見出し画像

M・Horkheimer「絶対集積の哲学」(1938)

①マルク[1]の新刊は明らかにあるイデオロギー、ドイツ内外におけるいくつかの対立集団が同意せねばならないイデオロギーの構想、世界観的な統一プログラムの性質を描き出している。多くの類似した試みを前にして本書は特別な批判を挑発することはない。明確にあらゆる行間から語っている目的に相応しいことを個々の行間の中で検討することは、いずれにせよここでは課題になりえない。しかし、マルクが常に実践し、本書で繰り返し素性を明らかにしている誠実なものの考え方は、我々がこの論文で本書に取り組むことを正当化している。この宥和し得ない判断は本書の筆者には有効でないが、ここでの事柄には有効である。あの非宥和的な判断に、それでもなおこうした事柄を放棄する性質があることを信じている。講和前の1918年に暗闇からの出口として哲学者たちの前に現れた平和主義的態度は、さしあたり、哲学からの暗い出口となっていた。

②マルクは公然と「新人文主義」の肩を持っている。彼が古い人文主義のもとで理解していたものは、キリスト教的な人文主義、ルネサンスの文献学ないしフォイエルバッハの唯物論を全く明らかにしない。少なくとも彼は、新人文主義が古い人文主義を超越しているという疑念をそのままにしておくことはない。「不死鳥として灰から生じる一つの運動はその愚直な直接性を喪失してしまった」。今回は神秘的な鳥の羽は青・黄・赤色の微光を発している。そしてこの鳥は、戦後期のクークー鳴く哲学的諸概念を反復しているのだ。(20世紀初頭の)表現主義以来、ドイツで一時的な居場所を手に入れ、その末端を今や世界の外へと送り出していた哲学的科学的な流行りの思潮のもとで、新人文主義において専門語の暗示によってでも追い払われなかった居場所など存在しない。場合によるとファシズムに不満を抱きうる、ほぼすべての政治的ないし宗教的集団は、彼らが自己を再認識するところの何かによって命令されている。個々のものの見方というのは、常に他の相手も個々のものの見方に了解することを明らかにしうることによって加工されているのである。この思考は相互にあらゆる相違を喪失しているのであり、それとともに思考のいずれにせよ問題含みな実質の最後の残滓を喪失している。新人文主義は本来的に一度たりともカラーであることはなく、単調な灰色である。

③宗教は惨憺たる状態である。歴史における神概念の中では人間の願い(Wünsche)、永遠の生や力そして正義への憧れ(Sehnsucht)が映し出されている。新人文主義の神像は、ワイマール共和国において結局ほとんど成立しなかった政権を担当する多数への憧れを露呈しただけである。神というのは「諸矛盾が収斂する本来の核心であり、いくつかの部分が収斂する全体である。神は、あらゆる制限されたものや悪魔的なものが常軌を逸しているものとして向き合う絶対集積である」。神をそのように規定することに対して、優れた神学的な伝統を想起することによって抵抗する者は、すでに次のような歴史的経験によって用心することしかできなかった。すなわち、「常軌を逸しているもの」を右へ左へとサタンでもって企てられうる悪魔的なものとして追い払う集積は、実践の中で決断せねばならなかった、という歴史的経験である。こうした決断が1919年のドイツで転倒したあと、この発展は1933年まで首尾一貫していた。名目上の自己中心を備えていた意識は、未だに政治的イデオロギーとして維持されうるが、それに対して、こうした意識の長く揺さぶられた社会的基盤は完全に崩れ去っていた。

④新人文主義が何も収穫を得られずに終わらないために、マルクは「神は限界概念(Grenzbegriff)である」と述べた。しかしこうした恐ろしい主張がなんの性質も持ち得ないと信じているコーエンによれば、少なくとも、天の慈悲を「素朴な直接性において」期待している者にとっては、神的な中心の上下左右などない。悪魔的に「常軌を逸しているもの」についての表象は、政治と同様に宗教においても不可能である。それゆえ、新人文主義的な宗教哲学者らによるうわべだけ思慮深い表現において、エセ政治的な意図が現れるような不本意の開放性は、宗教的な衝動が正しい政治において現れるということを打ちのめす。政治における戦術から穏健な真理は、復讐を選び取り、宗教を穏健な政治の信条に変えてしまうのである。

