羽風

「それ、つらいよね」のやりとりを交わす

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  • 病みトークカフェ

    みんなの病みトーク募集中。 自分の心の状態や悩みを整理したり、繋がりや共感を得て生きやすさを感じる場です。

  • 死にたみ文学館

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  • メンクリに行った話

    初めてメンクリに行きました。あなたの参考になれば。

最近の記事

「あなたのために」のひとりよがり

私の彼女は片付けが苦手だ。いろいろなものが出しっぱなしにされ、多少の抵抗で精一杯だ。 職場では大勢の人間が働いている。各々がいろいろなものを使い、あらゆるものが移動をし散らばっていく。 同じ場に居る彼氏として、職場の社員として、私は「片付ける者としての立場」をまとう。 それはいつしか「なんで自分ばっかりやらないといけないんだ」という気持ちになりストレスがたまっていく。そのような考えは孤立を深め他者への怒りとなる。やがて他者(世界)へのあきらめや自己の存在意義の疑念にまで発展す

    • 実際にトー横に行って気づいた「大人の役割」

      以前の記事で私は「トー横にキッズが自殺したのは周りの大人たちの無関心さにある」というようなことを書いた。 我々大人たちがもっと真剣に当事者たちのことを考えねばと言いながらも、ずっとモヤモヤがあった。 そういう自分は、何をした? 普段のボランティアでつらさを抱えている人の話は聞いている。でもそれは安全な場で遠巻きに無関係な他者が言葉を繰り出しているだけではないのか?と。もちろんそうではないこともわかっていつつも、こうした自問自答を抱えつつ過ごしていた。 実際の現場を知ら

      • 「死にたい気持ち」は気楽に話せ・気軽に聞け

        死にたい人の話を聞くことを始めてからそこそこの年月経つんだけどそういう世界を知らない人たちから「なんでそんなに続けてられるの?」と聞かれることがある。 側からみたら大変そう・難しそうだし、お金が入るわけでもないし自分の時間を削ってるしで、メリットもなくなぜできるのか不思議に思うらしい。「自己満足」とか「善意」とか「困っている人を助けたい」とかわかりやすい動機でやってるんだろうな、と思っている人もいるだろう。 私の場合、一言で言ってしまえば「楽しいから」続いているとも言える。

        • つらい時にやってほしいのは「寄りそう」なんだけども。

          つらい時には寄りそってほしい、寄りそいましょうと言うけれどこの「寄りそい」って一体なんなんでしょうね。 相手にこれこれこういうことでつらいんだよね、と勇気を持って話した時に「私もそういうのあるよ!」と自分のつらさの横取りをされたり、「私だったらこうするな」とアドバイスされたりと、今目の前にいる私自身のつらさから離れるようなことって寄りそうとは違うなと思います。 寄りそうためには「共感」「傾聴」が大事だとよく聞きます。これらは「相手の今」に焦点を当てた行為なんですよね。この

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        記事

          あなたにとっての孤独の風景とは

          どうしようもなく寂しいな、孤独だなと思うのはどんな時だろうか。 そしてそれはどんな風景なんだろうか。 わたしはけっこう街中とかで人が大勢いる時に孤独を感じる。この時のこの孤独は「良い」孤独だ。自分の知らない人たちが好き勝手にしているのが心地よい。自分が無に帰しても寂しくない。 けれども身近な人からの冷たい言葉を食らうととても心が寂しくなる。これは良くない孤独だ。自分がいなくなる感覚でおおわれ、全身が痛くなる感じすらある。 「死にたい」と思うほどの絶望や寂しさをなんとかした

          あなたにとっての孤独の風景とは

          “歌舞伎町のホテルから飛び降りた16歳の“トー横キッズ”。亡くなる直前に語った「壮絶な過去」と「大人への絶望」”の記事を読んで

          ここに出てくる「大人」というのは「本人以外の全ての者たち」と言いかえることができると思う。 同じ立場のトー横キッズたちしかり、家族、友人、支援団体の者たち。そしてその記事を書いた者とそれに反応した者たち、私を含めた読者全員が「大人」であり広い意味での「当事者」であるという意識の希薄さというのが本人の世界への絶望を深めた要因と根深くつながっていると考える。 彼女は「自業自得だ」という世間の声に殺されたとも言える。 一体誰が正しい知識と手ほどきでもって彼女と接せられていただろう

          “歌舞伎町のホテルから飛び降りた16歳の“トー横キッズ”。亡くなる直前に語った「壮絶な過去」と「大人への絶望」”の記事を読んで

          『違国日記』完結。カウンセリング漫画としても読める作品。

          多くの方が語るように本当にすごい最終回だったんですよ。 別に誰かが死んだり悪者を倒したとかではなく、「主人公の二人が自分の本当の気持ちとその変化に気づきそれを言葉にした。声に出した」というだけなんですけど。 そのための道のりを描いてきて最後にようやく実ったな、と。そういう意味では出てくる人たちがずっとカウンセリングをしているような状態だった。つまりそれは読者の側の心情も吐き出させられてきたわけで。 いろいろと考えさせられました。 自傷行為をしたり死にたい思いが離れない人は、

          『違国日記』完結。カウンセリング漫画としても読める作品。

          「死にたいほどの絶望」を語ることをためらうな

          「もうどうせ死ぬしかない」ってあきらめるくらい絶望してもなお、そのことを誰かに話すということをしないのはなぜか? 冒頭のにゃるら氏の言葉にあるように他者への申し訳なさと、どうせ解決しないというあきらめというのが理由ではないだろうか。親や友人といった身近な人にほどその思いは強くなる。だからこそ遠くてお金を介在するようなドライな関係の相手に頼るのが一番良いと私は考えている。 カウンセラーなんてその最たるもので、お金さえ払えばあなたに会って話を聞いてくれる。どんどん好き勝手なこと言

