あなたにとっての孤独の風景とは
どうしようもなく寂しいな、孤独だなと思うのはどんな時だろうか。
そしてそれはどんな風景なんだろうか。
わたしはけっこう街中とかで人が大勢いる時に孤独を感じる。この時のこの孤独は「良い」孤独だ。自分の知らない人たちが好き勝手にしているのが心地よい。自分が無に帰しても寂しくない。
けれども身近な人からの冷たい言葉を食らうととても心が寂しくなる。これは良くない孤独だ。自分がいなくなる感覚でおおわれ、全身が痛くなる感じすらある。
「死にたい」と思うほどの絶望や寂しさをなんとかしたい、してあげたいとずっと考えている。
それは説得やアドバイスといった相手を強制的に変えるような仕向けをするということではなく、絶望の底に一緒にいてその場の暗さに気づき、見上げた月の明かりに気づくくらいのささやかな行いだ。
そのために必要なことがまずは聞くことだということは前から気づいていた。過去にも述べてきたしそういった活動を現在もしている。
けれども専門家でもない限りは「自分の話を聞いてもらう」というやりとりとのワンセットでそれはまわっているということに、最近になりようやく気づけるようになった。
聞くことの力を紐解くことでどうしてそれがメンタルケアになり得るのかがわかってくる。
寂しさやつらさはどんどん聞いてもらえばいい。そしてどうしたら聞いてもらえるのか、そこからどう「聞く」ことができるようになるのか。自分がつらいと他人の話は聞けない。聞くことが可能になるということは回復をした自分が居るということだ。
そういったことを考えていきたい。
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