⑤宗教は新人文主義の構成要素しか形成しない。またリベラリズムは、「不朽のモチーフを人文主義的な集積へと」供給する。しかしリベラリズムは、ヨーロッパでは過去のものとなっている。ここ数世紀のリベラリズムによって命名された社会システムは、資本主義的価値法則の際限のない支配、すなわち啓蒙であり、競争原理の実践に移行した。教会や絶対王制に突きつけられたスローガンが市民階級の需要を越え、幸福の可能性を描く限り、このスローガンは具体化される。こうした調和は理念の中で称賛されてきたし、実践によって否認されてきた。中世ではそこでの君主はひとつの君主と呼ばれ、召使はひとつの召使と呼ばれた。近代において、市民概念のもとにある不平等は姿を消した。こうした経済様式への移行は、生産や恐ろしい出来事の時代を始めた歴史的進歩であった。この時代の歴史というのはユダヤ人解放のための資本を含むだけでなく、仕事用機械のテストのための資本やコミューンを打ち倒すための資本、植民地支配の恐怖のための資本をも含んでいる。この歴史のイデオロギーの持続は、この歴史の経済基盤の持続と同様に不可能である。古典時代のリベラリズムは少なくとも正しい理念を持っていたし、加えてこの理念を用いることだけが単に問題なのだ、という抗議は、ここでは役に立たない。今日自由を語る者は、その者が考えるものを正確に理解させねばならない。抽象的なもの(abstracto)における自由は、フランスの警察管理地区や我々オーストリアの同胞を解放することと調和しすぎている。

⑥そうした諸カテゴリーの孤立した使用はヘーゲル以来、不可能となってしまった。これらカテゴリーは、真に認識の全体において、しかも批判的認識として、個々の否定する諸機能、批判的認識を超越して追い払う諸機能における部分的な諸真理や状態である。これらカテゴリーは、それが明言されるか、同意的不同意的かかわらず人間を前に差し出すことによってでは、そうした批判的認識として証明されない。まずもってなおも自分自身に至らねばならない現実、矛盾に満ち不相応で悪しき現実として、その都度支配的な現実を描くこと、そして相応しい実践というのは、理念を用いるための唯一の合法的な方法である。フランス革命において人権のスローガンはなおも完全に、その名において努力がなされた目的の中に埋没したわけではなかった。しかし、19世紀おいて自由や平等の言葉はすでに新人文主義的なものになってしまった。というのも、それら目標がすでに実現されていたからではなく、歴史学的な現実と活動へのあらゆる明らかな関係が消滅していたからである。この目標は理想的なものへ堕落してしまっている。リベラリズムにおいて理想というのは、自身が非難される現実を明らかにしている。衰退に近づいている支配的な社会形式は不屈の進歩の契機として現れている。理想は消滅している道徳的(versittlichend)影響を行使する。自己の意味を保持する自由への告白は、「その自由が完全に実現されることがないからこそ」、常に実現されている不自由を是認するのである。そのことについて大衆は耐えられえない。また、「諸集積」への意義ある関与は、冷静に分析され理論的に確固とした目標が保持されているものを前提としている。

⑦「〈高みで手放すことができないままでいる〉教育自由主義や批判原理、自由の宗教、人権、これらは、野蛮が根絶されることに取り掛かる文明が不可能ではなしに、権力国家から防衛するリベラリズムの諸要素を形成する」。この防衛的な諸要素は、妨げても構わない自由主義者らがドイツで「権力国家」に寝返りうるということを妨げることはなかった。というのも、その諸要素が悪しき自由主義的者であるからではなく、自由主義において高みにぶら下がっている人権が、その新なる意味と支柱を、さらに生産手段より上位にあるしっかりと固定された処分権におけるそうした人権の現存在の根拠を備え、この悪しき自由主義者が一様に危機にさらされているところで首尾一貫して放棄されているからである。当時、正しい自由主義者らはフランクフルト新聞の中にいたのではなく、染料工業の産業組合(I. G.)の理事会の中にいたのであり、彼らはみな、自分自身に忠実であり続けたのだった。強固に「権力国家から防衛するリベラリズムの諸要素」が自己を残りの世界の中で証明するようなものは辛抱し続けている。