          「死にたいほどの絶望」を語ることをためらうな

          「死にたい気持ちを話すこと」って

          ありきたりな、唯一無二のことなんだよね。 だからしっかりと真剣に向き合う必要があって。 ネットでよくある「これってこういうことなんですよね」みたいにひとまとめにされると王道だけど他人事、みたいな薄っぺらさがにじみ出てしまう。「わかった様な口」をきいてしまう。それが当事者にとっては一番腹が立つ。「もういいや、どうせこいつはわかってくれない」というあきらめにつながる。 自分の言葉で話し、自分の耳で聴く。 それ以外はいらんのよね。

          「死にたい気持ちを話すこと」って

          メンタル回復の階段をあがるにゃるら氏、

          昨日の記事で「メンタルを回復するには自分を受け入れ普通になるしかない」みたいなことを書いたんだけど、にゃるら氏のインタビュー記事を読んでいてなんか意味合い的に同じこと言ってるなと一人で勝手に共感をしていました。 にゃるら氏のことはずっと「小説を書いたら時代の寵児になれそう」って思ってたし、インタビュー内で今は「宗教」というテーマに興味あるって書いてあったので、実現したらきっと「なんとか賞」とか獲っちゃってメンタル回復の階段を一気にあがっていけそうだなって思った。 ニディガ

          メンタル回復の階段をあがるにゃるら氏、

          メンタルを回復するには「自分で自分を受け入れる」しかない。のか?

          病みからの回復って結局は自分で自分を受け入れてなんとかしないといけないんだな、という境地にたどり着く。自分や他者(社会)に期待をし続けるうちは病みが終わらない。 自分は何者にもなれないんだなという絶望を超えたその先の無常の空間が、希死念慮から離れた「死なないための場」になる。 夜中にネットや動画を漁っている時、「何かがある」と期待してしまう。自分をなんとかしてくれる何かがあると思ってしまう。だがいずれ気づいてしまうのだ、そこに一発逆転できる「解答」はなく、「世の中なんてそん

          メンタルを回復するには「自分で自分を受け入れる」しかない。のか?

          リスカって

          そこに込められた主張があって 一人一人に違う思いがあって。 簡単に拒否や説教してそれで終われるはずもなく 地層のように積もり積もって「私」という歴史を刻んでいる。 誰にも言えないし言いたくないから、なんとかしたくてこうなっているから どうか身体と心に「手当て」をお願いしたいと願います。 リスカの人を見てうれしくなるのは「この人も私と同じで傷ついているんだな」という仲間意識とか思いやりの気持ちで心が温かくなるから。 決して状況が同じわけではないし喜ばしい状態ではないのだけ

          リスカって

          死にたみ文学館 Vol.1

          自分やいろんな人の死にたい気持ちを言語化し、眺めて溶いて整えたら、文学になった。 というわけで色々できたのでツイッターの専用アカウントも作ったけどnoteにも載せます。作品の解題とかもしたい。 皆さんも自分の気持ちを作品として整えてみるとまた違った捉えかたができるかもです。自分がよくなるために書き出し、それを読んだ人の力になる。 それが死にたい人たちの生きる力にもなったりもするんです。 「今から飛び降りる」 「ODしたから」 「めちゃくちゃ切った。血が止まらない」 きみの

          死にたみ文学館 Vol.1

          何度でもいうが共感と肯定は違う〜ルポ座間市9人殺人事件

          犯人白石のあまりに「普通」な生育環境に驚く。 そして犯行動機が「金銭と性欲」っていう。 多くの人たちが白石たり得るっていうのが驚きだった。「自分と(凶悪)犯罪者は違う人間」っていうのが通じない所にこの時間の闇深さを感じる。 そして私が最も興味を引いたのが白石が自殺志願者にツイッターで話しかけて相手を選んでいたということ。「自殺志願者は言いなりにしやすい」という考えで対象を呼び寄せる。形としては話を聞いてあげていることになり、白石と会った者たちは皆最後には「やっぱりいいです」

          何度でもいうが共感と肯定は違う〜ルポ座間市9人殺人事件

          日記的なもの:人間らしさを取り戻してる所です

          秋葉原で働き始めて2日たち、休日を過ごしています。毎週2日間のお休みがあります!夢にまで見た連休です! 前の職場は月に3日くらいの休みで、休みの日もあれやこれやの連絡が来るので全然ゆっくりとはできてませんでした。休日ってこんなにゆっくりできるものなのか!?と感動しております。 昨日は以前担当してもらっていた美容師の子にカットをしてもらいました。彼女が新しい職場になってから伺ってなかったのですが私の休みができてようやく行けました。お店の定休日だったけどわざわざ開けてくれて、誰

          日記的なもの:人間らしさを取り戻してる所です

          「聞いてくれない」のは「聞く」が足りてないから

          ちょっと前のツイッターでスタバでカウンセリングをしていた人が炎上していました。守秘義務の点やクライアントに対しての配慮不足など、文句やお怒りがたくさんわき上がっていてそりゃそうなるわな、と思う反面「みんな冷たいなぁ」とも感じてました。 カウンセリングは「どこで」「どうやるか」も大事だけど、肝心の「話を聞く」ということ自体はどこでも誰でもできるはずなんです。でも身近な人が聞いてくれないから私たちは専門家に、別の誰かに頼むんです。 なぜ私たちは「聞く」という一見簡単なことができな

          「聞いてくれない」のは「聞く」が足りてないから