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アニメ・美少女戦士セーラームーンはここがすごい! 幻の原作や変身シーンなどを解説

「月に代わってお仕置きよ!」

1990年代当時を生きた方はもちろん、現代に至るまであらゆる女の子を魅了してきた決め台詞だ。

「月に代わって」ってヤバいですよね。月の仕事を代行してるわけだ。とんでもないスケール感のお仕置きである。私が敵だったら「まず死は免れない」と悟る。スライディング土下座決めて詫びる。

このセリフで有名な作品はもちろん「美少女戦士セーラームーン」だ。日本国民なら誰もが知っている超名作だろう。

「セーラームーン」は、まさにアニメの歴史を塗り替えた作品といってもいい。とにかく当時の女児向けアニメというカテゴリを大幅に変えた傑作なのだ。

では具体的に何を変えたのか。今回はアニメ版・美少女戦士セーラームーンについて、その革命性について語らせてほしい。

セーラームーンの母体「コードネームはセーラーV」について

さて、美少女戦士セーラームーンを語るうえで「コードネームはセーラーV」は外せない。セーラームーンの母体となった作品である。1991年夏休み号に「るんるん」で読み切り作品が掲載された。

「コードネームはセーラーV」の主人公はセーラーヴィーナスこと愛野美奈子だ。月野うさぎはそのクラスメイトとして描かれる。当初はこっちがアニメ化される予定だったが、セーラー万年筆が「セーラーV」を商標登録していたため断念したらしい。

同作はアニメ化こそならなかったが、セーラームーンと同時並行で「るんるん」にて1993年から1997年まで連載された。

アニメ版「セーラームーン」のディレクター・佐藤順一さんいわく「セーラーVの読み切りを出した時点で(マンガとアニメでの)武内直子さんにセーラームーンの話があった」とのこと。

こりゃすごい。もともと講談社はテレビ枠を抑えていたとはいえ、るんるんとなかよしの2誌と土曜19:00という超ゴールデンタイムまでをセーラームーンのために確保したわけである。

ちなみにこの背景には前の番組「きんぎょ注意報!」が終了したが、後継番組がなかったため……というある意味で偶然的な抜擢があった。

アニメとマンガの同時進行というやばさ

1991年夏のセーラーVの読み切りから約半年、同年の暮れになかよしで「美少女戦士セーラームーン」が連載開始となる。そして1992年3月からアニメ放映がスタート。美少女戦士セーラームーンはマンガとアニメをほぼ同時に進めていたわけだ。

これはメディアミックスが進んだ今のアニメでも、ほぼ無い現象なのではないか。アニメと原作が同時に完結する例は増えてきているが、同時進行ってだいぶ過酷なはずだ。元になるマンガの絵コンテが無いので、マンガとアニメで話が違ったりする。 会議も同時進行だ。もうバッタバタなはず。これがまずすごい。仕事が早い。

作者の武内直子はこの件に関して「ちょっとレイちゃんの性格が違ったりするけど概ね良し」的な見解を示している。

アニメ版・セーラームーンが火をつけた新しいアイドル像

ここまで講談社が力を入れたとはいえ、決して守った作品を作ったわけでは無い。当時のディレクター佐藤順一さんは「セーラームーンはそれまでの少女マンガにはなかった実験をした」と語る。

さて、では具体的にどんな実験をしたのか。ここからが本題だ。その少女向けアニメにおける革命を2つの点から見ていこう。

キラキラ〜フリフリ〜からの卒業

それまでの少女向けアニメといえばマンガも含めていわゆるキラキラ〜☆でフリフリ〜♪な世界。ザ・かわいいものが主流だった。1980年代の乙女チックな世界である。

セーラームーンは1991年という、ちょうど女の子の憧れが移り変わる瞬間に生まれた作品だ。それまでの松田聖子的なファッションから、森高千里に移行する瞬間である。

いわゆる「ぶりっ子」から「スッキリした女性像」に女の子のトレンドが切り替わったタイミングだった。セーラームーンの衣装はセーラー服だ。アニメ制作陣はデザインとして腕や脚をスッキリと出すことを意識したという。それまでのフリフリを捨てることにもちろん不安はあったものの、なかよしで子どもがウケているのを見て「いけるやろ!」と、このコンセプトを貫いた。

少年マンガの手法で少女アニメを描く

また、セーラームーンは「戦う女子高生」というコンセプトも革命的だった。スーパー戦隊シリーズそのままだ。月野うさぎ、水野亜美、火野レイ、木野まこと、愛野美奈子の5人はまさにゴレンジャー。そして敵は妖魔。完全に男子向けの東映テイストがたっぷり詰まった演出なのである。

今と違って、当時は少年漫画を読む女子なんてほぼいなかった。しかし「絶対興味がある子がいる」と思い、思い切って男子路線で女児向けアニメをつくったそうだ。ホント勇気あるよね。この挑戦こそがいちばんの革命だ。