⑧社会主義もまた、集積において失敗に終わる必要などない。新人文主義は経済生活における正しい協同組合の秩序や「とりわけ」危機に耐えうる経済を主張している。マルクスは社会主義を正しく理解していなかった。マルクス主義はたしかに「人文主義的なモチーフを含んでいるが、社会主義ヒューマニズムを実証的に定義できていない。というのも、マルクス主義は政治哲学としては不十分であるからだ」。マルクは「革命に関する日和見主義」を拒絶している。「自律的な歴史哲学や人類学は、マルクス主義的弁証法と同様キリスト教的弁証法に、内在する超越的な考察様式の批判的弁証法を対置している」。何かしらとともに経済生活の正しき秩序、とりわけ危機に耐えうる経済が打ち立てられうるようなものは単に暗示されている。しかし、新人文主義が目論んでいる社会主義の実証的な定義に、オッペンハイマーはマルクスを任命しようとしているように見える。もしくは、マルクは所有や階級の理論一般について考えようとしていたのだろうか?そうであるならば、単にリベラリズムだけでなく社会主義にとっても、「教育理念」は残っている。そして、社会主義は偉大な選帝侯や卑俗で拘束力のない用語法の近さへと移動してしまうかもしれない。

⑨したがって、マルクはマルクス的な社会主義ではなく「文化的かつ非唯物論的に方向づけられた社会主義」に賛同するかもしれないし、それに対して何も持ち得ないかもしれない。事実、彼は観念論的と言われているが、「観念論という言葉は、文芸的な亜流を使用することによって抽象的になることも、不評を被ることも」ないだろう。マルクは、自身がそこで念頭に置いている人が容易には察知されえない明白な尊敬でもって多くの現代哲学者を引用している。現代の是認されたドイツ哲学者のもとでの諸文芸は、周知のごとく総じてリアリスティックであり、具体的である。観念論的ではなく「社会主義的な人文主義」は、マルクに従えば正しい概念である。「その名においてすでに、正しい概念はそれが存在しようと欲するもの、すなわち文化社会主義、自由主義的社会主義を明確に言葉に表現している。言うまでもなく文化社会主義はプロレタリアートの〈物質的な〉解放に対抗するものではなく、むしろこうした解放を文化社会主義の前提条件のために保持している。そして文化社会主義は自己を、その前提条件が不可欠でありそれをざっくばらんに構成する契機と見做している」。社会主義は「全運動としての文化闘争である」。―そして、社会主義は一度たりともプロレタリアートの〈物質的な〉解放に向けられていない。ドイツ社会民主主義の歴史は文化愛への注意を呼びかける定めにあった。支配的文化への批判的態度、そうした文化の諸要素の維持に向かう未来の見通しであった態度、そうした態度に代わって、しばしば次のような熱心な努力は認識されうるのだった。すなわち、田舎者が彼らの主人の過去の流行に乗っかるように、豪華品としての一昨日の市民的な学識を身につけるための努力である。同様に、文化のための闘争が特定の文化に対する闘争であるまさにそれが理由で、それどころかそうした闘争が直接現れるとき、この闘争はマルクの意味における「全運動」ではないのである。

⑩新人文主義もまた、科学と文学との狭い関係を維持している。マルクは主張がやや遅れている。しかし、15世紀以前にケルンにおいて栄えていた哲学的人間学は、「その権利を獲得」し始めている。あのシェーラーの発明が「人間の本質の構成要素としての自由」を確立したまさにその表象は、かなり誇張されている。人間の自由の確立は、一般化するなら、少なくとも、人間の自由が「儚い現象形式」もしくは「過ぎ去る装い(Gewändern)」において存在することを偽って人間学的に断言することによってではなく、現にある不自由の理論的実践的批判によって生じるのだ。マルクは更に公然と「ゲシュタルト科学」の肩を持っている。至るところで彼は新人文主義的な萌芽を発見し、そういうわけで「現在が全く異なった側面から人間の具体的な図像を」強引に推し進めている。「批判的思考心理学、新たな単子論、ゲシュタルト思考、創造的中庸の哲学、有機的全体性」―これら真なる「文芸的な亜流」を一様に想起させる諸概念―をマルクはそうした希望に満ちたタイトルとして引き合いに出している。マルクは、これら諸概念というのは、人間を、自己自身へ、そして「唯一の中心点の認識へ、存在との交わりを排除しないが被人称的な存在に対する供給から守る、あの〈Bei-sich〉へ」もたらすと考えている。哲学にはこうするための能力がない。世界が根本から変化しない限り、任意の存在との交わりなど存在しないし、総統の存在は、ひとが据えられている壁の非人称的存在に対する供給から長い間守るものであるかもしれない。「権力国家」の主人を前にして、創造的中庸もしくは固有の中心点、もしくは名目上は人称的な中心に対する、そうしたいかがわしい名前のようなものが述べるかもしれず、自由に維持されうるかもしれないこと、このことはひどい誤りと見做されうる。異端審問の良き古き時代以来、技術は進歩してきたが、だからといって哲学的人間学が正しいというわけではない。

