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"不思議ちゃん女性歌手"の歴史|水森亜土から大森靖子までを追ってみた

戸川純、椎名林檎、大森靖子……「不思議ちゃんの女性歌手」という音楽文化は日本において長らく育ってきた。

アングラめいた表現だが、シーンはメジャー、という不思議な広がりを見せているのがおもしろい。カルト的に売れるんだから、いくらヤバい人でもメジャーでセールスをかける。

80年代にビョーキ、90年代以降から不思議ちゃんと呼ばれるようになるこの系譜は、とにかく周りを寄せ付けないほどキャラクターが強い。なので「熱狂的・盲目的信者」を生み出しやすく、それぞれがビッグ・バン的にカルチャーを作った。

周りに同調しやすい日本人の文化のなかで、他人の目を気にしない。彼女らは独立した個性を持ち、ある意味で凛としていたわけだ。

今回はそんな「不思議ちゃんの女性歌手」の歴史を振り返る。「超有名なのにちょっとディープでアングラ」というおもしろカルチャーをみんなで見ていこう。

同調から個性に移り変わる1980年代

不思議ちゃんを解読するために、まず「日本で個性が求められるようになった時期」を見ていこう。

そもそも日本の学校教育で「個性」がうたわれるようになるのはいつごろか、というと1980年代からだ。ではなぜ「個性を認めること」を重視するようになったのか。その根本的な背景には「高度経済成長期の終焉」があった。

1955年〜1973年までを高度経済成長期と呼ぶが、この頃の精神はまさにスパルタキーワードは「追いつけ追い越せ」だ。そんな競争のなかで、ストレスに耐えきれず教師やクラスメイトに対する校内暴力が増えていく。1978年からは共通一次が始まり、学歴信仰によってさらに競争が加速。すると、1980年代にいじめや不登校などの問題が顕著になった。

同時期に政府は別の問題にも気づく。「基本的なスキルを持つ人材が増えたが、突出した能力を持つ人はいない」ということだ。みんな同じ場所を目指すよう教育されたので、全教科平均70点みたいな人が多くなったんですね。

そこで1980年代中ごろから「個性重視の方針」に切り替えるわけです。互いが互いを認め合い、得意な分野を伸ばそうとし始める。これはいじめ問題の解決にもつながると考えたわけですな。

ただ最初のころは苦悩もあった。というのも先生も親も「追いつけ追い越せの時代」を生きてきた人だったので、教育の仕方がわからなかったわけである。当時の手記を読んでいると「個性という言葉が一人歩きしていた」という記述もある。

ただしこの問題を乗り越え「ゆとり教育」が始まった。そしてついに共通一次もセンター試験もなくなった。転職市場では「ジョブ型雇用」なんて言葉が流行りはじめ「個の時代」といわれる今に至るわけである。

不思議ちゃんシンガーの系譜 〜水森亜土・谷山浩子らの1970年代〜

さて、ここまでの流れを踏まえて「不思議ちゃんの女性歌手」を歴史で見てみたい。

1970年代の女性歌手を並べたときに、イラストレーターの水野亜土は、かなり序盤から強いキャラクターで登場している。彼女はもともとNHKの「たのしいきょうしつ」で絵描き歌を歌いながら、両手で同時にイラストを描いていた。

ただ同時期からアニソン歌手としても活動しており、1969年放映開始の「ひみつのアッコちゃん」ではエンディングの「すきすきソング」を歌っている。「アッコちゃーんアッコちゃーん、すきすき〜」だ。ちなみにその後は「Dr.スランプ アラレちゃん」の主題歌も歌うことになる。

底抜けの天真爛漫さ、そして独特なファッションセンス、不思議ちゃんキャラの元祖と言ってさしつかえないだろう。

またこのころ、歌手で作家でもある谷山浩子がデビューしたのにも注目だ。彼女は積極的に表舞台に登場したわけではない。かつ天真爛漫さもないが、そのファンタジックでちょっと怖い世界観は、その後の不思議ちゃんにも通ずるに違いない。

谷山浩子は1972年に歌手デビューをするが、その1stシングル「銀河系はやっぱりまわってる」は、凄まじく斬新な曲だ。

YMO結成より5年前にして、あらゆる音飾を使い、コード進行もマイナー調で不穏。哲学的な歌詞であり「地球1つが消えて無くなっても、銀河系はやっぱりまわってる」と歌う。彼女は当時16歳だった。

また1970年代において、もう1人不思議ちゃん歌手を挙げるなら、後年YMOのバックでキーボードを弾くことになる矢野顕子だろう。1977年「いろはにこんぺいとう」でデビューした。なにこのジャケット。

