祖父江慎のブックデザイン|「誰もやってないからおもしろい」という話
数年前、祖父江慎さん(以下、僭越ながら敬称略)にお会いした。彼が代表を務めるコズフィッシュが関わるお仕事に、ホント「カスる」くらい参加させていただいた。それ以前からもちろん大ファンだったので、実際に目の前にすると興奮したものだ。
祖父江慎さんは、ブックデザイナーである。「装丁画家」ではなく、ブックデザイナーだ。ではブッデザインとはなんぞや、というと「本そのものをデザインする仕事」です。表紙はもちろん、中の紙質、印刷の色、フォント、行間の幅、ノンブル、スピンに至るまでをデザインするお仕事だ。
もちろん祖父江慎以外にも、名久井直子、鈴木成一など、名ブックデザイナーはいる。しかし祖父江慎が作る本は、もうとんでもないんです。本の内容に興味がなくても「彼がデザインした本」というだけで、手に取りたくなるくらい。「なんじゃこりゃ、見たことないぞ」の連続なんですね。
今回はそんな天才・祖父江慎の仕事について、みんなで見ていきたい。ブックデザインに注目すると、次に書店を訪れたときに、ちょっと目の付け所が変わるに違いありません。
祖父江慎を初めて知ったのは20歳くらいだった
祖父江慎のブックデザインを初めて手に取ったのは京極夏彦の「どすこい(仮)」だった。この作品大好きなんです。タイトルからも分かる通り、いろんな作品を「デブ」と「力士」でパロっているものだ。
このブックデザインが、20歳ごろの私にはもう衝撃でして……。この表紙の汗の部分、ちょっとヌメヌメするんですよ。で、本文の用紙が分厚い。集英社で使える用紙のなかで一番かさ高の紙を使っているらしい。紙を太らせたわけだ。
また活字がぎっしり詰まっていることで有名な京極先生だが、今作ではゆるっとしている。これはファンから不評だったらしいが、祖父江慎としては「しめしめ」と思ったらしい。つまり「内容を読む前から既におもしろい本」だったんです。
この作品で「祖父江慎」の名前を知ってから、すぐさまYouTubeで過去の映像などを探して「あっ、このひと天才だ」と、ひれ伏したのは言うまでもない。
祖父江さんを最初に見た人はびっくりすると思います。こんなに大御所なのにものすごく幼い子どものようで、ホントに心から紙と遊んでいる方なんです。
その後は書店(手に入らなかったものはAmazon)で彼の仕事を片っ端から集めた。当時は今より情報がなかったので、書店に行って「おもしろいデザインの本」を探し回りました。装画を見て本文を見て「これなんか変だぞ」と思って扉をみると、これがだいたい「祖父江慎」と書いてあるんですよ。
ブックデザインをこんなに凝視したのは初めてのことでした。それまで内容しか見てなかったけれど「あ、ハードってこんなにおもしろいんだ」と、本に対する愛情が深まった。というか、奥深さを知ったんですね。
ではまだ彼のことを知らない方のために、祖父江慎の仕事をズラーっと並べてみたいと思います。
祖父江慎がデザインした本
しりあがり寿「エレキな春」
祖父江慎のデビュー作です。しりあがり寿の独特なユーモアセンスがすごい出てる。シュールなジャグ感もあれば、時折センチメンタルな雰囲気もある、彼のセンスが1枚絵にまとめられている傑作。
吉田戦車「伝染るんです。」
祖父江慎の名前が世に出たきっかけとなった作品。吉田戦車といえば不条理4コマのパイオニアでおり、「なんかわけわかんけど、死ぬほどおもろい」の代表的な漫画家だ。その作品性を生かすためにブックデザインも支離滅裂で、めちゃくちゃにしたのだという。
もうこの表紙からたまらんでしょ。「吉田戦車」2つ書いてあるし、①の場所おかしいよね確実に。中を読み進めると「コマが明らかにずれている」「白紙のページがある」「なぜか見返しにも4コマがある」などがあり、1巻を発売した後、小学館には返品・苦情の電話が殺到したらしい。それで2巻以降は、こんな帯が付くようになった。「正しい乱丁」という言葉、私はとっても好きです。
宮藤官九郎「私のワインは体から出てくるの」
この作品は宮藤官九郎のエッセイで、言うまでもなく川島なお美の「私の体はワインでできている」のパロディだ。この本のカバーには穴が空いていて、閉じた状態だと、ワイングラスがカチンとぶつかるシーンが見える。
これを開くと男女が現れてキスをするようになっている。おしゃれだ。
しかし、実際に試すと分かるが、キスさせるためには結構力を入れて本を開かなくてはいけない。祖父江慎いわく「失敗しちゃった」とのことである。
糸井重里「いいまつがい」
糸井重里のライフワーク的な企画「言いまつがい」はその通り、いろんな人の言い間違いをまとめてギャグにしている。それにならって祖父江慎は「裁断まつがい」をした。
