マガジンのカバー画像

曲の話

12
つくった音楽について書くノート。
運営しているクリエイター

記事一覧

"Beautifully Untrue"

"Beautifully Untrue"

怒りや不義を貫く難しさについて、
思いを馳せる。

悪意を悪意と断定できるほど、
世界はシンプルではない。

人を憎んで眠れない夜もあるが、
怒り恨み続けることは、難しい。

今、忘れることや、洗い流すことは、
決して屈服や敗北ではないと、
わたしはやっと認めることができる。

選択的に盲目になることをも赦したい。
己に他人に。
遠くの知らない誰かにでさえも。

手の届く仮説のその先を思って歌う歌

もっとみる
踊りのためのノート3:Milestoneー身体のシェルター

踊りのためのノート3:Milestoneー身体のシェルター

贔屓にしているスタジオに、
メンテ直後でも、チューニングがどんどんずれていってしまう古いアップライトピアノがある。

この曲はそのピアノの一番艶やかな音階を使い、
その艶を慈しむようにして描いた。

アルバムのための録音の時はさすがに
チューニングがあっているピアノを使わざるを得なかったが、
それでも、声を重ねたりミックスをする段階で、
どうにかあのピアノの、音程が少しだけずれているからこそ、重な

もっとみる
雨漏り- PJ Singing Reedのこと

雨漏り- PJ Singing Reedのこと

複数の声を重ねる挑戦をしている。

ローミッドが豊かな声、ハイが強く生きいきと鮮やかさが伝わる声、愛らしい声、たおやかで深い声、すこし自信がなさそうだけれどやさしい声。

同じ歌詞と同じメロディで、これほどまでに表現が異なることに驚く。
Day after day...の歌い出しに、そのひとの生き様があらわれる。

わたしの拙い技術で、
本当は盛り込まれるべきものがこぼれ落ちてしまっているかも

もっとみる
踊りのためのノート:Dance Tight

踊りのためのノート:Dance Tight

静かで力強い、一筆書きのような動きのイメージ。
後ろで鳴る雨音、
季節は秋口で、少し風が涼しさを含んでいる。

一人であることの自由。
取り返しがつかない、おいてきたものごととの決別。

_____
雨が降っている。
静かだ。

一人の人間が、ゆっくりと、立ち上がる。
雨音に起こされたように。
呼吸で呼応する。

私たちはどうして、ひとりだ。
その事実から逃れることはできない。

四肢を伸ばす。

もっとみる
踊りのためのノート2:Letter to Sing

踊りのためのノート2:Letter to Sing

鏡と森。
彩度の低い、みずみずしさ。

伝統への反発が、18世紀後半に悪魔や妖精が自在に登場する幻想的な舞台舞踏を生んだ。
資本主義革命が現代にも続くバレエの潮流の基礎を作った。
軽やかな動きは、それまでの時代の前提となる「地」に足をつけることへの拒絶ともいえる。

だが全てを投げうって現実に争う選択は
果たして人生で何度、許されているのだろう。

これは祈りの歌だ。

祈りの歌であるにもかかわら

もっとみる
I am weak but I can sing -"Singing Reed"

I am weak but I can sing -"Singing Reed"

"Singing Reed”は2014年に生まれた。
それまでの作曲は常に誰かに編曲をしてもらったり演奏をしてもらっていて、
やっと自力で曲をかけるようになってから書いた、2曲目の曲だ。

Blais Pascal(1623-1662)の人間は考える葦であるというフレーズにちなみ、
私は弱き葦でしかないが歌う葦である、と歌っている。

思えばこの曲が創作の原点にあった。
今も変わらず、同じことを形

もっとみる
カフカはピラティスをしていたか/dance tight/踊れない身体

カフカはピラティスをしていたか/dance tight/踊れない身体

踊れない身体を何十年も、持て余している。

悲哀と諦念と嫉妬が詰まった、血を抜くことすら許されない腐りかけの身体が残念で、すぐにでも手放したいと日々感じている。
だから、というわけではないが強烈に身体性そのもの、あるいは身体という表象の可能性に惹かれてperformance theoryを専門に選択した。(と、今となっては思う)

動、の肉体/身体。
静、の肉体/身体。

いずれも

もっとみる
信頼と回復

信頼と回復

いま録音している曲について。思うところあり、筆をとる。

先日、デモを録音したところ、
口に出せない言葉が入っていることに気づき、まるで縁に立っているような歌声が録れた。
当たり障りのないテイクで覆い隠したいところだが、もうせっかくだから恥ずかしげもなくそのまま残してしまうか、という気持ちでいる。

自分で書いた曲なのに、自分で書いた言葉に現在の自分自身を問われる状況は、少しおかしい。

この曲を

もっとみる
Requiem

Requiem

Prayer Pianissimo というアルバムを2月にリリースした。

2015年に友人が亡くなったときに書いた曲、のリミックスが入っている。

この曲については語るべきことが多くあるようでいて、何一つないようで、
公にもプライベートにも書き殴らずに、ひっそりとそのままになっていた。

わたしのように音楽がまともにできるわけでもない人間が、曲を生みだす過程には、どうしたって物語がある。
どうし

もっとみる
Keep You Safe

Keep You Safe

わたしは元来、血縁という幻想とは明確に距離を置いているタイプだが、親族であることを差し引いても最も信頼している人間と言える祖母が入院したので、会いに行ってきた。

さすがに自分が少しはショックを受けることを想定していたがそんなことはなく、むしろ勇気づけられてしまった。

わたしは親族のなかでは疑いようもなく人格や価値判断の基準が祖母に似ていて、だから言うわけではないのだが、こんなに凛とした美し

もっとみる
Humble me More -創作の悲哀

Humble me More -創作の悲哀

曲をつくることは悲しい。

昨今、今年中にまとめたいと願っているアルバムの曲をつくったり、また録音したりしている。

1曲目に入れようとしている曲は、ギターで書いた雨の曲だ。雨がどれだけ、人を(というかわたしを)謙虚にしてくれるか、歌っている。

弾きながら口をついて出た言葉をそのまま歌詞にしたのだが、
いま改めて聴くと、あらゆる後悔が織り込まれている。もっと心地よく、寛容でいられたのに。堂々とで

もっとみる
新しいシングルのこと

新しいシングルのこと

先日、"Letter to Sing"というタイトルのシングルをリリースした。

曲を解説する行為は、創り手にとって恥ずべき行為である、という言説は確かに存在する。

そもそも言語では"足りない"から音にするわけで、それをまた不足した言語で再定義し直すことは、無限の監獄に自ら創作物を招き入れることと同義であり、そのループに即すれば確かに凝縮されていく思想もあろうが、たいていの場合は密度に耐えき

もっとみる