この戦略は決して武内直子だけで作ったものではなかった。セーラームーンの企画は佐藤順一さんや幾原邦彦さん、五十嵐卓哉さんなどが入って考えられていたそうだ。

なので、アニメならではの変身シーンもそれまでの女子向け作品とはまったく違う。

BGMが鳴るなか腕や首元、髪などにカメラが寄って静止画でキメ。最後に「美少女戦士セーラームーン」で「月に代わってお仕置きよ」。このキレのある変身シーンは「マジンガーZ」などのロボットアニメをモデルに作られた。それまで男子向けにしかなかった演出だったのだ。

不人気だったセーラームーンが売れた理由

このように今までにない女児向けアニメを作った結果、セーラームーンはどうなったか。完全に二分化されたのだ。つまり「かっこいい!」とハマる子と「なんかよくわかんない」とチャンネルを変える子に分かれたのである。

そもそも「急遽、穴が空いてしまったアニメ枠を埋める作品」という扱いだったセーラームーンは、斬新な設定だったこともあり「制作側が好きなことやって、22話(2クール)放映して様子見」という予定だった。「月下のロマンス!うさぎの初キッス」で終わる計画してだったのである。

しかし結果的にセーラームーンは200話も続くことになる。なぜか。その理由には大きく2つの要因があるだろう。

「大きなお友だち」が視聴率の原動力になったから

1つ目の要因はロリコンのオタ……もとい「大きなお友だち」が応援し始めたからだ。

転機は1992年アニメ雑誌「アニメージュ」の表紙に亜美ちゃんが出たことだという。アニメージュの主な購買層は児ポ法ギリギリの変質……もとい「大きなお友だち」だった。

これを見て「あ、俺らも応援していいんだ」とハマり始め、視聴率がグンと伸びたそうだ。結果的に第一シリーズ(無印)は22話から46話に変更。4クールになった。

そこに物議を醸しまくった45話がくる。

うさぎ以外のセーラー戦士が戦いの末に絶命。さらにタキシード仮面も戦死。うさぎも結局は亡くなるという神展開に女児たちは号泣。なかには体調不良になった子もいたそうだ。

最終回で記憶を無くした姿で生き返るのだが、チーフディレクターの佐藤順一さんは「流石にやりすぎと思っていた」と述べている。

彼は3〜5歳の女児に向けてこの作品を作ったそうだが、武内直子さんや幾原邦彦さんはもう少し上の世代を意識していたらしい。その結果、セーラームーンにはこのなんというか、寺山修司のアングラ感が出てきた。こんなにメインストリームなのに。

このアンハッピーエンドともいえるラストは、まさにセーラームーンの対象年齢がかなり上だったことを物語っている。事実上、大きなお友だちはこのラストに興奮し、続編を待ち侘びるようになるのだ。

玩具メーカーからの熱いフィードバックがあったから

またセーラームーンがビジネス的に成功したのは、玩具を出していたからだ。もともと業界ではこうした東映ならではのアニメを「女玩もの」という。つまりおもちゃを売るために作られるアニメなのである。

東映の作品を思い出してほしい。プリキュアもおジャ魔女もおもちゃやパジャマの宣伝が入るだろう。つまりそういうことである。ちなみに日曜朝8時30分枠のアニメ一覧は以下の記事からどうぞ。

何がすごいかって、玩具メーカーでは売れた商品や女の子からの声をデータとして残して、制作側にフィードバックしているのだ。おもちゃ屋のデータでアニメが人気になる。人気になるとおもちゃが売れる。まさにイソギンチャクとクマノミの関係。素晴らしいマーケ戦術なのである。

例えばちびうさは「セーラームーンR」にて、なんでも出来すぎるために不人気だったそうだ。これはメーカーのデータで分かった。そこで等身大のドジっ子キャラにしてみると、人気が回復したというエピソードもある。

そして10年後!女子はもっと強くなる

さて、ここまでセーラームーンが、なぜ「革命的作品」と呼ばれるかについて紹介してきた。総括すると、やはりセーラームーンの素晴らしいのは「少年マンガ的表現」に果敢に挑戦したところだろう。ホントにすごい勇気だ。

ただしパンチやキックなどの戦闘シーンは避けたのは確かだ。幼稚園〜小学生がターゲットだったので「痛い」と感じる表現は避け、髪やスカートの動きに注力した。

それから10年後の2004年、セーラームーンですら尻込みした肉弾戦を女子にさせたのが「プリキュア」である。プリキュアは「女の子だって暴れたい」をテーマに激しい戦闘シーンを描いた。女子はどんどん強い女性像に憧れるようになるわけだ。

しかし現在まで15年以上続くプリキュアも、1年交代である。セーラームーンは200話にわたってほぼ同じメンバーで戦い続けた。

……いや、本当に戦っていたのは武内直子先生なのではないか。よくもアニメとマンガの同時進行を長く続けられたものだ。しかもイラスト挿絵も描き、作詞もして、グッズは今でも大量に売れている。2021年には「劇場版 美少女戦士セーラームーン Eternal」が公開された。

武内先生のその働きっぷりには頭が上がらない。なんとまぁ、お忙しくされている方だろう。しかしまぁ、なんでこんなに働くのかしら。あ、そういえば武内直子先生の本名って「冨樫」なお…………おっと!これ以上書くとジャジャン拳の餌食になるのでこの辺でやめておきましょう。

いつまでも色褪せない名作ですので、少しでも「懐かしい」と思った方はぜひ見返してみてくださいね。

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