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雨漏り- PJ Singing Reedのこと

複数の声を重ねる挑戦をしている。

ローミッドが豊かな声、ハイが強く生きいきと鮮やかさが伝わる声、愛らしい声、たおやかで深い声、すこし自信がなさそうだけれどやさしい声。

同じ歌詞と同じメロディで、これほどまでに表現が異なることに驚く。
Day after day...の歌い出しに、そのひとの生き様があらわれる。

わたしの拙い技術で、
本当は盛り込まれるべきものがこぼれ落ちてしまっているかもしれない、とふと不安が過る。

だがそもそも、わたしが担える範囲の物事には限界があり、
器から漏れいでたものは、きっとこの曲がすくってくれる。

曲も人も、信頼関係だな、と思う。
すべてを自身で成し得ると信じるほど純粋でもない。

だから恥ずかしげもなく、
多くのひとの声と手を借りて、この作品を完成させよう。

この曲には力強い構造があり、豊かな空気を含み得る土壌が整っている。
理論的に紐解くこともできるけれど、それだけでは説明がつかない。

"いい曲"は、寛容だ。
どんな人をもゆるしてしまう。

ほんの短い人生で、ほんの少し苦労して、ほんの少し心が広くなったところで、
とうてい叶うはずがない。

わたしはわたしの曲の寛大さを、とても羨ましく思う。

わたしにはクラシックの素養もなければ、幼い頃から努力してきたわけでもない。特別な才能もなく、ただ愚直にコツコツと努力を続けてやっと、スタートラインに立っているに過ぎない。

どうしてこの"構造"が、このように未熟なわたしを通じて
数年前、現れたのかなと不思議にさえ思う。

でも、理由はわからなくとも、
ここにこの曲がある。

苦しみに喘ぎ日々に溺れかけていた頃に、
瀕死の自分を自力で救うしかなかった時に、
この曲と出会えてよかったと思う。
このタイミングで、それを日々実感することになるとは思いもよらなかった。

曲は、寛容だ。

そこに身を委ねるかどうかの選択は、それぞれの人に託される。

この曲が、今出会うべき人に届いているといいな、と思う。


Project Singing Reedについて

この曲を歌い、動画を送ってくれる方を募集しています。歌ってもいいよ、という方、ぜひお声がけください!(30名を目標としてます)

Day after day I came near to drowning
Draggin’ on painfully slow
Take another breath, sail near to the wind
Draggin’ on painfully slow

Bunch of sorrows are given
But now forgiveness is here
So let me use it to make a song
I know I’m ready to forgive

Once I’ve seen the signs of Change
Knocking on my window with a steady rhythm
I’m but a reed, I need to be lead
But I am a singing reed
I’m in need of a rethinking my reading
But I AM a singing reed

来る日も来る日も溺れそうになっている
痛々しいほど時が経つのが遅い
あらためて一呼吸して、危険をおかして風上へ向かう
あまりにもゆっくりと

悲哀の束を贈られたけれど
今、ここには寛容がある
ではそれを曲にしましょう
許す準備が整っていることに、わたしは気がついている

あるときから、変化の兆しがわたしの窓を淡々としたリズムでノックしている
わたしは弱い葦だけど、歌う葦である
情けなくて、導いてもらわないとやっていけないけど、わたしは歌う葦である
解釈を間違えて、考え直さなければならないことも多いけれど
とにかくわたしは歌う葦である

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