“歌舞伎町のホテルから飛び降りた16歳の“トー横キッズ”。亡くなる直前に語った「壮絶な過去」と「大人への絶望」”の記事を読んで


ここに出てくる「大人」というのは「本人以外の全ての者たち」と言いかえることができると思う。
同じ立場のトー横キッズたちしかり、家族、友人、支援団体の者たち。そしてその記事を書いた者とそれに反応した者たち、私を含めた読者全員が「大人」であり広い意味での「当事者」であるという意識の希薄さというのが本人の世界への絶望を深めた要因と根深くつながっていると考える。
彼女は「自業自得だ」という世間の声に殺されたとも言える。

一体誰が正しい知識と手ほどきでもって彼女と接せられていただろうか? 何人かはいたかもしれない。しかし結果としてそれらは届かなかったのだ。

私自身支援者としての活動をしていて、もちろんこのような若者も大勢いる。彼ら彼女らがこちらに対して初めからあきらめや自嘲をもって接してくる場合はたいてい酩酊した状態でくる。シラフではもう話せなくなっているのだ。真面目に語っては無視され、その連続がこうした絶望と無感情のどん底、そしてそれを耐える・忘れるための高揚に居続けさせられる。
助けなんてこない。

そんな世界、誰がすき好んで居ようとする?

生きることに意味がないと思っている人たちに生きることの素晴らしさを説いて簡単に心に響くと思っているのか?すぐに自分の意見を聞き入れてくれないからって「こいつはダメだ」と勝手に見放して、それを自業自得と諭す大人たちが彼ら彼女らの世界を壊したのだ。

私たちは本当の意味での「聞く」や「寄りそい」ができているだろうか。
まずは自分に問うところからはじめてみよう。

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