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天才・田村由美のマンガの魅力についてオタクに熱く語らせてくれ

20年代前半のころに「禅」に関する本を書いていたんです。ブックライターとしては初めての仕事で、6時間くらい禅寺で取材をして、文字起こしして300ページくらいにまとめるっていう仕事でした。

当時は私自身が仕事やら人間関係やらにものすごく悩んでいた暗黒期で……。もうなんか「全裸で下向いて大殺界を歩き回る」みたいな。しかも出口の鍵がないんですよね。そんなときに「禅」に触れたわけですから、そりゃもうむちゃくちゃ食らった。で、だんだん「人の生き方」について深ぼって考えるようになる。

そんな時期に大学時代の後輩から「ジュウ・ショさん、田村由美とか読みます?」と。正直、当時は存じ上げなかった。で「知らない」と返すと、後輩が「マジですか。完全に損してますよ。田村さんのマンガいいですよ。心が洗われる感じがあって……。親の影響でずーっと追いかけてて、最近完結したんですよ〜」と『7SEEDS』を教えてもらったんですね。「心が洗われる」というのが、当時はマジで「未来は僕らの手の中」レベルのパンチラインだった。

で、すぐさまWebで7SEEDSを調べると「サバイバルマンガ」とあるんですよね。「あれ?これ一杯食わされたか?」と。「サバイバルといえば人を抹殺するためだけのマンガだろ。どこで心が洗われるんや。あれか、無人島で一人、仙人みたいなおっさんがマインドフルネスでもかますんか?」と。もう混乱しまくって一口ゲロ吐きそうになったので、すぐ漫画喫茶で1巻を読んだ。

で、2巻3巻と読み進めていくうちに、どかーんと衝撃を受けたのを覚えてます。たしかに舞台はサバイバルなんですけど、完全に「人間の生き方が大きなテーマ」になっていたんですね。で、そういえば「別冊少女コミック(のちに『月刊フラワーズ』)」なんですよ。つまり、サバイバルといっても、あのやたら行き止まりに追い詰められるハラハラ感を楽しむ少年向けでなく、ちょっと大人で哲学的な少女マンガ雑誌のサバイバルなんです。

7SEEDS

友だちが言ってる通り、完全に「心が洗われた感覚」があったんですね。この話は長くなるので後で詳しく書きます。

で、たった1時間ですっかり田村由美のファンになってしまい、漫画喫茶からの帰りに福岡・赤坂のまんだらけで「7SEEDS』を全巻買ったのを覚えてます。で、その後に『BASARA』と『巴がゆく』を買って読んで、短編も書店で見つけたら買って……と、もうなんかいつの間にか田村由美の大ファンなんです。

そんな田村由美が数年前に『ミステリと言う勿れ』で再ブレイクした。で、今なんか菅田がモジャ毛で実写やっている。これがかなり話題らしいということで、今さらながら田村由美という漫画家のすごさについて、生粋のオタクに語らせてほしい。田村由美作品は「哲学」だ。

「田村由美 天才」で月700回くらい検索されているという狂気の世界

衝撃のデータ

田村由美は間違いなく天才だ。どんくらい天才かって、Google Chromeの検索バーに「田村由美」と打つとサジェスト4位に「天才」って出る。日本では月に700回くらい「田村由美 天才」で検索されている。ちなみに6位には「すごい」と出る。なにこの狂気の世界。

みんな田村由美のマンガを読んだ後に「おいおい天才だろコレ。天才以外に言葉ないだろ」ってなって「……これみんな天才って思ってるよね。肯定的な言葉を見たいたいんだけど」と感じて「田村由美 天才」で検索するのかしら。ファンが総じて超絶盲目という説があるねコレ。私しかり。

まぁしかし「田村由美が天才」というのはもう「志茂田景樹は色とりどり」ってくらい周知の事実なのである。じゃあいったいなにが天才か。これ「円周率5億くらい言える」みたいなわかりやすいエピソードがあれば、実例で紹介しやすいんですけど、田村由美さんはほとんどメディアに出ない方なんです。