⑪しかし、新人文主義の最高の守護者として選ばれたのはコーエンやシェーラーではなく、トーマス・マンであった。果てしない感嘆の中で彼の「哲学的政治的課題」は称賛されている。この課題はあらゆるものを一つにまとめあげてしまう。「詩的かつ予言的な形式の中でこの知らせは、この時代における哲学的人間学を反省的に際立たせるものを濃縮する」。我々は、最高の愛知者(summus philosophus)になるためにトーマス・マンをこのように頂点に至らしめたいくつかの実質的な土台を広く追い求めるつもりはない。これら実質的な土台は第一に、『魔の山』からのとある一文のうえに築かれている。すなわち、「人間は矛盾の主人である」という一文である。ところでこの一文はニーチェによってインスパイアされているのだが、それはともかくとして、この一文はマルクによれば、「人間の愛を全く欠くことがなく、むしろそれを引き起こす非追従主義のプログラム」を含んでいる。「このプログラムは、あらゆる事柄と同時に最も崇高な事柄を越えて人格とその根源を演出している。(このとき)はじめて人格は、こうした事柄をその自由な決断の内に捧げるに違いない」。ヘーゲル哲学では、人間というのは「論理的かつ歴史学的に世界精神のマリオネットに引き下げられる」のだと言う。マルクスの理論は言うに及ばず、ヘーゲル論理学の真理は、トーマス・マンの人文主義的「人格主義」に比肩しうる。マンは「非人称的な弁証法の図式の外部へ」と身を置いている。彼はヴァイマールの遺産を守り、新たな人間像を形成している。すなわち「古き神話と若き現代は、新たな人間像の創造において一致している」。

⑫トーマス・マンは新人文主義が自身に課した「哲学的-政治的知らせ」のもとで不十分にしか感じていないという推測は当然であろう。『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の筆者にとって、自律的な歴史哲学と人間学の告知者や内在する超越的な考察様式の批判的弁証法の同調者としての役割を演じることは困難を伴うだろう。彼の作品もまた、仮にも現在に相応しいプログラムを含んでいることはないが、たしかに「人間愛を…かえって引き起こす非追従主義」のプログラムを含んでいない。しかし、なおもトーマス・マンの政治的構成を越えて経験的なものが見つけ出すかもしれないイロニーの透明塗料は、底から何かを、すなわち、きわめて消極的な抵抗を照らさせる。この消極的抵抗は、新人文主義の眼が手助けする世界観的な不透明塗料よりも多分に非追従主義的な実践と関わらねばならない。マルクによってただ付随的にのみ言及されたトーマス・マンの同志がすでにずっと以前からそうしてきたように、トーマス・マンが今日、全体的な世界秩序の実行者に対して表明していることは、解放的である。彼の文学的作品に基づくと彼の証言は無名の人間のそれよりも重みがある。予言的な野心など彼にとっては無縁である。

⑬トーマス・マンは次のことを予期して然るべきである。すなわち、政治的な理論と実践は自立し必要とあれば彼の理念との矛盾の中で発生するということを。彼は、同時にそうであるからには自身の理念を取るためのガラクタを持っていたのかもしれない。彼自身の言葉によれば、彼は、「我々の条件付けられた生と精神の形式が、我々がもはや自分ではないもの、私たちの後に来るものに心中を開かせる来たるべき自己批判」を備えている。最高水位に溺れている、彼による不当な要求によって、彼自身、次のような相違は困難を極めている。すなわち、新人類を擁護されるか、活動的なエリートの宣伝がトーマス・マン自身によって擁護されねばならないのか、いずれかの相違である。単純に彼の好意的な自然に従うのではなく、用心深く公正に彼の決断を適切に表現するための目論見を詳説することはトーマス・マンにとってはこうした喧騒の中では容易ではない。しかし、腐敗した周辺世界から感じ取ろうとしている政治家にとって、そうした世界における善なる名はなおも推奨には値しない。可能な限り疑わしさを排した出所のための不自然な努力はご都合主義であり、仮にも革命的な努力などではない。

