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本音と向き合う

ふつふつと湧き上がってくる気持ちを留めておきたくて、noteに書きたくなる衝動。
あまりに心に目がいきすぎて、"気持ち"というワードを何度連呼したのだろうかと笑う。


"思ってもいい"
そう思うと、そう許可されたものなんだと感じ、
本音がぽろぽろと溢れてくるのかもしれない。
"思わないようにしよう"とか、
"思っちゃいけない"なんて、あまりに抑えすぎだ。

心の学問に利益は一切ない。
だからそもそも、そういうものに関心が低いのかもしれない。
本音を言うならば、クリエイターなどの"質"を求める分野で、時間を存分に使ったり、ひたすら自分と向き合えたりすることのほうがどれだけ有意義な時間だろうと考える。
それでも時に、向き合うことのほうが辛いのだと聞いたこともあるし、心の職業を持って知ったこともある。


働く、を考えた時すごく苦しい。
自分に合わないことのほうが多くて、
無理して、合わせて、やっぱりつらくなる。
でも、仕方なく...そんな繰り返し。
ふと真反対のポジションに向かわなければならないような気にさえなる。
何せ社会は外向型の風潮で成り立っている。

人と群れ、場所は固定され、意味よりもその場のノリで楽しもうとする習性が多いからだ。
個を尊重し、自由に動き回り、意味や深い楽しみ方をする人からしたらそりゃ生きづらいのも当たり前だ。

お互いがお互いを分かり合えない、
そう思う時もあってまた苦しくなる。
変わることを好んでしまう。
違いを強調した先に争いなど生みたくない。
勝ち負けなんてないし、そんな判断すら持ちたくもない。
ここにいたくないと思わさざるを得ないことも多々。


自分がおかしいわけじゃない。
そのことは分かっていてほしいなと思う。
この点ももっと理解あるものになればいいのに、
と願う。

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