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【国語】作家自身も間違う現代文の問いはもはやホラー?

高校・現代文でよくある
質問がありますね。
「傍線のところで、著者は何を
言おうとしてると思いますか?
100文字で述べよ」という問い。
小林秀雄も、宮本輝も、
自身の文章が使われた、
この手の質問に間違えたり
分からなかったらしい。
(笑)。
文章を書いた本人も込めてない、
謎めいた意図が正解として
でっち上げられるみたい(笑)。

現代文のあの手の問いは、
作者の意図からも乖離していたなら
じゃあ何が「正解」とされて
いたんでしょうか。
それは現代文の先生の「総意」
みたいなものでしょうか。
これはちょっと怪談ですね。

ちなみに、私はちょっとズルく、
なんとなく国語の先生が求めてそうな
答えを書いたら、
マルをもらえたことがしばしば。
でも、作家自身が間違うような
問いにマルをもらって、
何の意味があったんでしょうね。

そう言えば、国語や現代文で
出会って、それがきっかけで
ファンになって愛読した作家って
誰かいるかしら?

谷川俊太郎の「生きる」や
丸山真男「であることとすること」
などは覚えてますね?
それから加藤周一や唐木順三の
評論エッセイも教科書で
出会いました。

その出会いに今、感謝してます。
でも、本好き、評論好きなら
大学時代に自分の読書方法で
どうせいつかは出会ったでしょうね。
というか、国語の教科書で
出会った作品は、妙に
かしこまって見えました。

教科書なんて、まあ、
文学青年の優等生以外は、
正岡子規の顔写真にいたずら書き
したりしてふざけるのが
ノーマルな対応だったかも?

本好きな文学青年や文学少女は
先輩や仲間や読書サークルなど
教科書以外からどんどん
自分の好きな作品を見つけて
いくものでした。
そうなんです、本好き、文学オタクは
教科書とは関係なく
自分で好きな作家にたどり着きます。
教科書で文豪たちの作品に
出会うようにしなくては!
なんて言い分は、優等生だけの
言い分なんです。

そう言えば、今は村上春樹も
短編「蛍」や「鏡」が
教科書に載ってるそうですが、
そんな出会い方をしていたら
私の「村上春樹」は正反対に
変質してしまってましたね。

ボクがはじめて村上春樹を
読んだのは発売されたばかりの
『ノルウェイの森』。
まだ春樹といえば、
若くて得体の知れない異端児でした。

異端児な存在だった村上春樹は
きちんと一般的に読まれたいと
考えて、日本的なリアリズムで
「普通」の体裁をした小説を
敢えて書き、異端児ではないことを
世間や文壇や硬派な純文学読者に
宣言したんです。
宣言するために書いたんです。

今では『ノルウェイの森』は
決して普通じゃないし、
村上春樹ワールドでは
唯一妙にリアリズムのみな構成で
ちょっと浮いていますが、
この作品以降、正統派も書ける
日本を代表する作家になります。
『ノルウェイの森』以前と以後で
村上春樹の扱いは大きく変わって
いくことになりました。

私は好きですが、
もしこれを高校の教科書で
生意気盛りな時に習っていたら
どうなっていたかなあ?
ちょっと反発心を持ってしまった
かもしれませんね?

生意気盛りな高校生向けの
現代文は難しそう、編纂するのが。

とりあえずは、
国語と名乗る以上は、
もっと日本語や言語について
学べるテキストが必要では
ないでしょうか?

ヴィトゲンシュタインや
ソシュールら20世紀の言語学や
大野晋や白川静ら
日本独自に開けた日本語学を
ぜひ教科書で紹介してあげたい。
言葉とは何か?
文字とは何か?
自分たちでとことん考えるのが
「国語学」だと思うんです。

特に白川静が開いた漢字学は
歴史と哲学と言語学が詰まった
美しい交響曲なんですよ。
その話はまたいつかどこかで。

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