちょうど、アフガニスタンやパキスタンで、イスラム原理主義者が学校を襲い、子供たちを大量殺害する事件が連発していた。(マララさんがノーベル平和賞をとる前のことだ。今も悲しいことに、こういう事件は起こっているが)

その話題から、私が、

「こういうひどい人権蹂躙を止めるためにこそ軍隊が必要だ」

というようなことを言って、憲法9条の議論になったのだ。

左派は、何かと言うと「国家」を目の敵にするが、国家権力こそが人権を保障するものだ。それが政治哲学、法哲学の常識のはずだ。

その具体的な手段が、警察であり、軍隊だ。軍隊は、その最終的な手段だから、憲法に正式に位置付けて、民主的に統制しないといけない。だから9条は改正されなければならない。

そう私は主張した。(井上達夫氏の立憲的改憲論だ)

すると、左派メディアの幹部が言った。

「君の言うこともわかるが、憲法9条を改正して、正式な軍隊が必要だ、なんてウチのメディアが言ったら、ウチの読者がいなくなっちゃうよ」

その言葉が忘れられない。

それで、議論は幕となった。

左派メディアは、確固たる「平和主義」思想があるわけではない。

平和主義が受けるから、読者が増えるから、それを売り物にしてきた。

結局のところは商売だ。

日本の平和主義はおかしい、世界の流れから遅れている、と気づいている者は、左派メディアの中にも多い。

しかし、上層部が、読者を失うことへの恐れから、論調を転換できないでいる。結果、現場の左翼活動家のやりたい放題を許している。

3 参院選後が転換のタイミングとなるか


世論が動き始めているのは、左派メディア幹部も気づいている。

若い世代は、日本の平和主義が時代遅れになったのに気づいている。

護憲の中核は、共産党支持者を中心とした高齢層だ。

そして、その層はいまだ分厚く、左派メディアを支えている。だが、いずれは死んでいく。時間の問題であるのは、左派メディアもわかっている。

そこに、今回のウクライナ危機が起こり、高齢層でも平和主義に疑いを持つ者が増えたかもしれない。

夏の参院選が試金石になるだろう。

参院選で、立憲民主党、共産党、社民党などの護憲勢力が壊滅的に敗北すれば、左派メディアもいよいよダイ・ハードな「平和主義」の読者を損切りして、改憲に舵を切り、若い新しい読者を得ようとするかもしれない。

もちろん、これらの護憲勢力は猛然と反発してくるだろう。メディアを「われわれを裏切るのか」と攻撃してくるだろう。だが、メディアも生き残りに必死だ。いつまでもこうした「脅し」に屈するとは思えない。

9条改憲が、右翼的な反自由主義ではなく、リベラルな人権主義に基づくものになれば、日本は、自由で民主的な世界と調和した明るい未来を描ける。

私が生きている間に、日本初の国民投票が実現するか、疑わしいと思っていたが、もしかしたら早めに実現するかもしれない。と期待している。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?