【拠り所】絶望する道と神を信じる道、どちらが楽だろうか?
絶望するのが楽か?信仰するのが楽か?
ウッディ・アレンの映画で、
「絶望する方が楽だ」という台詞が
出てきます。そう言われた友人は、
「いや、信仰を選ぶ方が楽だ」
と言い返す場面があります。
『マッチ・ポイント』という
恋愛ミステリーの序盤にです。
信仰について語り合う欧米人としては
シニカルな会話ですね。
絶望するのは、それなりに
生きるエネルギーを蝕むから
「絶望は楽な道」に一票を
入れたくはありません。
確かに、神様を信仰する道は
「安全圏」に入れるという意味では
楽な道かもしれません。
でも本当のところ、理想なのは、
絶望はしないで、また神様にも頼らず、
人生というイバラの道を
基本的には自分の力で、
時々は神様や先達の力を借りながら、
試行錯誤して生きることでしょう?
でも、それでは何度も、
傷ついたり転んだりすることが、
必ずついてくる感じですね。
ただのサラリーマンなのに
こうして、noteで自称エッセイストに
なって文章を書くのが
私の「宗教」かもしれない。
そうなると、私の記事を読んで
くれる人たちは「神様」ですね。
もし明日から、noteは禁止だよ
なんてことになったら、
心に穴が空いておかしくなりそう。
(笑)
私は神様なんて信じていない
つもりでしたが、
こんなにもnoteを心の拠り所に
しているなんて、もうすっかり
note教徒かもしれません。
noteという道を選んだのは、
楽な道か?難しい道か?
それはどうなんでしょうか(笑)?