つらい時にやってほしいのは「寄りそう」なんだけども。

つらい時には寄りそってほしい、寄りそいましょうと言うけれどこの「寄りそい」って一体なんなんでしょうね。

相手にこれこれこういうことでつらいんだよね、と勇気を持って話した時に「私もそういうのあるよ!」と自分のつらさの横取りをされたり、「私だったらこうするな」とアドバイスされたりと、今目の前にいる私自身のつらさから離れるようなことって寄りそうとは違うなと思います。

寄りそうためには「共感」「傾聴」が大事だとよく聞きます。これらは「相手の今」に焦点を当てた行為なんですよね。この人は今どんな気持ちなんだろうか、何を一番に訴えたいんだろうかと汲みとる、そのために話を聞く、ということが必要になってきます。
なのに「私は〜だから」「普通は〜だから」とそこから離れてしまうようなことをついやってしまいがちです。でもアドバイスや励ましってこれから先を見られるようになってから必要になるものであって今現在絶望してどうしたらいいかわからないような時にされても全然うれしくないんですよね。

今つらい人が何を求めているのかに興味を持つこと。そして今自分はどんな気持ちなんだろうかを伝えること、お互いの距離を近くすることが「寄りそう」ということではないかなと思います。


見つけてほしいんだよね、私を。



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