インタビューから分かる、田村由美さんの「ストーリー愛」と「キャラクター愛」

そんななかでも田村由美さんのインタビューというのはたまに上がってくるもんで、コレがファンとしては目から血が出るくらい嬉しい。メディア露出が少ない地下アイドルのSNS自撮りに歓喜するヲタの小躍りと一緒ですね。

例えば、こちらのインタビューではデビュー当時のことを以下のように回想している。

デビュー当初は最初はトントンと書いていたが突然ネームができなくなった。そこで漫画を描くのが楽しくなくなって。なんでこんなにしんどいんだろうと。最初はストーリーばっかり見ていたんです。でもそこでキャラの大事さに気づきました。話に重点を置きすぎて、少々性格が違っても、キャラを無理矢理動かしていた。反省点です。

またつい半年前くらいに出たライブドアニュースのインタビューでは以下のことを描いていらっしゃいます。

(編集者からの提案にあった)「少女のスポーツものを描く」ということに、どうにも乗り切れなくて。しかも、なるべく学校のクラブ活動の話とかじゃなくて、たとえば男性ふたりとチームを組んで賭けテニスをやってるとか、謎の事故で亡くなったチャンピオンの兄がいるとか、ちょっとサスペンス風味を混ぜたりしようとしてたんです。
引用「ライブドアニュース」
描きたいと思うものを描ける力はなかったんですよね。壮大げなプロットを持っていっては、「今のあなたにはこれは無理だよ」と言われたり、「手塚治虫先生がこれを描いたら面白いだろうね」って言われたり。

もう「描きたいものを描きたいように勝手に描くわい!」と思いまして、持ちキャラでネームを作り始めたんです。男性を主人公にしたアクションサスペンスっぽい群像ものです。それを同人誌にして即売すると、雑誌の編集者の方が認めてくださいました。

コツとは違うと思うんですが、好きなように1冊描いてわかったことは、やはり自分がキャラを好きでないとダメだ、キャラを大事にしないとお話は作れないってこと
引用:ライブドアニュース

「最初はストーリーに重点を置いていた」「今はキャラクターを大事にして描いている」という2点を、両方のインタビューでおっしゃっているんですね。

田村先生は根っことして「ストーリーテラー」の部分が大きいのだな、と。たしかに田村先生は長編でも短編でも、ものすごくお話が緻密で、そこらに伏線を張って次々回収していくスタイルだ。『ミステリと言う勿れ』で知った方もそれは、共通して感じるだろう。本当に伏線の数が尋常じゃない。

そして「キャラを大切にすること」を熱く語っていらっしゃるのも個人的にはめちゃめちゃ腹落ち案件だった。田村由美先生の描くキャラって、ほんと感情移入がしやすいんです。ペルソナがものすごく深くまで作り込まれている。

そのキャラがどんな生い立ちだったから、なにを背負っているのか、だから今は何を求めているのか。その論理がむっちゃリアルで完璧なのだ。

だから読んでいると、もうなんか、キャラクターの行動が予想できるようになるんですよ。「あぁその言葉は、このキャラがいちばん傷つくわ……」とか「こいつ脳より先に行動派やからな。絶対このあと走り出すだろうな」とか。もう家族レベルでそのキャラのこと知ってるし、愛せるようになるんですね。

1991年に少女漫画で架空戦記ものをやるという革命

BASARA

また「当時の編集部では日常的な少女マンガを求められていたが、もっとスケールが大きくてSF感のあるものを好んでいた」こともおっしゃっています。

たしかに先述した『7SEEDS』は人類滅亡後の地球が舞台です。『BASARA』も似ていて、舞台は文明崩壊後の日本。しかもなんと架空戦記ものを少女マンガでやるという革命ですよ。すごいな、ほんと。

ようやくここ5年くらいで、女性にも刀剣ブームとか、武将BLブームがきましたが、田村由美さんは1991年には女性に向けて架空戦記を描いていた。時代を完全に置いてきてます。

