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スウェーデンの「孤独死」に憧れる

「廃墟マニア」は世界中にいるが、このスウェーデンの廃屋の動画は、今年1月に公開され、世界中で160万回以上視聴された人気作だ。


60年間世間から隔離され、廃墟となった小さな家で暮らした男性(Bros Of Decay 2024/1/29)


説明文には、機械翻訳らしいぎこちない日本文だが、こうある。

スウェーデンの侵入不可能な森の奥深く、外界とのつながりを最小限に抑え、60年以上孤立して暮らしている自分を想像してみてください。それがミスター・G・ローの並外れた人生でした。 私たちの旅は、森の中にひっそりと佇む、人里離れた小屋にたどり着きました。その内部には、かつての居住者の存在が今でも響き渡っていました。私たちはこの寂しい小屋に着くまでに数時間のハイキングを要しました。 ミスター・ロウは孤独を大切にした男で、町に姿を現すことはめったになかった。彼の安否を心配した近所の人や町の人々は数か月ごとに彼の様子をチェックし、中には安否を確かめるために彼の家に足を運ぶ者さえいた。 彼はまだ生きていた。 2004 年に彼が亡くなって以来、すべてが徐々に崩壊してきましたが、それは 20 年間手つかずのまま、時間の中で凍ったままになっています。裏庭にある彼の車とリビングルームは、今でも彼が地球最後の日に彼らと別れたときの姿を反映しています。


この動画の人気の秘密は、ひとつにはスウェーデンらしい洒落た小屋(キャビン)にあるだろう。

100年前の人の身長に合わせた、こぢんまりした設計で、かつデザイン性に優れた室内は、新築ならいまでも住みたいような魅力がある。


でも、なぜこの動画が、これほど多くの人を惹きつけるのか。そのいちばんの理由は、動画についたコメントが説明している。


年をとるほど、この男性と同じように生きたいと願うようになった。人々や日常のわずらわしさから離れて生きたい、と。

The older i get, the more i want to live like this man did. Far away from people and everyday life


このコメントに、1500近い「いいね」と、「わたしもそう思う」という賛同の返信が100以上ついていた。

わたしも、その気持ちがわかる。

わたしも、この動画を、うっとりした気持ちで見てしまった。



世界中のどれほど多くの人が「孤独」に憧れているか。

この場合の孤独は、「Loneliness」ではなく「Solitude」だろう。

つまり、「知り合いを得られない淋しい境遇」ではなく「あえて社会から離れて暮らす生き方」だ。


この男性の死も「孤独死」ということになるのだろうが、それ以前に「孤独生」があった。

それは、あえて自分で選んだ孤独なのである。


こういう動画を見ると、日本の「孤独死」に淋しいイメージがともなうのは、たいがい狭いアパートやマンションのようなところで亡くなるからだとわかる。

こうした、大自然のなかの、貧しくても洒落た小屋で死ねれば、「孤独死」もずいぶん印象が変わる。

それは、自分なりの尊厳ある生き方をつらぬいた結果だと思われるからだ。


よく言われるが、日本でも、「孤独」や「孤独死」を、あまり否定的に見ないほうがいい。

客観的には、狭い集合住宅や、密集した街中で亡くなったとしても、その人の心の中では、自然の中の美しい小屋で、静かに、優雅に、誇り高く、幸福な人生を過ごしていたのかもしれない。


このまま少子高齢化が進み、世帯人数が「2」を割るようになれば、いずれ過半数の人が「孤独死」するようになる。

わたしもたぶん「孤独死」する。

いまのうちに「孤独死」のイメージを変えておきたい。


もう1つ、この動画を見て思ったのは、この廃屋が、彼の「墓」を兼ねていることだ。

そこに彼の遺骨はなくても、生活の跡がそっくり残っていて、彼の「記念館」のようなものになっている。

やがて廃屋が完全に崩れ果て、自然に戻るとともに、彼の「墓」も消える。

「墓」というのは、そういうものでいい、と思ったのだ。

日本のような住宅事情では、すぐに「墓」はべつの人の住処になるか、潰されるかするだろう。それが少し寂しい。


なお、配偶者に早く死なれ、同じように森の中に独居した女性の廃屋も、動画になっています。参考まで。

Elsa's Secluded Abandoned Cabin In Sweden: She Lived A Life in Isolation



<参考>


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