ベトナム人女性の働き方
今から10年も前のことだ。
私は初めてベトナムへ行き
首都ハノイの雨上がりの
ドンスアン市場は
たくさんのお店がある。
またまたたくさんの
衣料類のお店のひとつにて
小さな子供が
小さな板のようなものを
下敷きにしてノートに字を書いていた。
店主のようなお母さんが
お客様の相手をしながら
子供に字の書き方らしきことを
教えている。
この店だけではなく
ほかのお店でも子供がお母さんに
言われているような勉強している
光景をみた。
私はそのときに
ベトナムの識字率が
90%以上になっているのは
嘘やまやかしではなく
確かなものなのだろうと感じた。
そのお母さんのお母さん、
老婆が高い枝を使って衣類の商品を
陳列を続けている。
家族でこの店をやっているのだろう。
ベトナムの女性は
身体が動かなくなるまで
死ぬまで働き続けると聴いていた。
勤労が資本家に窃取されるものだ
という議論があるが、
働くことを美徳とする国家が
繁栄すべきだ。
一方で私の生い立ちもある。
母親は既に老衰で他界しているが
昔の本当に珍しい
キャリアウーマンだった。
小さな北海道の田舎の町だったが
銀行や高校の事務仕事をずっと、、、
身体や精神が悪くなるまで
とにかく 働き続けていた。
幼い頃はその母、
出勤する母をみて
とても誇らしげに感じていた。
私はその分の感情と愛情をたくさん
母からもらいまったくホームシックの
ないタイプに育ててもらった。
私はそのような価値観というか
働く意思が強い人と一緒に人生で
いつも一緒にいたいと感じていた。
創業してからやはり
日本人の女性が結婚や出産を機会に
退職する人が多いと感じて、
ずっとアジア諸国の人と
いつか一緒に仕事をするようにしたい
と願っていたのだ。
もちろんこんな私の考えは
批判が多いと思う。
私は男女に関係なく自分の職場で
喜怒哀楽を共にして
共感できる人たちと
ずっと働きたいという希望を
強く持っていた。
そのような願いが強かったため
10年前に北海道の帯広に就社して
もらうことになった外国人社員は
ベトナム人となった。
子会社もつくりハノイで
最初は採用が上手く行かなかった。
そんな中で、ハノイで
"社長代理"となって
入ってくれたのが彼女Aさんだった。
学術界でも活躍する民間人のご主人と
小さな可愛い子供1人。
しばらくずっと、
もうひとり赤ちゃんがほしいという
希望の日々が長く続いていたが、
先週2月24日の午後に
待望の2人目の赤ちゃんが産まれた。
彼女は出産の前日まで
新型コロナの自宅勤務での遠隔で
業務をこなしていた。
私は出産予定日を知っていたが
勤務が続いているので出産予定が
伸びているとしか考えていなかった。
その働き方を他の職場の仲間たちに
強いるようなことにならないか
気にしているが、
純粋にベトナム人の働く気性に
本当に感銘を受けた。
前日まで勤務していた
彼女が出産した。
その出産した赤ちゃんの写真が
スカイプで送られた来た時の驚きを
私は一生忘れない。
本当に感動した。
本当にありがとう。
私はこの彼女との出会いが
私が初めてのベトナムの市場で
感じたベトナム人女性への敬意
尊敬の気持ちが
決してただの思い込みではなく
純粋に感じたそのまま
そのものだったんだと。
彼女のその出産した赤ちゃんの
スカイプの写真は私の目の前で
感謝の気持ちと感動であふれて
すぐにぼやけて
見えなくなってしまった。
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