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日本の製造業の復権を目指す工場技術屋兼中間管理職の自己紹介です

就職氷河期世代、メーカー勤務の工場技術屋兼中間管理職です。取りあえず自己紹介です。

広島生まれの広島育ち。東京へ出てから25年も経つのにお好み焼き、カープ、広島弁に拘る典型的な広島人。中学・高校男子校上がり。

・両親は国語の教員、家には横書きの本が電話帳しかないと言う環境の中、生来の昆虫好きが高じて大学は東大の生物化学系へ。

・部活は俗に言う体育会弓道部。そこで自分が人並み以上に酒を飲めてしまうこと、飲めば飲む程幸せになれることに気付き、研究室で酒飲み放題の農学部へ。官僚にはなりたくないし、かと言って大学にも残りたくないし、民間へ就職するなら仕事で昼から酒が飲める酒類メーカーしかないと決意し、修士の時某大手4社を受ける。

・超就職氷河期の中、何とか某酒類メーカーに拾ってもらう。研究所で中味の研究開発をやるもんだと勝手に思っていたら工場配属になり、以降生産技術職として国内工場で品質、製造、生産技術、工場管理領域の経験を合計8年間。レイノルズ数やエンコーダー、スプロケットすら知らなかった私を時に厳しく、そして常に熱く鍛えてくれた上司・先輩・後輩や現場の方々への感謝は一生忘れない。そして、毎日朝から現場で(官能検査として)飲んだ未濾過、濾過したて、詰めたての酒の美味さも一生忘れないし、二日酔いなのに朝から仕事で飲んだ酒の味も一生忘れない。

英語は最低限の読み書きは出来ても喋れない・聞けないごく普通の日本人レベルだったのに、買収して間もない北米の現地子会社へ3年間駐在に出ることになる。主に同社製品の品質改善、現地生産拠点拡大に取り組む。現地の人達との生活や仕事を通じ、人生観・職業観が見事に大きく変わる(典型的な「控えめで従順な日本人」にはなれなくなる)。

・駐在中に欧米の超グローバルメーカーは世界中の拠点をどうマネジメントしているのかどうしても知りたくなり、帰国後本社勤務をしばらくやってから超大手外資系消費財メーカーへ転職(≒脱藩)。当初から、外資のノウハウを勉強したら日系に戻り、日系企業を真に世界で戦える組織にしたいと思っていた。国内工場のマネジャーで品質管理⇒エンジニアリング(EHS含む)⇒製造+工場マネジメントを合計6年間経験し、工場周りの業務は一通り分かったような気になる(←勘違い)。グローバルマネジメントの内情がよく分かったが、情緒も糞もなく数字だけで全てが淡々と決まってしまう外資で、かつ上司が欧米人や中国人だとどんだけきついかと言うことも非常によく分かった。

40歳を過ぎたところで日系大手メーカー各社の品質偽装問題が頻発。「やはり日本人は日本のために働くべきだ、正に日本に恩返しするタイミングが来た」と言う気になり、日系生産財メーカーに(恐らく人生最後の)転職。現在全社的な品質戦略、品質マネジメントを担当。海外出張もコンスタントに月1,2回あってアジア・欧州・北米中南米回りまくりだったが、20年3月以降自粛中。

・20年社会人をやって、職場が工場でなかったのは2年のみ。典型的な中間管理職系工場マンです。端的に言って工場の仕事、メーカーの仕事が好きです。時代の移り変わりによるメーカーの生産技術や現場技能、オペレーショナルエクセレンスの変化、DX関係の進展で今後どれだけIoT、AIが進もうとも、原理・原則・現場・現物・現実の5ゲン主義、現場の要は人、ということはメーカーが工場でモノを生産している以上決して変わらないと思っています。

・今後は今の仕事で自分を育ててくれた「日本のメーカー」への恩返しをすることを続けながら、同好(?)の士の方と意見交換しつつ次の時代のメーカーの新たな技術スキーム、ビジネスモデルのようなものを作り出したり出来るといいなと思っています。

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