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ホルクハイマーに関する試訳を投稿していきます。

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記事一覧

M. Horkheimer「社会科学における予言の問題」(1933)

①問いがその討議についての社会学的予見(Voraussicht/ prévision)に従って根底に置かれてきたことはすでに次のような理由から、より良い思考である。すなわち、社会学で…

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3日前
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M・Horkheimer「唯物論と形而上学」(1933)試訳

①ヨーロッパにおいて古代から登場していた哲学的直観についての研究からディルタイはとある洞察を得ていた。それは、あらゆる形而上学的な試みはある単一で普遍妥当なシス…

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11日前
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M・Horkheimer 『道具的理性批判』(ドイツ語初版)序言(1967)試訳

人間にとって目的だと見做されることになっている永遠の理念を問いただしそれ自身のうちに吸収することは、昔から理性と呼ばれている。それに対して、その都度偽られた目的…

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1か月前

M・Horkheimer「科学と宗教に関するショーペンハウアーの思想」(1971)試訳

①近代哲学史において、ショーペンハウアーの著作はペシミズムの原型と見做されている。「…死がそれほど恐ろしくないのならば、誰がそのような生を耐え抜くのだろうか?―…

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2か月前
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M・Horkheimer「今日のペシミズム」(1971)試訳

大統領のお言葉に感謝します。今、私の念頭にある「今日のペシミズム」の理念についてお話しようと思います。 まず、ペシミズムの先史を指摘しましょう。すでに古代人はペ…

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2か月前
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M・Horkheimer「完全な他なるものへの憧れ〈ヘルムート=グムニオールとの対談〉」(1970)試訳

グムニオール:「現実の自由主義におけるあらゆる無限の概念は、この世の出来事の決定的な意識として、人間を修正不可能にまで見放す意識として維持し続けている。そしてこ…

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2か月前
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M・Horkheimer「楽観論者としてのショーペンハウアー」試訳

ショーペンハウアーは決定的に楽観論者であった。また、世界の苦しみはライプニッツやヘーゲルまでの形式ばった楽観論を否定することはなく、独善的な形而上学というその場…

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2か月前
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M・Horkheimer 「 科学と危機についての覚書」(1932)試訳

①科学は社会のマルクス理論においては人間的な生産諸力に数えられる。先進諸国自身の中で低層階級に属する人々に与えられる自然や人間世界についての簡単な認識形態以後、…

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2か月前
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M. Horkheimer「社会科学における予言の問題」(1933)

M. Horkheimer「社会科学における予言の問題」(1933)

①問いがその討議についての社会学的予見(Voraussicht/ prévision)に従って根底に置かれてきたことはすでに次のような理由から、より良い思考である。すなわち、社会学でさえ普遍的で文化的な危機に参与してきたことが、そうした予見の中にとりわけ明らかに姿を現しているという理由からである。予見の可能性は、現実的なものについてのあらゆる科学にとって試金石である。現在の歴史的状況において社会学

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M・Horkheimer「唯物論と形而上学」(1933)試訳

M・Horkheimer「唯物論と形而上学」(1933)試訳

①ヨーロッパにおいて古代から登場していた哲学的直観についての研究からディルタイはとある洞察を得ていた。それは、あらゆる形而上学的な試みはある単一で普遍妥当なシステムを打ち立てることを、この点で歩みがそうした試みにとって前進的に今日までうまくいくこともなく目的としているという洞察である。事実この歩みそれ自体が世界観の型を分離することを企てるが、それゆえこの歩みはまた、それによって適切に表現された区分

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M・Horkheimer 『道具的理性批判』(ドイツ語初版)序言(1967)試訳

M・Horkheimer 『道具的理性批判』(ドイツ語初版)序言(1967)試訳

人間にとって目的だと見做されることになっている永遠の理念を問いただしそれ自身のうちに吸収することは、昔から理性と呼ばれている。それに対して、その都度偽られた目的のために手段を見つけ出すことは、今日では理性の商売事というだけでなく理性に固有の本質であると見做されている。かつて達成していた手段にすらならない目的などというものは迷信として現れている。神への服従が昔から神の好意を手に入れるための手段として

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M・Horkheimer「科学と宗教に関するショーペンハウアーの思想」(1971)試訳

M・Horkheimer「科学と宗教に関するショーペンハウアーの思想」(1971)試訳

①近代哲学史において、ショーペンハウアーの著作はペシミズムの原型と見做されている。「…死がそれほど恐ろしくないのならば、誰がそのような生を耐え抜くのだろうか?―そして、生が喜びであるのならば、誰が死についての考えに少しでも我慢できることがあるだろうか!と同時に、しかし、依然としてあらゆる死は生の終わりのために善を保持し、我々は死とともにある生の苦しみと、生の苦しみとともにある死についての慰めを自身

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M・Horkheimer「今日のペシミズム」(1971)試訳

M・Horkheimer「今日のペシミズム」(1971)試訳

大統領のお言葉に感謝します。今、私の念頭にある「今日のペシミズム」の理念についてお話しようと思います。

まず、ペシミズムの先史を指摘しましょう。すでに古代人はペシミズムを心得ていました。紀元前三世紀には(キュレネの)ヘゲシアスという、自殺が彼にとって正しい答えのように思われる世界を見てきた思想家がいました。彼の門下生は少しもこの帰結を歪めようともしませんでした。後に、ヘゲシアスは存命中にそのこと

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M・Horkheimer「完全な他なるものへの憧れ〈ヘルムート=グムニオールとの対談〉」(1970)試訳

M・Horkheimer「完全な他なるものへの憧れ〈ヘルムート=グムニオールとの対談〉」(1970)試訳

グムニオール:「現実の自由主義におけるあらゆる無限の概念は、この世の出来事の決定的な意識として、人間を修正不可能にまで見放す意識として維持し続けている。そしてこの概念は、社会を忌々しい楽観論から、新たな宗教としてそれ自身が了解している広がりから守っているのだ」この文章をマックス=ホルクハイマーは35歳の時にアメリカの亡命地で書いています。彼は当時、一年以上も前からニューヨークにいました。理論の創設

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M・Horkheimer「楽観論者としてのショーペンハウアー」試訳

M・Horkheimer「楽観論者としてのショーペンハウアー」試訳

ショーペンハウアーは決定的に楽観論者であった。また、世界の苦しみはライプニッツやヘーゲルまでの形式ばった楽観論を否定することはなく、独善的な形而上学というその場しのぎのでたらめを付加的に創作するだけであった。カントだけが単なる希望としての最高善を叙述したものである。ショーペンハウアーにおいては、生への意志の否定、つまり苦しみの終焉は個々の罠の中で形而上学的実在性として要求されている。また、ショーペ

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M・Horkheimer 「 科学と危機についての覚書」(1932)試訳

M・Horkheimer 「 科学と危機についての覚書」(1932)試訳

①科学は社会のマルクス理論においては人間的な生産諸力に数えられる。先進諸国自身の中で低層階級に属する人々に与えられる自然や人間世界についての簡単な認識形態以後、過去数世紀にわたって科学とともに発展してきた、思考の通常の変遷の条件として、とりわけ、彼らの諸発見が社会的生活の形式に決定的に参与する研究者の精神的な能力の構成要素として、科学というのは、現代産業システムを可能にしている。科学が社会的諸価値

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