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異国の地でおばちゃんを泣かせてしまった話

カンボジアでお世話になった「takeo guesthouse」


今回はそこで生まれた小さなエピソードを紹介します。

前回↓

ボッタクリにあった直後。この宿にチェックインをしようと思い、宿主の70歳くらいのおばあちゃんに話しかけると、「ヨヤクシタ?」と言われる。


おばあちゃんはほんの少しだけ日本語が喋れる。フロントの壁には凛々しい日本人の写真が掛けられている。宿の名前は「タケオ」。


「ん、これはまさか日本人宿か?」

とあまり下調べをしなかった僕は感じたが、実際に会った日本人は、旅を感じさせてくれたKさんと、大麻大好きおじさんだけだった。


結局5日間くらいtakeo guesthouseにいました。

暖かく迎えてくれたおばあちゃんとその家族。「18歳で一人で来たよ」というと、目を丸くして驚いていました。そんなやつ初めてだったようです。

その家族にはお世話になりました。

おばあちゃんの息子にはバイクで数10km離れている、ベンメリアという遺跡に連れて行ってもらったり、孫とは好きなサッカーについて語り合ったり。

僕がどこか行って戻ってくると、毎回「今日はどうだった?」と聞いてきてくれました。

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ある朝、外へ出ようとすると雨が降っていたので、おばあちゃんと話してみようと思いました。

僕「あの写真の人の名前はタケオさんなの?」
おばあちゃん「違う、ユタカさんだよ。」
僕「え、じゃあTakeo guesthouseの由来はどこから来ているの?」

どうやら、アンコールワット遺跡群の「takeo temple」から来ているらしく、全くの見当違い。


え、じゃああの写真のユタカさんは何者??

聞いてみると、彼は一度このゲストハウスに泊まってからとても気に入り、それからは毎年支援するためにカンボジアを訪れていたらしい。

このゲストハウスは彼の支援なしには続けられなかったとおばあちゃんは言う。

「いま彼はどこに?」

そう聞くと、どこか悲しそうな表情でおばあちゃんは話し始めた。

ある時、いつもの時間に彼を空港で待っていると、いつまでたっても来なかった。

連絡をしても出ない。

でも諦めきれず一年、また一年と同じ時間に彼が空港に着くのを待ちわびた。

彼が来なくなってから、5年後、彼が亡くなったという連絡がきた。

「He passed away...」

その言葉とともにおばあちゃんの目から涙が溢れていく。必死に慰めるとともに、深入りしなければよかったと後悔した。


落ち着いてから、おばあちゃんがボソッと一言。

「だから、日本人にも優しくしたいんだよ」

日本語を少し覚えて挨拶程度は出るようになって、娘も日本語を覚え、旅人を暖かく迎えてくれる。

フロントには古い日本語の本や漫画もある。

エアコンも温水シャワーもトイレットペーパーもないですが、なんとも言えない心地よさがあります。


カンボジアでの「おもてなし」。

あの居心地の良さの裏にはこんなバックグラウンドがあったとは。    おばあちゃんには悪いけど、今思うと深入りして気づけたことがあったのでよかったです。


別れはちょっと悲しかったですが、またシェムリアップに行く理由ができました。覚えててくれるかなぁ〜

今も僕は旅先のゲストハウスの人たちとは仲良くするようにしています。

オススメの店とか場所を教えてくれたりして、自分の旅を助けてくれます。そう感じたのがこの最初のタケオゲストハウスでした。

旅の良さはこんなところにもあるんだな、と発見できた日でしたね。

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少し短かいですがこんな感じで終わらせていただきます!あまり考えすぎず、時にはちょっとしたエピソードを綴ってみるのもいいかなーと。

一人旅はそろそろタイの話も入れていこうと思っています。

また、大学生としての日々の記事も増やしていこうとも考えています!

それではまた。











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