「死にたい気持ち」は気楽に話せ・気軽に聞け

死にたい人の話を聞くことを始めてからそこそこの年月経つんだけどそういう世界を知らない人たちから「なんでそんなに続けてられるの?」と聞かれることがある。

側からみたら大変そう・難しそうだし、お金が入るわけでもないし自分の時間を削ってるしで、メリットもなくなぜできるのか不思議に思うらしい。「自己満足」とか「善意」とか「困っている人を助けたい」とかわかりやすい動機でやってるんだろうな、と思っている人もいるだろう。
私の場合、一言で言ってしまえば「楽しいから」続いているとも言える。
この「楽しい」っていうのはもちろん面白い、可笑しいという意味ではなくてあなたのことを知れたことによる喜び、と言えるだろうか。
誰かと心と心が通じ合った時とか今まで疑問に思っていたことがパッと理解できた時のような、そんな感覚に似ているもしれない。

「そんなこと言ったって私のつらい気持ちを親や友達や恋人に話してもみんなイヤそうな顔をする」と思うかもしれない。そりゃそうなんですよね、身近な人たちにはあなたと共に生きていく上での責任があるから。親や友達としての接し方をしないといけない。責任…という言い方をすると重いかな。「友達としてこうしなきゃ」みたいなことは感じると思う。友達として自傷を見過ごすわけにはいかない!やめさせないと!みたいな。距離が近すぎて責任感や使命感が肥大した結果、強い態度での叱責や言い方になってしまう。

そういう重さ、アカの他人には関係ないんです。

だから寄りそえる。だから聞けることがある。

メンクリの先生なんてお金もらって仕事で聞いてくれるんだからいくらでも本音を言っていいんですよ。言いづらいな、恥ずかしいな、と思うのは相手を大事にしているから。そういう絆が心の回復には必要なんです(ハナから信用がないから、は問題外ですが)。
だからネット上で自分のつらさやしんどさを語れる界隈、SNSってすごいよな、ありがたいよなと思ってたんだけどただつらい人が独り言のように語ってばっかりで返事や反応がないことが大半で、あれで本当に気持ちが楽になっているのか疑問に思うんです。ただ吐き出したいだけって言うけど反応なさすぎて逆につらくならないのだろうか?
もちろんバカみたいな返答がきて傷つくくらいなら何も言われない方がマシなんだろうけど共感を求める同じ界隈の者同士で「反応しない・バカみたいな返答する」ってじゃあ何のためにその場があるんだ?とも思ってしまう。

うーん、わりと強く語ってしまったけどこれも私の本音だと思う。
それに私がヤバいと思っているのは「つらい相手に対してどう接していくのかを学ぶ機会のない社会」に対してなんだよね。
一対一のやりとりってやっぱり専門家や訓練受けている人じゃないともたないんです。だからそうじゃない人たち(つまり世の中の大半の人たち)はみんなで支えあうことが必要です。
みんなで寄りそってやりとりをする。多分そういう場って「饒舌に自分を語る場」ではなくて「沈黙も多くなる内省の場」になるでしょう。
そういう現場を経験したときに感じる楽しさが、もっと気軽にネット上でもあればいいのにな、と思う。
身近な人たちが気負わずに話を聞く行為ができる、寄りそえるようになるのが一番なんだけどね。



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