「あなたのために」のひとりよがり

私の彼女は片付けが苦手だ。いろいろなものが出しっぱなしにされ、多少の抵抗で精一杯だ。
職場では大勢の人間が働いている。各々がいろいろなものを使い、あらゆるものが移動をし散らばっていく。
同じ場に居る彼氏として、職場の社員として、私は「片付ける者としての立場」をまとう。
それはいつしか「なんで自分ばっかりやらないといけないんだ」という気持ちになりストレスがたまっていく。そのような考えは孤立を深め他者への怒りとなる。やがて他者(世界)へのあきらめや自己の存在意義の疑念にまで発展する。メンタルは着実に崩壊していく。
非常に良くない。

今読み進めている本がある。


この中で在宅看護の方の話があった。在宅の動けない患者さんの部屋は他のヘルパーや様々な人の出入りで乱れがちになる。そういう場合勝手に戻すのではなく“一応その利用者(患者)さんに、「これが出てますけど、これってわざと出てるんじゃないですよね」みたいな感じ、「これ戻していいんですよね」っていう形で、訊いて先回りしてくる。想像力を働かせて、いろいろ訊いていく”と述べられていた。
「きちんとしていたい」という相手の願いをもとに、相手の今現在いる位置へと戻ってきて、確認をしつつそれを現実化するという意味がある。

私の彼女や職場の人たちにもそれぞれのルール、意味合い、理由があり過去の(ケアの)蓄積がある。当事者が望む未来のシミュレーションは過去も参照しながらの「現在を生み出す実践」となる。
私は彼女や職場の人たちとの充分な話し合いもせず、勝手に相手のことを想像したり無視してやった挙句、相手への悪意やストレスをためていた。
相手のためにと思ってやっていたことが実は自分の独りよがりであったということに気づかされた。

ケアや思いやりの行為というのは自分一人のためにやるものではないし相手のためだけにやるものでもない。「お互いでやること」だということを、改めて考えさせられた。


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