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メディアの「反権力」は正しくない+「毎日」はいつから左傾したか

飯山陽氏がツイッターで、毎日系の「ウクライナ」に便乗した「反日工作」を批判している。(いずれも3月20日のツイート)

毎日新聞の、ウクライナ危機を利用した反日工作活動がえげつない。/「大国が隣国を武力で脅し、言うことを聞かなければ軍を進めて意のままにする―。ロシアのウクライナ侵攻は、過去のかいらい国家「満州国」建国や日中戦争など、旧日本軍の中国での手法に重なるという見方」
mainichi.jp/articles/20220…
TBSの金平氏や須賀川氏は反体制、反権力こそ正義だと思い込んでいるようだが、マスコミでは反体制こそが体制派であり、反権力をがなりたてる人ほど出世して権力を獲得する。彼らは自らもまた権力であるという自覚に欠けているが、一般人はそれに気づいているため、彼らの反権力言説にシラけるのだ。

反権力こそ正義でジャーナリズムだ、という構えは、毎日に限らず、朝日や東京新聞にも共通だ。

もちろん、ジャーナリズムが権力から独立することは正しい。

しかし、「反権力」は間違いだ。なぜなら民主制国家では、権力は国民の代表だからだ。

国家権力こそが、「人権」を守る実践力であり、根拠である。国家権力がなければ、アナーキーだ。しかし、彼らは、「国家」を目の敵にする。

だから、先日の鳥越俊太郎のように、ゼレンスキーの国会演説を「国民が許さない」などと言う。

与党と野党が許すなら、それが「国民」だろう、というツッコミがあったが、その通りなのだ。

そういえば、鳥越も毎日新聞出身だ。

左派新聞は、権力から独立していない(様々な庇護を得ている)くせに、「反権力」を言うのも欺瞞だ。

毎日新聞については、創価学会=公明党からも独立してないと言われる。

そして、彼らの「反権力」は、実際はアンチ「反共」、アンチ「保守のタカ派」である。

旧社会党(現立憲民主党、社民党)、共産党といった、野党の肩ばかり持っている。

そう言えば、毎日新聞といえば最近、立民の森ゆう子との関係でも、話題になっていた。

そして、自民党でもハト派には甘い。宏池会系を「真の保守」などと言いがちだ。

安倍晋三に代表される清和会系、保守のタカ派を忌み嫌う。維新を嫌うのも同根だろう。

非常に射程の狭い「反権力」なのだ。だから党派的だと見られる。

そういう思想がなぜ間違っているか、どうしてできたか、などは、これまでもいろいろ書いてきた。

私企業なんだから、反権力でも容共でも別によい。

しかし、その場合は、アカハタ+聖教新聞とさして変わらないから、「公正中立」な全国紙、という看板は下ろした方がいい。軽減税率その他、「公益」前提の特権も返上すべきだろう。

それにしても、毎日新聞は、なぜこんな風になってしまったのか。これは別に考える必要がある。

最近の毎日は、朝日よりも左で、東京新聞と左傾を競っているかのようだ。

もともとはそうではなかった。

伊藤博文の御用新聞であった「東京日日」、そして皇室第一主義を掲げた「大阪毎日」。

2つが一緒になった毎日新聞は、朝日新聞よりも当然のごとく保守的だとみなされてきた。(朝日は明治時代からイギリス流自由主義だった)

そのイメージは戦後も残っていたと思う。だから、岸信介の義理の息子であり、安倍晋三の父親、安倍晋太郎も毎日新聞に入った。

朝日新聞はハト派(官僚派)の宏池会に近い、毎日新聞はタカ派(党人派)の清和会に近い、というのは、マスコミの常識だった。

一説には、毎日新聞社内の派閥争いで、社会部が覇権を握ったことから、こうなったという。

1980年代後半のことだ。社長候補とされていた経済部出身の編集担当役員が、リクルート事件関連で退社に追い込まれた。その番狂わせで、それまで政治部経済部に比べて傍流だった社会部が実権を握った。

その退社した役員は、その後、中曽根康弘の財団の理事になったから、彼が社長になっていたら、毎日新聞の論調が今日のようにならなかったのは想像できるだろう。

ちょうど冷戦が終わる頃だ。同じ頃、朝日新聞の社長になった経済部出身の中江利忠は、左翼の理論誌のようになっていた「朝日ジャーナル」を廃刊した。しかし、そのカウンターパートである、マルクス経済学の理論誌のようだった毎日新聞の「エコノミスト」は残された。

社会部というのは、毎日に限らず、どの新聞社でも「最左翼」になりがちだ。

それで、安倍晋太郎がいた毎日新聞は、いまや「反安倍」の急先鋒である。

なお、飯山陽は同日、朝日も批判している。

まあ、朝日なら仕方ないなあ、と思うが、毎日も同類の「活動家」になっていることに、私はまだ慣れないでいる。

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