⑭また、ゲーテは新人文主義に組み込まれている。ひとは「創造的なものや矛盾を超越したもの、人間の意味をゲーテに沿って研究できるのかもしれない。ゲーテの知らせを評価すること、彼の批判的意味における中産階級理解…というのは、特有の新人文主義的な活動領域に属している。それなのに、ドイツの戦後の大学では、こうした活動領域の上でそれでも力のかぎり動き回っている。マルクはそうした事態に満足していない。ゲーテの没後100年である1932年は、「ヒンデンブルク-ヒトラー論争、失業者の飢え、忍び寄る市民戦争によって支配されていた。創造的な核心など、あの年では実現の見通しなど持ち得ていなかった。そうした見通しの偉大な形態が、ドイツ人にとって民族や国家の領域で実現するためのモデルになっていく時代は訪れるのだろうか?」ヒンデンブルクとヒトラーは互いに折り合うことはなく、民族や国家の実現のために共同して身を置いていた。ヒトラーは大いに素晴らしく「偉大な形態」に適合し、はじめてゲーテとしてのモデルを表象することに到達している。マルクはファシズムの誠実な反対者である。そういうわけで、闘争的な気質の決まり文句とともにある彼の思想を貫徹することは、彼をその新人文主義ゆえに惑わしている。古い専門用語の使用が必然的に伴う、独断論とそれ以外の受け入れがたいものを前にしたあらゆる憂慮によって、生産諸力を解き放つことのために尽くすことは、創造的な核心に向かう実現の見通しを探し回ることよりも、依然として理論的に異論の余地がなく時流にかなっている。希望なき少数に迷い込む蓋然性というのは、人類の希望が集積の陣営の中ほど集積によって止揚されていない時代には、それが少なからず政治哲学者に見えるような完全に無に帰す試金石などではない。哲学的人間学や大衆に敵意を持つオルテガ・イ・ガセットを筆頭とした他の自治主義者らを一つにまとめることは、歴史の理論と実践から、あの諸集積を頼りに単に粗捜しをする孤立した文筆屋よりも密閉されている。

⑮マルクは国家社会主義を見誤っている。というのも、彼は国家社会主義が強大になった共和国を見誤っているからだ。権威主義的国家は、リベラリズムを引き継ぐヨーロッパ社会の断片を性格付けている。この国家はより高次の抑圧を意味している。生産手段から切り離された大衆を支配し、民族を世界市場での闘争のために鍛えるための課題、目下、こうした闘争に向かう固有の体制側にいる官僚機構によってシステマティックに促進されている課題というのは、リベラリズムからの結果として生じている。こうした課題が権力分立や議会政治でもって解決されてきたことなどもはやなかったのだから、市民、すなわち仮にも決算に関与せずに経済的に影響力のある市民の中核は良かれ悪しかれファシズムにおぼれてしまった。彼らの裁判はリスクや重いコストと結び付けられてきた。そうこうするうちに、この裁判は正しいと証明された。ドイツ軍は誤った投資であった。このことは国際競争においても国内競争においても同様である。すなわち、最後に残った者がバカを見るのだ。やむを得ない事情で迅速に移動する決心をするドイツ軍は利益を得た。その他の軍はわずかな移動に甘んじるしかない。しかし、ファシスト達の手に落ちた略奪品は法に則って彼らに相応しいものであるし、ファシストはリベラリズムの合法的な息子である。この偉大な能力は、ファシストに対して何も責められやしない。今日なおも続く最悪の恐怖はその恐怖の源泉を1933にもつのではなく、最初の共和国の復古的な加担者によって労働者と知識人を銃殺した1919年にもつ。社会主義的な統治は本質的に無力であった。基地へ進出する代わりにこの統治は、事実の不安定な土壌の上に甘んじて立ったままであった。こうした理論は、社会主義的な統治を風変わりな考え方に向けて維持していた。この統治は自由を政治的実践の代わりに政治哲学にした。私的に政治哲学のあらゆる基礎を持つ者でさえ、人類に反復を望もうとはしなかった。人類はオリジナルと同様、厳密に過ぎ去ってしまった。

