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[人と比べない][求めない]キラーフレーズで自分を飾るのはもうゴメンだ(笑)

それはズルいよ!?
といいたくなる言葉があります。
いやあ、それを言ったら、
私には何も言い返せないよ?
そんなキラーフレーズがあります。

昔、ある女性作家と話していて、
太宰治の「生まれてすいません」は
ズルいなあって話で意見が一致し、
盛り上がったことが。

生きづらいのは、
大小、差はあれど、みんなそうで、
人生は苦しみがいくつもある。
太宰治の「生まれてすいません」は
人生という旅から
「いち抜~けた」という宣言を
それもまた謝罪の体裁で
宣言してる訳です。
みんなが歯を食いしばって
旅から脱落もしないで
がんばっているというのに、
太宰治はズルい男だなあ…。
つらいのは、私だって同じなのに。
やあ、やられたなあ。
それを言っちゃあお仕舞いなんだよ。

そんな話をしたのを、
相手も全く同感してくれて、
こうして嬉しく覚えています。

「求めない、期待しない」も
私には、ズルいキラーフレーズの
ランキング上位の言葉です。
確かに、悟りとして、
その境地にたどり着いたなら
そうした心境になるんでしょう。

でも、完全に求めない人になる
というのは、
「不完全なのが正常」であるはずな
人間の営みから、やはり
「いち抜けた」という宣言をしてる
ように感じてしまいます。
まあ、程よく求めるということ
なんでしょうけど、
私たちは現実ではいつも
しくじったり、間に合わなかったり。

失望したくないために
「求めない人」になるのは
生身の人生哲学として根本的に
間違ってるんじゃないか?
とすら思えてしまいます。
…私は人より余計にしくじり過ぎて
きましたが(笑)。

ズルいキラーフレーズとして
もう1つ思い浮かぶのは、
「他人を気にしない」。
私たちはしょっちゅう、
他人の評価や、外部の基準で、
自分を計測・評価・判断している。
他人の評価や他人の目線なんて
全く必要ない、むしろ害悪!
そんなことは、百も承知で、
それでも、なかなかできない。
まあ、だから永遠に、
わかりきった人生論が
手を変え品を変えて
ベストセラーになっていく。

人はどんな人も病気になる。
人を愛したり憎んだりする。
毎日、歳を取る。
私たちはそんな生き物です。
たまに、うまく出来て、
物事がうまく運ぶ場合もあります。

でも、私たちはいつも
目の前には人がいっぱいいて、
毎日の生活でも何十人もの人々に
囲まれて生きています。

他人を思い、比べることは
むしろ当たり前なこと。
一時的に出来たとしても、
やはり人間は心が弱る時もある。

人と比べない。
他人の目線を気にしない。
自分軸で生きる。
そうした美しい
キラーフレーズに酔って
人生を大袈裟に飾り立てるより、
毎回、学習もせず、
しくじる自分でもいいのかも。

ここで、
自分を愛せよ、とか
しくじる自分を抱き締めよう、
なんて言ったら、
それもまた、キラーフレーズ(笑)。

キラーフレーズも
悪くないですが、
キラーフレーズだらけってのは
ちょっとヤバい。

色々な自分がいるよ。
30点の自分もある。
98点の自分もある。
まあ、ただ、その現実を
過大評価もせず
過小評価もせず、
頭の先から足のかかとまで
ただ見る、観る、 視る、看る。

そっちの方が良くないですか。
うーむ、若い方々からは
さぞかし反発を食らうかな。
だって、こうなろう!ああなろう!
って、常に何者かになりたいと
がんばってる方々には、、、、。

私も30代、40代には
そんな人でしたから(笑)。
目指す、変える、突破する!
そうした派手な「動的」な縛りが
魅力的に見えますから。

でも、ただいることも、
悪くないですよ、きっと。

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