そんな田村さんが最初は壮大なスケールの話を少女漫画で描けなかった。この「日常的な男女いちゃいちゃものを求める編集者vsSF描きたい作家」の闘争は、もう昭和ではずーっと繰り広げられました。

そもそも戦後は『サザエさん』的な、ありのままの女性像が少女マンガ雑誌でもメインだった。そこに手塚治虫が宝塚歌劇団から影響を受けた『リボンの騎士』でロマンチックな世界を打ち出し、水野英子が『星のたてごと』『白いトロイカ』などでヨーロッパ的な世界観に拡大する。

それで1970年代には「24年組」のきらびやかな世界が広がるわけだ。しかしそれでも、萩尾望都は「SF色の強いマンガはまだまだ受け入れられなかった」と回想している。

田村由美先生は1983年デビューですが、当時の少女マンガ編集者は男性が多かったそうで「少年誌に戻りテェ」と口走っちゃう、プロ意識鬼低おじさんもいたそう。まだ少女マンガでの少年誌的なSF世界観の作品は受け入れられてなかったんですね。

それでも田村作品は「描きたい世界観」を、強く出している。コレがすごい。たしかに恋愛をメインにした少女漫画にしてはアクション性が高いし、理系男子が好きそうなミステリーも多い。もちろん恋愛要素もふんだんではあるが、そこに焦点を置いていない

ちなみに少女マンガ雑誌で少年マンガのテイストを押し出した作品は1990年代にけっこう出てきます。セーラームーンとかレイアースとか……。そのなかでもBASARAはすんごい早かったといえます。

7SEEDSの多主人公というすごさ

NETFLIXもいいところに目をつけるねぇ~

ただ「少女マンガとしての良さ」もあって、私はここに痺れたんですね。少女マンガって少年マンガに比べると「ソフト」の部分を重視すると思うんですよ。

例えば少年マンガが筋肉とか機械とかのかっこよさ、勝ち負けを強く意識したものだとしたら、少女マンガは戦う人の内面とか、環境を細かく描く。より人文的なものだと思うんです。

私は週刊少年ジャンプより妹の「ちゃお」とか「りぼん」で育ってきた人間なので、小さいころからどっちかと言うと少女マンガのほうが好きで。しかも職業柄もあって、かなりの数の少女マンガを読んできたと思うんですが『7SEEDS』を読んだとき「ヤバいヤバいこれ。心理学者が描いたんか」と思ったんです。ちょっと格が違う、と。それくらい深くまで人間の"業"が描かれていたんですね。

まず知らない人向けに『7SEEDS』のあらすじを紹介しよう。

「近い将来、巨大天体が降り地球は様々な災害に見舞われる」とのことで人類の滅亡も危ぶまれるように。この事態に、各国首脳らが極秘会議を重ねた結果、「7SEED'」と呼ばれるプロジェクトが誕生した。

それは、若く健康な人間を選んで冷凍保存し、地球が災厄に襲われている間眠らせ続け、やがて人が住める状態になったとコンピューターが判断した時に自動解凍を行い放出するというものである。

「7SEEDSプロジェクト」は国ごとに行われ、日本では7人ずつ5チーム「春・夏A・夏B・秋・冬」に分かれている。選ばれる基準は様々で、遺伝性の病気や早死にした者・犯罪者が身内にいないこと、本人の健康状態、生殖能力の有無、豊かで問題のない家庭に育った、容姿も麗しい者や、ある分野に秀でている者が選ばれた。

7SEEDSのメンバー達である女子校生 岩清水 ナツが目覚めると、そこは海の上のボートで、同じ「夏B」のメンバーである少年たち嵐、蝉丸らがいた。周囲には文明らしき者はなく、自分たち以外の人類は滅んでいることが判明する。

現代には存在しない植物や生物たちが生息し、様々な困難が襲い掛かる。まつり、ちまき、螢らと合流した3人は、夏Bのガイド役である牡丹から「7SEEDSプロジェクト」について聞かされたメンバー達は、この世界で生きていく決意を固める。
wikipediaより


まず『7SEEDS』って、登場人物が鬼のように多いんですよ。マジで。設定的にサバイバルをするチームが5つあってそれぞれ8人ずついる。ガチで1クラス分くらいいるんです。