矢野顕子のハイレベルすぎる音楽性。また、まるで語りのようなゆるゆるのボーカルなどは、完全に不思議ちゃんだった。

1980年代からの「新人類」ブームと戸川純

そんな1970年代が終わり、1980年代に突入すると先述したように「個性」の時代に入る。このころから流行語になったのが「新人類」という言葉。常識を打ち壊すことが、軽くブームになるんです。もう、言ってしまうと「非常識で変なことしようぜ」というサブカルクソ野郎文化みたいなものが生まれはじめたわけだ。

そんななか生まれたのが「戸川純」。不思議ちゃんの王様である。後述するがこの後に生まれた不思議ちゃんはすべて戸川純の二番煎じといわれてしまう。それほどの破壊力があった。

彼女は1982年に「ゲルニカ」というバンドのボーカルとして「銀輪は歌う」でデビューした。この曲は清涼飲料水・スイートキッスのCMになり、多くの人に認知される。

その同年に、個人的には日本史上最高の広告の1つだと思っているTOTO「ウォシュレット」のCMに出演し、完全に全国区になった。おしりだって、洗ってほしい。最高のCMですよねこれ。ウォシュレットが出るまで、人間は尻の汚れに気づかなかったんだもんね(華麗なる脱線)。

話を戻そう。戸川の異端っぷりでいうと「便器のCM(しかもうんこを模した絵の具を手に塗る)」という、普通は女性タレントが嫌がるCMにも余裕で出たことだろう。翌年、彼女はヤプーズという、これもアングラ系小説「家畜人ヤプー」を模した名前のバンドを組む。

デビューからたった2年で日本を代表する「アングラ不思議ちゃん」として有名になった戸川純は、1984年にソロデビュー。1stの「玉姫様」で「夜のヒットスタジオ」に出演し「急に笑い始める」「白目を剥いて奇声をあげる」などのパフォーマンスをしている。ちなみにこの曲では「生理」の苦しみを歌った。作曲は細野晴臣である。

戸川は1stでは半分以上の作詞を担当した。しかしかなりカバー曲も多い。2ndの「極東慰安唱歌」、3rdの「好き好き大好き」と、だんだん詞を書かなくなる。

彼女はもともと女優志望だった。アーティストというより、演技で十分だったわけである。戸川自身「演じているときは別の自分になれる」と喜んでいた。つまり根は真っ当だが、頭のおかしい人を演じていたわけだ。

ともかく戸川純によって、これ以降の不思議ちゃん系歌手のフォーマットができた。特徴を並べるとこんな感じか。

戸川純式・不思議ちゃんフォーマット

・奇抜な格好と挙動
・虫や家畜などの生々しいモチーフ
・「女であること」また「少女であること」など性を過度に歌った詞
・ランドセルとか背負っちゃうロリータ性
・ストーカー、ヤンデレなどメンヘラ地雷女感
・のちの「新宿系」に通じる闇の深さ
・難しい漢字をやたら使う文学少女性
・少女っぽいハイトーンと、悪女っぽいロートーンの2種類の声
・西洋クラシック・日本の童謡などに、現代のグロテスクな歌詞を載せる異様感
・ボンテージ女王様的なドSっぷり

つまり、もう不思議ちゃんの要素は、戸川純が全てやっちゃったわけだ。先述したが、これ以降の異端たちは「ポスト・戸川純」と半分揶揄されながら評価を受けることになる。

ナゴムギャルの発生とポスト・戸川純の第一期生

1983年、戸川純のデビューから1年後に設立されたのが、ナゴムレコードだった。

ナゴムレコードに関しては上の記事でかなり詳しく書いたので概要は割愛する。簡単に言うと「ものすごくアングラで奇妙なバンドを取り揃えたレーベル」である。

ナゴムはインディーからブームになり、ナゴムキッズ・ナゴムギャルという、ものすごく奇抜なファッションの若者たちを生み出した。そんななか、もともとナゴムギャルだったマユタンとサブリナによるユニットが「マサ子さん」である。

マサ子さんは戸川純が作った不思議ちゃん像とは違う方向性を示した。戸川が不思議ちゃんを演じているとするならば「マサ子さん」は、本気で近寄っちゃいけない空気がある。プライベートで宇宙人呼びそうな"ガチ感"があった。

またナゴムからは「ミン&クリナメン」を紹介させてほしい。ボーカルの泯比沙子は、戸川純寄りの不思議ちゃんだ。ナゴムはパンクロックバンドが多く、パフォーマンスも過激だった。なかでも泯比沙子はライブ中にセミを食ってたらしい。

