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【あらすじ・ネタバレあり】トゥルーマン・ショーという最高のどんでん返しをフリに使った名映画

「最も好きな映画は?」という質問をしてもらえたら食い気味に「トゥルーマン・ショーです」と答えると決めている。この作品にはすっかり衝撃を受けてしまった。

20年以上も前の映画だが、いまだ古くならないストーリーであり、何より話の構成に舌を巻く。起承転結ではなく起結転結みたいな。「あ!え!もうオチ言っちゃうの!?」的な感覚に陥るわけだ。

さらにいうと、トゥルーマン・ショーは2021年現在のコンテンツ事情までを予言して、しかもピピーっと警笛を吹いている作品としても見られる。

今回はそんなトゥルーマン・ショーについて、あらすじ、構成の凄さ、さらにいまのコンテンツ事情へのメッセージについて見てみよう。

トゥルーマン・ショーのあらすじ(ネタバレあり注意)

まずはあらすじから。馬鹿長いうえに、ネタバレをしてしまうので注意してください!

トゥルーマンは離島に住んでいる保険会社の営業マン。口ぐせは「おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」。彼は幼い時に父を難波で亡くしてしまったトラウマから水恐怖症であり、一度も島から外に出たことがない。ただ妻や友人たちと離島での生活を楽しんでいて明るい毎日を送っていたので問題ない。

そんなときに街でホームレスを見かける。顔を見たトゥルーマンは驚く。完全に父親だったからだ。しかし追いかけるも、車が何台も出てきて道を塞がれ見失ってしまった。さらにトゥルーマンは学生時代にローレンから言われた「あなたはフィクションの世界で生きている」という言葉を思い出す。また妻が会話のなかで急にココアの宣伝みたいな台詞を吐いたことに違和感を感じる。

そう。この世界はトゥルーマン・ショーという世界中に放映されている超人気番組だった。離島は巨大なセット。天候などもセットで変えており、住む人は全員が役者だった。月のセットにプロデューサーがいて指揮をとっていたのだ。トゥルーマンは生まれたころから、その役者であり、人生のすべてを世界中の人から見られながら過ごしていたのである。

ホームレスと父親が同じ顔だったのは役者の使い回しが原因であり、ローレン(本名はシルヴィア)はトゥルーマンを救うために役者になって離島に来たのだ。

で、トゥルーマンはおかしいと思いはじめる。妻が看護師として勤める病院に駆け込んで(役者による妨害をなんとかかいくぐりながら)オペ室にいくと、当然誰も手術ができない状態。完全に黒だと踏んだトゥルーマンは島を出ようとするが、水が怖くて尻込みしてしまう。

そのトゥルーマンの葛藤に一喜一憂する世界中の視聴者。いつしか「トゥルーマン、この世界から抜け出せ」と世界中が応援するようになる。

その後、トゥルーマンは勇気を持って、ボートに乗り海に乗り出した。番組を終わらせたくないプロデューサーは嵐を作ってトゥルーマンの脱出を食い止めようとする。しかしめげないトゥルーマンにプロデューサーも降参。セットの端まできたトゥルーマンは空の絵が描かれた壁に手を当てて「自分の人生がTVショーだったこと」を自覚する。

セットの外に続く階段を上るトゥルーマンにプロデューサーがマイクで説明をする。「君は世界中のスターなんだ!なんとか言えよ」というプロデューサーにトゥルーマンは「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」と言い、カメラにお辞儀をして現実の世界に戻る。湧く世界中の視聴者たち。最後に警備室で見ていた2人の警備員が「番組表どこ?」とチャンネルを切り替える。

トゥルーマン・ショーの「オチをフリに使う」お洒落すぎる構成

トゥルーマン・ショーの肝は「トゥルーマンの住む世界が全世界に放送されている番組だった」というギミックであるのは間違いない。「今までの話は全部2次元でした〜っ!」というカミングアウトは、世にも奇妙な物語だったら確実にオチ。それくらいのインパクトがある。

しかし同作ではこのどんでん返しをフリに使った。ここに勇気と胆力を感じる。結果、映画として深みを増していてお洒落さも演出している。天ぷら、寿司からのほうれん草のおひたしでシメみたいな。ステーキ食ってからのクレソンみたいな。そんな大人の余裕を感じさせる。