たしかに『バトル・ロワイアル』しかり、サバイバルものは人数が増えがちですよね。だいたいめちゃめちゃ死ぬからね。で、最終的には2人くらいになるんですけどね。ただ、多いがゆえに全員にスポットライトが当たりにくい。

例えばサバイバルあるあるだと「謎の宗教を開くおばさん」だよね。でも「彼女がなんで宗教を開いたのか」までを説明している作品って、なかなかない。個人的には「そこがボトルネックなのに!」といつも歯痒く思っていたわけだ

なんでこんな思考に至るのか……超インタビューしたい

そこを7SEEDSでは、一人ひとりにスポットを当てて超細かく描くんです。それぞれの言動や性格を見せたうえで、生い立ちやまわりの環境を描きながら「なぜこういう人間ができたのか」までを深ぼるわけだ

例えば(これは本編とは関係ないのだが)、何人かが同じ危機に瀕したとします。キャラクターAはすぐ走って逃げようとする。Bはリーダーシップをとって「みんな落ち着いて!」とか言う。Cは誰かを犠牲にしようとしました。

Aが臆病でBが冷静でCが狡猾ですよね。それは「Aが一人娘で親から大事に育てられてきたから」とか。Bが「過去に自分のミスで大事な人を失ったから」とか。Cが「人を不幸してでも成し遂げた成功体験があるから」とか……。人間は誰しもこれまでの環境で、思考と行動が変わると思うんです。7SEEDSでは、こうした背景をガンガン見せてくれるんですね。

そのうえでギミック的に超効果的なのが「複数主人公形式」だ。この作品には主人公が4人いて、同じ時系列をそれぞれの視点で描いている。主人公が1人だと見えない部分もある。しかし、各チームに主人公がいると、各メンバーとのタッチポイントが増えるわけだ。すると、素性をめっちゃ深くまで知れるのである。

ただ、複数主人公ってかなり諸刃の剣だと思うんです。なぜなら主人公を増やすって、めっちゃストーリー作りの難易度が高くなる。まず話としてぼけやすくなる。さらに読む側を迷わせるきっかけになりかねない。

しかしそこは天才・田村由美のストーリーテラーとしてのテクニックがピッカピカに光るわけですよ。「人が成長する」という軸を置くことで、ブレることなく見事に描き上げている。

7SEEDSを「サバイバルと言う勿れ」

だから7SEEDSは舞台こそサバイバルだが、話の本筋としては「成長」だと思うんです。設定として「人間がいちから文明を作り上げてくれるように」という願いが込められていますし、登場人物は10代、20代ばっかりです。ここから「何を知って、何を捨てながら成長していくのか」というのが見ていて楽しいし、応援したくなる。

で、「成長とは手放すこと」と思ったんですね。これもう完全無欠で個人的な解釈ですけど。7SEEDSの登場人物はみんななにかしら背負っている。例えばナツは「自分の意見を言うのが怖くていじめられた登校拒否の子」です。嵐は「母親を亡くし彼女の花を守るために傷害事件を起こした子」だし、新巻さんは「ちょい早く目覚めて、仲間を失って犬と15年も放浪していた元甲子園球児」です。

初期のナツ

みんな何かしらの過去があるんですが、この文明も何もない世界では、そんな昔の環境なんてリセットされているわけですよ。すっからかん。なんのバイアスもない世界でのイチからのスタートなんですね。

ただ、もちろん冬眠前の性格は変わってはいない。そんななか、まぁ衝突が起こったりするんですよ。そこで、みんなあらためて客観的に相手の行動を知るわけだ。「こいつ、こんな考え方してんだ」とか「俺はなんでこんな考え方しかできないんだろ」って。

それでだんだんと、冷凍保存される前の自分を捨てていく。最終的には序盤では絶対にしなかったであろう行動をするようになるんですね。で、読んでる側も「えっ、このキャラ、こんなことができるようになったんだ」と。もう我が子レベルでホロっと泣けてくる。

