見出し画像

最初から本音100%でいかなければ、本当のパートナーは見つからない

先日、とある女性に会った。30代の綺麗な方だった。
他愛もない話をしばらく続け、会話の噛み合わせもテンポもよく。そうなれば自然と、話題は互いの「人」としての部分に入っていく。互いに30代。いわゆる恋愛話、というわけでもないが、流れ的にいつの間にか元彼・元カノの話になっていた。

明るい髪色で、なよっとした男であれば敬遠するような強さを窺わせる雰囲気の彼女。元彼の話を聞いていると、別れた経緯を話してくれた。

「束縛がすごかった。もう酷い時は、3時間に一回ぐらい連絡が来て、今どこにいるんだ何してるんだ、浮気してるんじゃねえだろうな、って言われた。電話もすごかった」

あるある、と言ったら失礼だが。まあ、あるあるだ。私の超偏見データベースによれば、こういう他を寄せ付けない強さを放っている女性ほど、強烈な束縛男に悩まされている。悩まされているといっても、彼女自ら望んでその状況を作り出しているのだが。
まだまだ他人の目を気にして、「これを言ったらこう思われるかな」という未熟さが残っている私は、「いや、あなたが望んでそうしているんでしょ」とは言えなかった。まだまだ、私も修行中。関係性も何もまだできてないのにそんなことを言い放った途端の彼女の表情を想像すると、恐ろしくて敵わない。だから、ああねー、と、心にもない同調をした。なんか、それぐらい愛されてるっていう感覚も捨て難いな、とか。私が大っ嫌いな薄っぺらい同調、互いの人生のクソの役にも立たない浅い浅い共感をした。そうそう、と彼女もサービス精神からか同調してくれ、しばらくは互いに仮面を被ったまま舞踏会を楽しんだ。

だが
昔の私であれば、そんな仮面舞踏会を我慢して我慢して永遠に踊り続けていたと思う。互いの顔が見えない、つまらない、忍耐に忍耐を上乗せてするくだらない舞踏会を、必死に楽しもうと努力していたはず。でも、あいにく私にはもうそんな元気はない。親と対話しきり、人生と向き合い続ける私には、もう仮面舞踏会を楽しむ余裕はない。

「で、なんで半年も我慢できたんですか?」

仮面舞踏会は5分で終了した。本当は仮面など被らずにぶん投げるべきだったのだが。まだまだ私も修行が足りない。限界を迎えてようやく、なぜ彼女が半年間もその束縛に耐えたのか、いや甘んじてしまったのか。それを問うた。

「えー……..」

彼女は逡巡した。私から目を逸らし、かといって動揺している様子は微塵もなく。特に考えたこともないな、ということか。いや考えはしたけど結局よくわからないし別にそんな大事なことでもない気がするしどうでもいいや、と思考放棄した結果の現在、なのか。そもそも目の前の男はそんなことを問うて何がしたいのか。この男に対してどう言うのが見栄えがいいか、なんて別に惹かれてもない現段階で気にする必要もないが。うーん。という感じか。

まあ、結局は好きだったから、かな

色々彼女は言っていたが、要はそういうことだった。まあ、そうだよね、という感じ。ひたすら日常的に、なぜなぜと考えてしまう病人である私でもない限り、そんなこと別に考える必要がない。「結局は好きだったから」というのはなんの答えにもなってないのだが、別に彼女が答えだと思っているならそれで良いのだ。

そこに彼女の熱量はない。それがよくわかった。
で、俺は俺で話したいことを勝手にくっちゃべる。最初の他愛のない話をしていた時の雰囲気に戻る。そのほうが彼女の表情もイキイキとしている。
他愛もない話に、時折互いに30代ということもあり、一瞬真面目な話が侵食してくる。そんな行ったり来たりの会話を繰り返す。その中でどういう流れだったか、私が「一番弱い自分を受け入れ合う、そういう関係がいい」と言い出した。別に目の前の彼女と付き合っているわけでもないのに。なるべく0.0秒の本音を、息をするように吐いて生きていきたい私は、急にそんな発言をした。え、何それ、と茶化されると思ったが、意外にも彼女はそうしなかった。えー、と言った後に、彼女はこう言った。

そんなの無理だと思う

初めて、彼女の本来の顔が覗かせた。私が大好きな瞬間。人の生臭い、奥底の声が発せられる瞬間。今日初めて、彼女と話していて楽しいと思った。そうそう、こういう話が大好きなんだ俺は。

え、なんで?

