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繊細で深い心の中、見てみる?

気づけば気づくほど、元気になれた。
でも、気づけば気づくほど、苦しくなる自分もいた。
あぁ、だからこういう場所でこういう気持ちにさせられてしまうのだと何かを悟ってしまった時、人はローダウンし未来を諦めたがる。
だからここにいちゃだめだ、そうやって未来に希望を作ろうとする。ここにしかいられない、そう思った途端に人は自分を崩壊させていくのだと思う。

不安なものを見ては、自分もまた不安になる。
自分なんていないほうがいい、そんな空気にまで纏おうとしてるの?
あぁ、こうやって"相手に見る変わらないが続く"のを一番恐れていたのかもしれない。この人は変わることがないんだろうなって思うとたぶん、自分が変わるしかないのだと悟るから苦しくなる。

時に自分は自分、人は人だという境界が曖昧すぎて
相手の意識が無意識に心に侵入してきて邪魔をする。
心を聞いてしまうから、心を見てしまうから、
呼吸すらままならないくらいのものを感じてしまう。
恐れがそうさせるのか、そうさせるから恐れるのか。
ねぇ、何が真実...?

見たもの聞いたものがすべてだという教えは
もしかしたら本当なのかもしれない。
知らず知らずのうちに、見ない聞かないを望んでしまう相手。それは相手の鏡?

記憶のカケラは綺麗なものばかりじゃない。
何気なく目についたもの、聞こえてきたものが、
不安や恐怖を抱いてしまった言動が、永遠にその人のイメージとして残るかのように、思い返すたびに再生されて距離が生まれる。

こんなに人を怖がっていたら誰の元へも飛び込んでいけない。
そう思っていたら、ふと外国人の挨拶のことが思い浮かんだ。
人見知りや警戒をしながら近づく日本人とは違い、
外国人の挨拶はハグから始まるという。
信頼と愛情から入る関係作りはとても心強いだろう。
自分は相手のすべてを受け入れることができるだろうか。

自分に足りないもの、足りなかったものが駆け巡る。
その一方で、心ばかり見ようとしてしまう時間が
そこに留まらせ、さらに感じる自分を敏感にさせる。だから、その瞬間にある感情を味わわずにはいられないような、そういう解釈になるのかもしれない。
そんな面が自分にはあるのだと気付かされた。

繊細な人たちはみんな同じなの?
明るい場所ばかり見てるような人には
きっと分からないだろう深い場所にある世界。
綺麗なものばかりを見ていられないからこそ、
好きになるものくらい、綺麗なものだけを見ていたいと願う気持ちもあるんだね。

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