で、真のテーマは何かというと「2次元的な世界からの解脱」という、もっとスケールの大きな話なのである。このスケールの大きさがあるからこそ、ユーモアが生まれるに違いない。

トゥルーマン・ショーはテーマだけを聞くとキャッチーすぎて胃もたれしそうだが、実際はとてもゆったりと観れる。どんでん返しをオチに使わないからこそ、この「素敵さ」が生まれているわけだ。やはりコンテンツには勇気が必要である。

トゥルーマン・ショーは現代のコンテンツの予言者

またトゥルーマン・ショーに社会性を感じるのは私だけだろうか。人のリアルな生活をテレビドラマにする……アレ?どっかで聞いたことあるぞコレ?と思った。

これもしかしてテ◯◯◯◯◯じゃない?と。テラ◯ハ◯スかな?と。テラスハウスだろコレ、と。まさにトゥルーマン・ショーは究極のリアリティショーじゃないか。

現在の若者がもうテレビの演出たっぷりの映像に飽きまくっているのはご存知の通り。とにかくリアルが大好き。500万円かけた1時間テレビのネタ仕込みドッキリより、1000円でできる5分YouTuberのリアルドッキリを見たい世代だ。デジタル世代は頭がとても良くて、ヤラセをすぐに見分けることができる。

さらにいうと体罰がなく、過激なコンテンツが排除され、健全健康なカルチャーで育った世代なので、痛い系ドッキリはヒく。悲しい系もヒく。必ず物語はハッピーエンドでなくてはいけない。

おや、トゥルーマン・ショーの「リアルな生活をそのまま全世界に発信する」という構図はまさに今のコンテンツを予言しているではないか。20年以上前の作品だが、むしろいま観たほうがおもしろくてリアリティがあるのだ。

最後の警備員のセリフは2021年バズ至上主義への警笛だ

この作品のオチが「2次元からの解脱」ということを書いた。しかし本当のオチは最後の警備員のセリフにある。コレが真に怖い。マジで血の気が引いた。

トゥルーマン・ショーが最高の形でエンディングを迎え、世界中が沸きまくった。警備室のおじさん2人もミニテレビでこの場面を見てハイタッチして「やった!」と喜ぶわけだ。

しかし数分後のラストシーンでは「ピザ食う?」「もういい」「番組表はどこだ?」と、完全にトゥルーマン・ショーへの熱は冷めて、次のコンテンツを探し始める。

このシーンは「視聴者の軽薄さ」を表したシーンだという考察が普通だろう。あんなに毎週楽しみにしたていた番組も、終わってしまえば記憶から消える。終わらなくても、別のものに興味が移れば記憶から消える。「100日後に死ぬワニ」を思い出した。

決してワニだけじゃない。これはいわゆる「バズマーケティング全般」に共通する怖さである。人の声が文字で見える現在、毎日どこかでバズが生まれ、インフルエンサーが誕生しては消えていく。えらいこっちゃ。なんという世の中のスピードだ。

トゥルーマン・ショーを観て、派手な髪色で変なことして「狂ってる」とファンから騒がれる人を見ると「大変だなぁ」と思ってしまう。この人らは一生誰かと戦い続ける気なのかしら、と。しかし戦うことをやめると「次の番組は?」となるので、みんなこの戦争から抜け出せない。

そして何より「コンテンツが可哀想だな」と感じてしまうわけだ。バズマのコンテンツは1日2日だけ消費されて、3日目には誰の記憶にも残らない。そんなコンテンツの作り方は、コインロッカーに子どもを置き去りにすることや、ダンボールに子犬入れて捨てることと同じじゃないか。

だからこそ、本当にコンテンツを愛しているのなら「バズ」なんて上っ面に囚われずに、10年後も20年後も、世に残って誰かに価値を与えるページを作らなければいけない。

なんか、いつの間にか話がすんごい飛躍したが、これ全部トゥルーマン・ショーを観て感じたことだ。人の仕事の仕方までを変えてしまう破壊力がある。

いや本当に1本の作品から本当にいろんなことが学べるので、まだ観たことない方はぜひ観てみてください。クリエイターにとってガンジス川の水を浴びるくらいの影響力があるのでおすすめですよ。では、会えない時のために、こんにちはとこんばんは!

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