⑯国家社会主義は亡命の中で愚弄されえる低俗な文学の性質であるのではない。そうではなく、現在の最も洗練された政治的システムなのだ。権威主義的な統治は、極めて詳細に、国際連盟の政治家に存する新人文主義を見抜く。国家社会主義は、イデオロギーの完全に形成された概念性を断念することができるし、需要にしたがって、世に言うところの自身の世界観を構成することもできる。というのも、国家社会主義は、暴力によって抑圧された大衆、経済的に来たるべき機会や自身の性質を平静に保つことを引き止めて、最後まで行動をともにするように強いるからである。新人文主義が夢見心地であるとき、反転した形式において、国家社会主義の議会イデオロギーの理論的批判や国家社会主義の支配者による計画経済の実践はほとんど社会的現実に向かう意味を示している。ヒトラーの口の中にある国家は、カンタベリに在職している大司教のキリスト教と同様に、実体的である。国家社会主義を、常に同時に自身がリベラリズムと共有している国家社会主義の「源泉の地点」(Quellpunkt)においてではなく、本質的に北欧の物理学、人種についての教説もしくは権力の哲学でもって取り扱おうとする試みは、国家社会主義がすばらしく公共的であるとされてきたように、いい加減なものである。国家社会主義は、観念論哲学において能無しであることをあえて行いうる。というのも、国家社会主義は資本主義的現実における名手であるからだ。

⑰本書の終わりでは政治的表現が始まる。マルクは「未来の美化された図像を描こうとは」していないが、「ここで第二ドイツ共和国について引用されていることすべてについて」考えを巡らせている。この第二のドイツ共和国は最上の他の国家と同様に模範となっている。「3つの偉大な西洋民主主義、マサリクとベネッシュの国家はこうした性質の諸現実に手本を見せた。―人々に固有である、あらゆる現実性と制約によって」。当時、総じてなおも実在していた諸範例は、マルクによって自由な民族国家として解明された。しかし、第三帝国にとって第二の共和国は3つの成果、すなわち「統一国家、(ナチスの)宣伝省、防衛権」を引き継いでいる。マルクによれば、こうした新人文主義的な解決は「同一の意味における全ヨーロッパ的な問題」を解決する枠組みの中でだけ可能である。脚注の中でマルクは次のことを憂慮している。すなわち、1938年の経過は「これまで我々の希望を沈めて」きたと。また、とある正しい理論も偽りの希望へと動機を与えうる。こうした失望は検閲やときおり検閲を乗り越えることへと向かいうる。偉大な西洋民主主義は、本書の出版以来、マサリクやベネッシュの国家に、新人文主義にでさえ役立ちうるかもしれないという教訓を与えてしまった。

⑱マルクは『社会研究誌』に対して次のような異議を唱えている。すなわち、当該雑誌の見解によれば、あらゆる哲学的かつ科学的諸カテゴリーは「人間の労働-生産プロセスにおけるそれらカテゴリーの絡み合いによって定義されている。事象それ自体からのこうした主張を基礎付けること、すなわち哲学者たちの内在的合法性や時間カテゴリーの分析からこうした主張を基礎付けることは、もっとも、ホルクハイマーのもとで虚しく探求されようとしている」。事実、実際にこのことで我々の意図が適切に表現されていることはないのだが、それでも我々は、政治的と呼ばれている哲学が長い間、政治的な経済の批判の中で転覆してしまっているという意見である。(政治)哲学は、歴史的状況の正体を暴くか、文芸的な亜流の手に落ちるかのいずれかである。独占資本主義にある社会的諸関係の内在において、自由を内在的超越的に取り扱うことは耐え通されえない。すなわち、こうした取り扱いは、独占資本主義にある社会的諸関係の内在にとって、あまりに超越しているのである。哲学的人間学は弾劾的な人相学になるに違いない。1935年、この雑誌で「哲学的人間学への覚書」[2]が出版された。矛盾の主人についての教説とあの論文との対比は、その差異を明らかにしうる。他の人間学的諸性質のもとでその忠実さの差異は、所与の言葉のために論究されている。いくつかの約束の根拠は、経済的補論との連関が言われるとき、「日々わずかなものになっている。というのも、もはや協定ではなく指揮権や服従が今や高まる尺度の中で内部交渉を明らかにするからである。経済的諸事象は社会諸関係を通じて全精神世界に影響を与え、それと同時に人間的自然の性質にも影響を与える。かつて力(Macht)は非道徳的なものと見做されていたが、事実、この力というのは協定に違反していた。今日、協定は道徳に反している。事実、この協定は力関係と矛盾している。このことと関わり合わねばならないすべてのことはこうした協定を知っているし、それゆえにすでにいくつかの協定は、ときおり即座に自己に重なり合うように服従せねばならない。そして、その締結はかつてよりも容易に白紙になってしまうかもしれない。こうした協定の影響は確固たるものである。つまり、いくつかの協定は敬称略(praemissis praemittendis)に値し、表面上は歴史学的な契機における諸利害関心の地図の概略を述べるのだ」[3]