最終的に人前で漫才までできるようになるナツ

だから私個人的には「7SEEDSをサバイバルと言う勿れ」って思う。これは哲学書に近い。コジコジとかぼのぼのの欄に置くべきマンガだと思います。

「ミステリと言う勿れ」はもちろんミステリではない


田村マンガのモジャ毛キャラは総じて魅力的

そんな田村さんの近年のヒット作が『ミステリと言う勿れ』。もちろん連載始まって即座に読んだ。ホントおもしろくて、むさぼるように……というか、もうむさぼってた。まず絵がガラッと変わっていることに気づいて……。それまでは比較的、1970年代のキラキラしたキャラクター像を引き継いだ感じだったと思うんですが、今作ではもっと写実的で落ち着いている。トーンもグラデーションが美しい水彩っぽいのを使われている印象だった。

で、読み進めるんですけど、型としてはミステリーなのですが、いやいや本筋はミステリーではない。というか、冷静になるとこのツッコミがおかしいっすよね。だって「ミステリと言う勿れ」って言ってんだもん。はい。言いません(従順な犬)。

今作の主人公はモジャ毛がチャームポイントの久能整くん。しこたま魅力的なキャラで、まず自我が薄い。「もうほとんど無の境地にいる」という感じ。だからこそ客観的に人を分析できる。そう、この「人を分析する」というのがやはり肝なんです。

同じミステリーものでもコナンと比較してテーマの違いを見てみよう。大きく違うのは「どうやって罪を犯したか」というトリックの妙を観るマンガじゃなくて「なぜ犯人は罪を犯したのか」ということに重点を置いているところだ。HOWじゃなくてWHYなのだ。コナンで、ラスト5分くらいで「あ、あ、あいつが憎かったんだ……」って独白が始まるでしょ。「ミステリと言う勿れ」はあれがメインなんです。

考えてみたら、これがミステリーのボトルネックなんですよね。いや、わかるんですよ。あの、巧妙な謎が解けたときの「なるほど〜」って感じね。スカッとジャパンをみて、タチの悪い奴が痛い目を見たときの「よっしゃ」って感じに似てますよね。あの爽快感は、すんげぇわかるんです。

でも、果たして犯人を牢屋にぶち込んで終いでいいのか、と。コナンのラスト独白って「……だからつい殺しちまったんだぁ〜」と絶望する犯人を見せながら、なんか周りが「おいなんて声掛けたらええねんこれ」みたいな気まずい雰囲気のまま暗転するやん? あのシーンを観ながら「おいおいおい」と。「まだ解けてないぞ」と私は思うんです。パトカーシーンが終わった後のトムとジェリーばりの笑いオチ「おい歯ぁ見せんな。まだ根本的に解決してないぞ」と心の中で突っ込んでます。

大事なのって「犯人がなんでそんな犯罪をしてしまったのか」を考えることだと思うんですよ。7SEEDSと同じなんですけど、生活してきた環境のどこで呪われたから、人を殺したのか

例えば「あいつばっかり親父にチヤホヤされて憎かったから殺した」と言われたら「いや、なんでそんなに親父に好かれたかったん?」と質問したくなる。仮に親父が財閥の社長かなんかで「金に目がくらんだ」と言われるくらいでだいたいのミステリー作品ってオチになる。

でも正直、こちとらまだ掘りたい。「なんでそんなにお金が欲しいん?」って聞きたい。たぶんそうやってボーリングしまくったら、いや結局親父も金も関係ないじゃんってなることもあると思うんですよ。そんな根本的原因ってだいたいのミステリーでは見えないじゃないですか。でも実際そこが「最大の謎」なわけですよね。

「ミステリと言う勿れ」のすごいのは、そんな謎のボトルネックを見事に解決してみせるんです。犯人が何に呪われてて、それを解消するためには何をすればいいのかをきちんと教えてくれるんです。もう、読んでて「……ッパァン!」つって爆音柏手打ちましたもん。「これが読みたかった」って。

