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そこにはかつて海があった【パレスチナ現地滞在記 #6】

中東パレスチナのフェアトレードブランド「架け箸」です。
只今滞在記を毎日更新しています。

ひとつ前のnoteでパレスチナの山の自然に触れましたが⇓

今回は少し海についても触れたいと思います。
内容はThe Palestinian Museumという博物館の企画展示「A People By the Sea」を基にしています。

パレスチナの地理的立地

パレスチナは地中海の東側に位置していて、海と陸の交通の要衝にもなってきました。

出典:https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/palestine/whathappen.html
地図中の「ヨルダン川西岸地区」+「ガザ地区」が現在のパレスチナ

19世紀の終わりには港も整備され、さながら日本の文明開化のように新しい文化や技術を取り入れた都会が海側に形成されていったようです。

歴史的な境界線

百数十年前まで、パレスチナはオスマン帝国の「歴史的シリア」と呼ばれる広大な地域のなかの一地方で、当然国境線も無いので海岸沿いはすべて地中海にアクセスでき、南北の現在のエジプトやレバノンにあたるような町との往来も盛んでした。

地中海を上に見た時の地図
左(南)から現在のエジプト~パレスチナ(ガザ地区)~イスラエル~レバノン(北)と繋がる
https://www.palmuseum.org/ehxibitions/forthcoming-exhibitions

オスマン帝国が敗戦した後、西洋列強による土地の分割が起こり、共同体だったこの地域はバラバラになり、それぞれの運命を辿ることになります。

サイクス・ピコ協定で取り決められた分割
パレスチナはイギリスの支配下に
https://www.palmuseum.org/ehxibitions/forthcoming-exhibitions

そこにはかつて海があった

現在は最初の地図のように海へのアクセスがほぼ閉ざされているパレスチナ(※)。

(※)ガザ地区は海に面していますが、利用できる範囲が制限されており、海を通じた交易や漁業を成立させるのは難しい状況にあります

海があって山があって暮らしがあったこの地域で、海に着目したこの企画展示。
最後はアートで締めくくられています。

https://www.palmuseum.org/ehxibitions/forthcoming-exhibitions

浜辺に漂着するこれらのゴミは、国境に縛られずにかつての海側一帯を旅します。

https://www.palmuseum.org/ehxibitions/forthcoming-exhibitions

アラビア文字を象った波のアート。博物館からも天気が良ければ望むことが出来る地中海、かつてのパレスチナの海を表しています。

https://www.palmuseum.org/ehxibitions/forthcoming-exhibitions

波の傍には、ガザ地区の子ども達が作った折り紙の舟が添えられています。

写真はすべて博物館から許可を頂き掲載しています。

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