でもプライベートでは、ビール飲みながらあぐらかいて笑ってそうだからまだ安心できる人種だ。

またナゴムレコード出身の石野卓球は、1990年代後半になって篠原ともえをプロデュース。ナゴムギャルを彷彿とさせるシノラーブームを作る。彼女は完全に戸川純のロリータ性を引き継いでいた。かついうと水森亜土のこっちが不安になるくらいの天真爛漫っぷりもある。

椎名林檎の登場から大森靖子へ

さて、シノラーブームの後にやってくるのが、1998年「幸福論」でデビューする椎名林檎だ。幸福論でも「其処」と書いてみたり、破滅的な愛を歌ったり、可愛い声とシャウトを掛け合わせたりと戸川純感はあった。

特に2ndの「歌舞伎町の女王」を出して1stアルバムの「無罪モラトリアム」を出し、4thの「本能」でナース姿になったあたりで世間的には「不思議ちゃん」の刻印を押されたように思う。

ただ個人的に椎名林檎は戸川純のテイストは残しつつも、まったく違うジャンルだと思っている。彼女の歌う少女性やエロスには、そこまで嫌味がない。不思議ちゃんに通ずる共感性羞恥がほぼないんです。

どちらかと言うと、2ndアルバムの「勝訴ストリップ」のほうが「アイテテテテテ」という感覚を覚える。「アイデンティティ」の絶叫とか、「病床パブリック」のちょっとグロい歌詞とか、めちゃめちゃ傑作なのだけれど、不思議ちゃん感が高まったように思える。

ただ椎名林檎は戸川純らに比べると、とてもとっつきやすい音楽であることはご存知の通りだろう。初期のころから一貫して、曲自体はめちゃ真っ当で、メジャー向けだ。

しかも自分で作っている。多くの不思議ちゃんが短命であるなか、これだけ長生きして、しかも日本を代表する歌姫になれたのは「アクが強すぎない点」にあると言っていい。彼女は「裏方のほうが好き」とインタビューに答えている。戸川純との違いはここにもある。

その後2003年、個人的に世代なのは「ミドリ」の後藤まりこです。彼女はミン&クリナメンのようなバイオレンスなパンクロックをセーラー服でやっていた。ロリータっぽさもあり、血生臭い歌詞を歌う。椎名林檎よりもずっとアクが強く、戸川純テイストが残っているのは間違いない。

で、2012年に大森靖子が「Pink」でデビューする。彼女は東西南北から「戸川純・椎名林檎のフォロワーだ」と言われすぎて「私は私だ」とまっとうな返事をしたことは有名な話だ。

しかしあくまで個人的にですよ……? 個人的には大森靖子の楽曲やパフォーマンスから、オリジナリティを感じたことはない。

大森靖子のファンはすこし怖いので書くのに躊躇するが、確実に先人たちに似ている。もちろんパクリではないが、今となっては王道すぎるロリータメンヘラ系不思議ちゃんの1人だ

ただ大森靖子のすごいのは、この不思議ちゃんキャラクターを「業界へのアンチテーゼ」として貫いているところだった。

つまり「これまで〇〇っぽいを演出してCDを売ってきたレーベル」「そう見なすファン」に反発するために、あえてフォロワーっぽいキャラを演じているわけである。彼女の登場によって、不思議ちゃんカルチャーは一周まわった感がある。

しかしもっとすごいのは「反発キャラすらビジネス」だったということ。2010年前後は「個の時代」と言われ出した時期だ。大森靖子は「私を私と認めてくれ」というキャラを打ち出したことで売れた。

かなり賢い戦略であり、同じ悩みを抱えるメンヘラファンから圧倒的な支持を得た。いま彼女はアイドル・ZOCをプロデュースしているが、やはりキャラクターのプロデュースが上手い。いやはや打算的で頭が良い。全然、不思議ちゃんじゃない。めちゃめちゃ真っ当な人ですよ。

2021年現在、不思議ちゃんは増えすぎた

さて、今回は1970年から、現代まで振り返ってみました。不思議ちゃんキャラは、2020年代のいま、ちょっと冷めている気もする。

これは「異端を演出している凡人」が増えすぎたからだと思っているんですね。2000〜2010年代という時代はインターネットが出てきて、2ちゃんねる、ニコ動などの発進媒体が増え、YouTuberが続々と出てきた。一般人が発信するようになるわけだ。

もはや「不思議ちゃん」は世にあふれており「まだそんなことやってんの?」という印象すら受ける世の中なんだと思います。

また精神的に健康な人が増えたのも一因だろう。もう世の中の異端たちがカリスマになる時代は、終わりを告げようとしている。

しかし世間の目を気にせずに新しいムーブメントを作り続けた彼女たちのパワーは本物だった。共感性羞恥はすごいが、今でもたまに見たくなる勇姿なのです。

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