⑲さしあたり我々は自分たちのものの見方を先ほど区分し、ゴーデスベルクでの集会(meeting)のかなり前に、あの最初の集会と類似したテーマに関する別の考察を発表した。

⑳「話し合いというのは、いくつかの異なる時代において異なる重みを持っている。いまや話し合いを通じて到達されたものというのは、全ヨーロッパにおける高度に圧縮された資本の支配を強固にしている。工業化されたヨーロッパ諸大国の間にある国際的な対立は、一時的に政治的な新組織の必然性に比して後退している。緩慢に進行する活動ないし奇妙な官僚的活動においてこの世界は、独占に最も適応した統治形式としての独裁に内-外政治的に接近している。…野蛮の文化愛から営業権を作り出す、ヨーロッパにおける非権威主義的諸国の懐疑的な外交官たちは、自身の貸しを憂慮する教条的な銀行家を自身の下に持っている。そしてこの外交官たちでさえ、この先ほとんど救われることはないだろう。マキャヴェリは次のように書いている。すなわち「敵が是が非でも打ち負かそうとしてきたとき、戦闘の司令官は回避することができない」と。マキャヴェリは「王侯に列する怠け者たちやこうした女々しい共和制」、単に用心深さの訓練に彼らの司令官を任命する、そうした女々しい共和制を嘲る。結局こうした力なき戦術の市民時代に関係する懐疑的な諸個人や公共団体はそうした非難からは消え去ってしまう。そして彼らは勝利を得ようとは決してしない」[4]

㉑言うまでもなく、ただ煩わしく現存在の実存論的なものへと希釈されるがままであった時間の諸カテゴリーについてのそうした分析は、とかく次のことを断念しがちである。すなわち、国際連盟の新人文主義的な存在論のように、自己を哲学者たちの表向きの内在的合法性から導出すること、である。

㉒偉大で本質的な民主主義の幻像は、それが民主主義の運命に関係しないような「政治哲学」にとって、そこまで上辺のものではない。人間に関する哲学的概念は、対立の主人を称賛することによって肯定的に規定されることよりもはるかに、話し合いを行っている政治家の忠実なスケッチによって否定的に規定されている。偉大なもののために盲目の大衆や不屈の意味とともにある知識人を殴ることに経済的指導者やその他の指導者の汚れなきエリートが身を捧げているこの時代において、こうした理論は、人類が到達せねばならない状態のもとに留まろうとする試みと一致している。事実、この理論は初めからやり直されようとはしない。諸活動の決められた段階において政治家の行為を当然ながら決定するかもしれない孤独を前にした恐怖は、哲学者たちには相応しくない。マルクはいずれ、さらに次のことを理解することだろう。「諸哲学の教条的な前提の性質すべての中で世界を変えるということ」は、絶対的かつ一様にそれが理由で虚しい集積の前提よりも真理を含んでいる、と。



[1] ジークフリート・マルク『政治哲学としての新人文主義』1938.

[2] Cf. Horkheimer, GS. 3.

[3] Ibid., S. 264f.

[4] 「モンテーニュと懐疑の機能」同上, 271f.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?