ご覧のとおり、本は半ばで段ができていて超読みにくい。またそのほかにも「角が丸い」「落書きがある」などのはちゃめちゃな仕上がりになった。
しりあがり寿「瀕死のエッセイスト」
「瀕死のエッセイスト」は、「死」をテーマにしたしりあがり寿のマンガだ。全ての書籍にハンコが押してあるが、これは手作業だったと言う。
さらに主人公があまりに後ろ向きな考えであったので、各ページの最上部に「前ページの最後」が印刷されているのもおもしろい。上んとこ、線が入ってるでしょ。
木原浩勝・中山市朗「新耳袋」
「新耳袋」はドラマ化などもされているので知っている人も多いだろう。作者2人が集めた現代版・百物語となっている。怖い話集だ。
なんだか不穏な表紙だが、これ実は本文の内容が全て微細な文字で印刷されているんです。「ルーペを使うと読めるはず!」と本人は語っている。ちなみに怖い話なので表紙と見返しの間にお祓いが刷ってあるのも注目。
朝倉世界一「山田タコ丸くん」
朝倉世界一のデビュー作「山田タコ丸くん」の試みもおもしろい。本文中に蓄光インキを使うことで「秘密のオチ」を演出している。
すごかったのは「この仕掛けを公言しなかった」ということだ。つまり読者の多くは気づかなかったのである。このサプライズ感がワクワクするよね。ちなみにこれは特殊なインクを使ったため、重版できなかったそうである。
「なんでダメなの?」と「めんどくさいが楽しい」という精神
私が祖父江慎のブックデザインにハマった理由。それは、彼の遊び心は「いや前例ないからやめときましょ」と言われかねないアイディアであることだ。実際に彼の担当した本の感想を見ると「読みにくい」「疲れる」などの声もけっこうある。
しかしそもそもなんで前例がないものをやってはいけないんだろう。これはNHKのSwichiでナゴムレコードのケラリーノ・サンドロヴィッチと対談をしているときにも言っていたが「誰もやってないからおもしろいはず」である。
こんなにワクワクすることはないのも確かだろう。だって「どうなるか」が誰にも分かんないのだから。
これは、すごく小さいスケールでも言える。牛乳にココアパウダーを入れると、誰でも味が想像できる。でも代わりにクレイジーソルトを入れたときの味は分からないでしょう。なんだかワクワクするじゃないか。たとえ不味くても、楽しさが勝つと思う。
私のマガジンを読んでいただいている人なら、この気持ちはわかると思うんです。前例がないことほど好奇心をくすぐるものはない。新しいことって、なぜかやりたくなっちゃいますよね。
またそのために「めんどくさいを楽しむ」という点も大きなポイントだと思います。祖父江慎は両生類が好きだそうだ。その理由を「水のほうが楽なのに陸に上がった姿勢に共感するから」と語る。
祖父江自身も「自分にとって楽なことはあまり考えない」という。うまくいってないことに快感を覚えて喜ぶらしい。なぜなら全部うまくいくと、つまらないからだ。
ポケモンでいうと「いきなりオーキド博士からLv80のミュウツーもらえた」みたいなものである。たしかに、恐ろしいほどつまんない。鼻くそほじりながらトキワの森に入ることになる。
祖父江慎が本を作るとき、その独特すぎる表現を叶えるために、印刷所に無理なお願いをするそうだ。機械を壊したこともあるらしい。
たしかに前例がないことって、ほとんどめんどくさいのである。0から1を生み出すわけで、時間も手間も見返りが伴わないから、みんなやってないんですよね。でもそこに笑いながら飛び込む精神には惚れ惚れしますね。祖父江慎っぽくいうと「うっとり」しちゃうのだ。
ちなみに祖父江慎は、見積もりも自分でやっている。前例がないことも「経験則」からある程度の費用を算出できるのだそう。つまり(よほど予算がある場合以外だと)何か新しいことをやるためには、経験は必要になるのは確かだ。綺麗事と野心だけでは、できないこともあるのかもしれない。
ぜひ「新しい本の選び方」をお試しあれ
さて、今回はブックデザイン界の革命家・祖父江慎の仕事を紹介した。ブックデザインという仕事を知ると、私たちが普段手に取る本の向こうに、何人もの大人がウンウン唸りながら考えている光景が見えてくる。楽にできた本なんて、きっと1つもない。本を作るって、こんなに大変なことなんです。でもやっぱり楽しいんですよね。
祖父江慎のデザインは、新しい本の楽しみ方を見つけるための「フック」になるものだ。ぜひ、次に書店にいくとき、文章だけでなく、本というプロダクト全体を隅々まで見ていただきたい。そこにはきっとワクワクする発見があるはずです。