そんなストーリーを描くうえでシャーロック・ホームズとか工藤新一みたいな、濃い味付けのキャラじゃダメなんですよ。何にも囚われてないような整くんのような、薄味のやつの目線で見るから、素直にその人の呪いの在り処を見つけられるんですねこれが。

だからね。正直、菅田将暉じゃない。キャラとして濃すぎる。菅田バイアスがハンパじゃない。アコギ一本で「うんざりするほどぉ!ひかぁれ君の歌ぁ!」とか歌う奴はちょっと我が強すぎる。だからぶっちゃけ、あの……なんだろう。荒川良々とかね。「私、塩だけですよー」みたいな飄々とした人にやってほしかったですね。

「囚われている何か」をひっくり返してくれるマンガ

舌痺れるくらい味付け濃い、菅田ver

ということで、今回は田村由美先生のマンガの魅力についてご紹介した。そういえば、冒頭で紹介したインタビュー動画で田村先生は「マンガの魅力とは」という問いに対してこう答えていらっしゃる。

(読者として)読んでる分には、自分が普段思っててとらわれている考えをいきなりひっくり返してくれる……自分が生きていくうえで指し示してくれるものが、マンガにはあるような気がする。自分で描くときも普段思って悩んでいたり、囚われているんだけど、それをひっくり返してくれる。そういうマンガが読みたいし、描ければいいな、と。

いや、もう見事にひっくり返され続けていますよ、私は。完全に『7SEEDS』で「囚われているものを捨てることの素晴らしさ」を学びましたし、それで得たものもあった。

田村先生自身がインタビューでこう答えていらっしゃるということは、やはり少なからず「囚われている思考や行動からの脱出」を共通のテーマにされているのだろう。

そういえば「ミステリと言う勿れ」は本当は読み切りだけで終わる予定だったらしい。それがあまりに好評だったので、連載になったそうで、本当は「田村先生が書きたい話」が別にあったそうだ。だから、個人的には「ミステリという勿れ」の次のマンガが楽しみで仕方ない今日この頃である。

最後に一つだけ、ちょっとふふってなった検索結果を紹介させてください。「7SEEDS」に「花」っていう主人公の1人がいるんですけど「7SEEDS 花」とと検索バーに打つと「嫌い」って出てくるんですよ。マジの地獄でウケました。「田村由美」だと天才なのに。花だと「嫌い」とか「うざい」なの草ですよね。草っていうか花なんですけどね。

なんでや! 花めっちゃいいやつやんけ!

7SEEDSとは、先ほどご紹介した通り、何かに囚われ、呪われている若者が、背負ってきたものをすべて捨てさって成長していく話だ。そんなマンガで子のサジェスト見て「おい嘘やろ」と。「よく読み続けられたなこの人」と。逆に尊敬の念すら覚えたわけだ。

「何かを嫌いになること」って、自分の呪いを捨てられていない最大の証拠だと思うんですよ。自分と違う考えの人をどうしても許せないから、嫌いになるわけでしょ。そうすると「花 嫌い」で検索している人は7SEEDSのメッセージ性がまるで届いてないんです。読者層って不思議なもんですよね。

何かを「嫌い」って検索する人って「叩いている人と感情を共有したい」というわけですよね。例えばヤフコメ民に近い発想で、何とか人の嫌な部分を見つけたり、粗を見つけたりしてマイナスの方向に考えを広げるわけで、これはもう何の生産性もない地獄の三丁目ですよ。

だから「人の嫌いな部分がつい見えちゃう人」こそ、田村由美さんのマンガを読んでほしい。読めば読むほど自分の呪いと向き合ってみようと思えますよ。まずは「なんで俺、この人のこと嫌いなんだろ」ってとこから始まって「あっそうか。あのときこんな経験をしたからか」というボトルネックまでを見つめ直すきっかけになる。すると、その時から成長していない自分に気づいて反省したりするんですね。

ですので、SNSで人の悪口を書いているあなたや、YouTubeのコメント欄でケンカしている人とかをつい見ちゃうあなた、なんならスカッとジャパン見てスカッとするのが日課なあなたは、ぜひ一回、田村由美さんの作品を読んでみてください。

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