私は問うた。問うたが、答えは返ってこなかった。テンポの良い会話の中で、えー、とかうーん、とか色々つなぎの言葉を吐く彼女。まあ、無理っていうか、と、「無理ではないかもしれないがそれって難しいよね」という観点に主軸を移してきた。ああ、そっちに行ってしまったか、とちょっと残念に思った。まあ討論会ではないし、彼女を変えようとか俺の価値観を受け入れろとなるのはちゃんちゃらおかしいし気持ち悪い話なので、しょうがないか。
「それって難しいよね」という話に移行した後。間に何かをいくつか挟んで、「でも最初から弱い感じとか、ありのままの私を受け入れてください、っていうのは違うと思う。傲慢っていうか。なんか、女性らしい謙虚さとか、そういうのがないのは変な気がする」と、彼女は発した。
ほう。そうきたか。欺瞞の匂いを感じた。それってさあ、と言おうとした瞬間、彼女は言葉を続けた。「逆に、私も男の人には、さすがに最初は格好つけて欲しいっていうか。最初から僕は弱いんです、受け入れてください、っていうのはなんか、うーんってなっちゃう。好きになった後なら、弱いところっていうか、情けないところを見せてくれるのはいいんだけど」と、彼女は続けた。
うん、いいね。そっちの方があなたの本音に近い。そっちの方が好き。私は心の中で満足する。

どうせ見せられるんなら、最初から知ってた方が良くない?

私はそう問うた。だって遠回りというかナンセンスというか、非効率的というか。仮に付き合って何ヶ月とか、最悪何年か経って、「僕の本性はこれです」と曝け出されて。それで初めて本当の彼に出会ったとして。あなたは、そこで初めてその人をジャッジすることになる。「好きだから」というフィルターがかかっているから、最初は我慢できるかもね。でも所詮、それは「我慢」だから。受け入れていること、ましてや「そこも含めて愛している」には程遠いわけで。我慢、はいずれ限界が来る。現にほら、

「束縛がすごかった。もう酷い時は、3時間に一回ぐらい連絡が来て、今どこにいるんだ何してるんだ、浮気してるんじゃねえだろうな、って言われた。電話もすごかった」

こうなったわけでしょう?
で、限界が来たから。最初は好きだったけど、最初は「愛されてるー」って錯覚して嬉しかったかもしれないけど。我慢できなくなったから、フったわけでしょう?

と思ったが。討論会ではないので自粛した。さすがにここまでは言えなかった。
「どうせ見せられるなら、最初から知ってた方が良くないか?」
この問いについては、また彼女はえー、とかうーんとかで繋いでいた。結局は、「まあ、人それぞれ考え方の違いはあるしね」という彼女の言葉で本件は幕切れした。これ以上話してもつまらないし話すのやめよ、ということ。その後はまた他愛もない体温の低い楽しい会話に興じて、お開きになった。

本記事のテーマを見てみる。

最初から本音100%でいかなければ、本当のパートナーは見つからない

厳密には、「最初から」である必要はないのかもしれない。
だがいずれ、100%を晒さなければならない日は必ず来る。人間、本当の自分を隠したまま偽りの自分を演じ続けるのは辛すぎる。だからそれを晒せない男女は、浮気だの不倫だのに走り、束の間の休息を得るのだ。

こちらの記事で、人間が本当に欲するパートナーの定義について触れているので詳細は上記に預けるが

100%を晒してこそ。そしてそれを含めて愛してもらい、こちらも愛してこそ。全人間が本当に求めている安心感が手に入る。その「愛する」の中には、一ミリも我慢があってはならない。

であればこそ。
「最初から」本音を晒すに越したことはないのだ。本音を我慢して、偽りの自分に甘んじれば甘んじるほど、本当のゴールから遠ざかっていくだけだ。

ちなみに
最初は難しくても、徐々に慣れた段階で少しずつ本音を出していけばいいのでは?
という意見も確かにある。私もこれには賛成する。だが、どこかで必ず一線を超えて、勇気を持って「本音を吐き出す」瞬間が絶対に求められる。「相手から拒否られたら怖い」という恐れは、どこまで行ってもゼロにはならない。さまざまな情報収集を通じて、「彼女なら拒否られないだろう……!」という確度を得られた時に、本音を晒すでもいいかもしれない。だが絶対に、本音を打ち砕かれる恐怖は消えてくれないし、時間が経てば経つほど、「え、なんでそれ最初に言ってくれなかったの?」という彼女の反感確度も増大している事実もお忘れなく。要は、打ち砕かれる恐怖と反感確度の天秤なのだ。だから最初に吐き出そうが後々吐き出そうが、トータルでの「本音を吐き出す際の負荷」は結局は変わらない。

だからこそ
我々は常に理想を目指して、「最初から」本音100%で、パートナー候補にぶつかっていくべきなのだ。





以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、

kaigaku.nla@gmail.com

こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。


第三弾:監獄

あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?