死にたみ文学館 Vol.1

自分やいろんな人の死にたい気持ちを言語化し、眺めて溶いて整えたら、文学になった。

というわけで色々できたのでツイッターの専用アカウントも作ったけどnoteにも載せます。作品の解題とかもしたい。
皆さんも自分の気持ちを作品として整えてみるとまた違った捉えかたができるかもです。自分がよくなるために書き出し、それを読んだ人の力になる。
それが死にたい人たちの生きる力にもなったりもするんです。




「今から飛び降りる」
「ODしたから」
「めちゃくちゃ切った。血が止まらない」
きみの音声を聞きながら僕はぬるくなったカルピスを口に含む。
 



卒業するとき私は確信していた。自分は非凡できっと何かで成功する人間だと。社会に出て傷つけられて引きこもりとなり、今では誰も私を「普通」だと思わない。自分で死ねばもっと特別になれる。誰も知らないままでは終われない。
絶対に。絶対にだ。




飛び降りの動画を見た。
ああ、これは私だと思った。
配信をしなければならないほどの強い思いがあるのも、本当にやらなければならないくらいの強い絶望があるのも一緒だ。この人は私のために死んでくれたんだ。
ただありがとうを贈りたい。私は今こうしてあなたのおかげで生きているよ。あなたの分まで幸せになるね。本当にありがとう!




あの夜ふたりで行った海は無人の月明かりに照らされて、波の音だけがめちゃくちゃうるさく聞こえた。
今はもう何も聞こえない。
あの波の音をもう私は思い出せない。
無音の夜の海、聞こえるのは自分の心音のみ。
そっちは何が聞こえる?




『ガッショウ』


だれもなんにもしないから
だからといってわたしがやるわけでもなく
なんとなくわたしがやるだろうという空気感だけが伝わってきて
けっきょくわたしがやることになり
そんなまったく重みのない責任感のせいで
ふいに死にたくなるのです

たとえわたしが死んだとしても
それはけっして誰かのせいではなく
わたしが悪いわけではないのにわたしが選んだことにされてしまうのは
それがわたしの命だからに他ならず
わたし以外のせいにはできず
だから手放したくなるのです

わかるかこの気持ち
讃えんなこの命

どうにもできないものだとしたら
せめてふたりで祈りましょうよ
いのちといのちのやりとりなんです
あなたが死にたいと思った朝は
誰かが生きたいと思った朝と煮ますので
こっちに来て手を合わせてください




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