見出し画像

恋愛の話が苦手だ

※セクシャルマイノリティについてのお話がありますので、ご注意ください※


私について

私はLGBTQの内、「Questioning=自身のジェンダー・セクシャリティについて決まっていない状態」=クエスチョニングに該当します。

クエスチョニングの方々の皆様がそうかは解りませんが、私自身は恋愛の話はあまり得意ではありません。

「好きなタイプは?」
「〇〇さんと△△さんならどっち派?」

今の勤務先の歓迎会での定型質問も無難な回答で乗り切り、とにかく食事を詰め込み会話を少しずつズラした記憶がある位には得意とは言えません。

なぜ苦手か

1 .答えを持たないから


私にはタイプらしいタイプがありません。
強いて言えばエネルギッシュな人は付き合っても上手くいかないだろうから、付き合うのは無理だろうと思う位です。
恋愛大好きな上司と話をして驚きましたが、恋愛感情がかなり明確な人の場合は「この人のここが少し嫌!でも好き!」という相反する感情を持つようです。
私にはその"でも好き"がさっぱり分かりません。

付き合っていけそうか無理そうか、という良く言えば現実的、悪く言えばドライな回答しかないので、タイプらしいタイプがないのです。

2.そもそも人を無意識にジャッジして選ぶのは傲慢な気がするから

これは学生時代のクラス替え毎に思ってました。
大方の男子も女子も「そっちのクラス良い人いる? うち全然でさ、、」。
会話は続けつつも、ジャッジされた人達も別にあなたのために存在してるわけでもないのになぁ。と終始不思議な気分でした。

当たり前ですが、よっぽどの間柄でない限りは誰も誰かのために存在などしていません。
それを恋愛対象になりうるかどうかというフィルターだけでジャッジするのは、とても勿体なく傲慢に思えました。
恋愛対象にならなくても良い友人にはなれるかもしれないのに。
なれなくても愉快な人はいるかもしれないのに。

3.ろくに人に話せるような経験も相手もいないから

私は上記のような人間だった事と、別の機会に書きますがこれまでの虐待等の経験上、長くパートナーシップを築けた相手というものがいません。
そうなると相手の期待するような話題も提供できず話を盛り上げることも出来ないので、申し訳なく感じます。
相手の話を聞く分には良いのですが、聞き役に回ってもいずれお鉢は回ってきます。
その時の申し訳なさから、時には胃がキリキリとする程です。

4.恋愛より愉快そうな話題があるから

たとえばどうして今の人生に辿り着いたのか、人生で一番しんどかった時はいつでどう乗り越えたのか、、
私が人生の経験値が少ない分、人の話を聞いて面白いことは沢山あります。
これは私の価値観に過ぎませんが、私にはどう生きるか・死ぬか、どう自分と折り合いをつけるか、何を生きがいにするかという根本的で、ある種哲学的な話題の方が心を掴まれるのです。

それでも振られたらどうしているか

端的に
「今そういうエネルギーがなくて」
「中々合う人がいなくて」
「見ての通り出会いも何もないから笑」
「気がついたら家と会社の往復だけで」
「全然空振りばかりで」

という定型文を状況によって使い分けて、さらっと流すか笑いに持っていく方向でお茶を濁しています。
そして相手の話を聞くか、別の話題に移行します。

それでも食い下がられたら

良かれと思ってくれているのでありがたくはありますが、それでもキューピッドをすることが好きな人はいます。
そうした方には「ありがとうございます、また今度ぜひ」と言って半永久的にない今度の話をぼんやりします。
またそういう方は、恋愛大好きなタイプが多いので本人の話を聞きます。聞けば沢山話してくれるので。

私の見た目がLGBTQっぽいという理由で延々と詮索してくる人には、敢えて過去の異性の人の話を少し出して、会話を終わらせます。酷い言い方になりますが、他人の家を双眼鏡で覗くような方に対しては、こちらも持ち合わせる温情もない気がするので。

以上が私の恋愛に関する話を苦手とする理由とそれを振られた時の対処でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
当たり前が変わり続けつつある世の中ですが、そんな中でも相変わらず当たり前の会話やムードに疲れている方がいたら、あなた一人ではないことが何かになりますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?