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朝日新聞「不敬」問題 アベガー川柳と昭和天皇報道


「忖度はどこまで続く あの世まで」


朝日新聞が、安倍晋三氏の死を揶揄するような川柳を掲載し、炎上している。


政治家としての安倍氏の業績や、政府の国葬決定を疑問視するのはいいが、行き過ぎであり、死者に対する敬意を欠いている、というのが最大公約数的な批判だろう。

最初に言っておけば、朝日の川柳は「表現の自由」内だ。こういう表現は当然あっていい。

嫌いな人は読まなければいい。私は嫌いだから朝日を読んでいない。


昭和天皇報道との類似


それにしても朝日らしいな、と思う。

吉田茂の国葬の時は知らないが、思い出すのは、昭和天皇が亡くなった時のことだ。

この時も、「記帳」や「大喪の礼」を批判した急先鋒は、朝日新聞だった。

「下血」で昭和天皇が臥せっていた時から、天皇の戦争責任を指摘する共産党の声や読者投稿を掲載した。

この時も、「行き過ぎだ」「天皇といえども人間で、病者(死者)に対する配慮を欠いている」という批判があちこちから出た。

天皇に対してしているのだから、安倍晋三に対してしないわけはない、と思う。


朝日が立派だったこと


私は、昭和天皇の時の朝日新聞は、立派だったと思う。

私も、戦争責任論を封殺して、突然「崩御」などという大時代な言葉を復活させたマスコミが嫌いだった。

その思いは、私の小説「1989年のアウトポスト」に書いた。

朝日新聞は、マスコミの報道自粛を自己批判し、「ルポ自粛」「昭和天皇報道」などの本も出している。

私は当時、出版界にいたが、朝日はさすがだと思ったものだ。

あの時、マスコミで他に立派だと思ったのは、意外かもしれないが「SPA!」という雑誌だ。

フジサンケイ系の週刊誌だから、天皇礼賛的な展開をするかと思ったら、ほぼ天皇の死去そのものを話題にせず、「通常運転」していた。グラビアで素っ気なく扱っただけだと思う。天皇批判はしない(できない)が、礼賛もしない、という編集の気概を感じたものだ。


「アベガー」の限界


しかし、朝日の今回のアベガー川柳を、昭和天皇の報道と同様に評価するわけにはいかない。

天皇と安倍晋三は違う。安倍氏は民主制下で選ばれた政治家であり、その批判も別にタブーでなかった。

安倍氏の政策に失敗はあっただろうが、戦争責任のような巨大な問題があるわけではない。

昭和天皇の戦争責任論には共感したが、朝日新聞などの「もり・かけ・桜」には共感しなかった。むしろ党派的な偏向を感じた。

朝日と安倍晋三氏の長年の対立は、朝日の方にかなりの落ち度と責任があると思う。自分たちの報道の落ち度を、相手を批判することで誤魔化しているようにも見える。(対立のもとに「NHK番組改変問題」での朝日の無責任報道があることを、みんな忘れている)

そして、昭和天皇は自然死だが、安倍氏は暗殺の被害者である。この違いも大きい。

今のところ事件と直接に関連した証拠はないが、朝日は「安倍ヘイト」の空気を醸成して、安倍への憎悪をかき立てた「加害者側」でもある。

そういうわけで、今回のアベガー川柳は、表現の自由の範囲として許されるべきだが、ジャーナルズムとして尊敬できるものではない。


朝日と「赤旗」


そして、改めて思うのは、こういう時になると、朝日は「赤旗」と同じになる、ということだ。

昭和天皇の時の批判の急先鋒は、朝日新聞と、日本共産党だった(まだ宮本顕治が健在だった)。あの時の朝日の報道を褒めるなら、赤旗も褒めなければいけない。

今回もそうだ。アベガーも、国葬批判も、朝日と赤旗は同じ主張だ。

朝日のジャーナリズムの「地金」は結局、共産主義なのか、と思わざるを得ない。

それなら、朝日は要らず、赤旗があればいい。

朝日の社員がかつてソ連のスパイで、日本を危機に陥れたのは歴史的事実だ(尾崎秀実事件)。戦後も、ソ連派と中国派が社内で派閥抗争を繰り広げていたのは、稲垣武氏の著作で有名だ。左翼過激派による自衛官殺害事件に朝日社員が関係したこともあった(川本三郎事件)。

朝日新聞は、そういう共産主義シンパの影を、この「新冷戦」の時代になってもまだ引きずっている。共産主義者個々人の自由は憲法で守られている。しかし、新聞が公共性を持つ以上、紙面の偏向が問題でないはずはない。

朝日がやるべきことは(その点は毎日もそうだが)、安倍晋三を批判するのと同じ熱量で、共産党や共産主義を批判することだ。そうすれば、公正なジャーナリズムとして評価できる。

日頃、赤旗ネタの流用や、立憲左派の国会質疑をアシストするような報道ばかりしていると、信用されなくなって当然なのだ。





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