ジュンコ

「看護師を撮る看護師(写真家)」に必ずなる為に看護師をしながら写真を勉強中。 看護師と…

ジュンコ

「看護師を撮る看護師(写真家)」に必ずなる為に看護師をしながら写真を勉強中。 看護師として感じる事、一度臨床を離れたから気が付けた事、看護師の私が患者になり感じた事、そして写真の事などを書いて行きたいと思います。

最近の記事

サクラサクマデ:3〜札幌編終了〜

退院し、自宅からの登校が出来るようになった。 その数週間後、骨折する・・・何やってんでしょうか。なので、入学後のクラス写真や部活の写真はギプスしてます。本当に何をやってるんでしょうか。 クラスは仲良しの子と一緒になれて、嬉しかった。部活も彼女は男子部のマネージャーで私は女子部のプレーヤー。 そうそう、試験監督で病院まで来てくれた先生の1人は古文担当だった。やっぱり授業を受ける事になった。 勉強はついていくのが必死だった。最初の中間テストは何とか100番以内には入っていたけど

    • サクラサクマデ:2

      ※当時は「看護婦」が呼称だったのであえてそう書きます。 無事に高校受験ができた。当時は受験日の夕方に札幌駅で受験問題と回答が配布されていたらしい。「らしい」と言うのは入院中でそんなのも知らなかったから。 21時頃だったかな、まず研修医の高橋先生がそれを持って来てくれた。 その後すぐ小児科部長がケーキを買って来てくれた。 そうして夜勤の看護婦さん達が来て 「受験お疲れ様!」 と笑顔で言ってくれた。私はあの時の看護婦さん達の顔、まだ覚えてる。先生と看護婦さん達へ一緒に笑って

      • サクラサクマデ:1

        看護師になることしか考えず・・・というか中学生頃には「私は看護婦になるんだな」と自分も家族も思っていた。 私は昔から「想像できる事は叶う」と思っているし、何となくその気になる事は叶うと思っているのだけれど。所謂「引き寄せ」とかは関係なく。そもそもその頃はそういうのも知らなかったし。 幼稚園2つ、小学校5つ、中学2つ、高校2つと転校三昧だった。 志望校は進学校と言われる所だった。「お勉強」はできたのです。自分で言いますが。「お勉強」はできたけど私は「人としてのお勉強」が出来な

        • 看護師になると決めていた

          とうとう医師から「看護師を続けるのは無理」と言われた。 4月からメニエール病の発作の頻度が多くなり、ここまで酷いのは発症してから初なんじゃ無いかと思うほど。13〜14年?寛解が来ること無く付き合ってきたこの病気だけれど、確実に今まで味わったことのないキツさだった。 まだ気持ちの整理はしっかりとできない。 なのでnoteを書いていこうと思う。 ・看護師になりたかったこと ・看護師に拘ったこと ・看護師から退くと決めたこと ・今まで出逢った患者さんとの思い出 そういう事を順を追う

        サクラサクマデ:3〜札幌編終了〜

          SOSに気付くこと

          なんかおかしいなとは思っていた。 職場の事なので諸々大人の事情でここに詳細は書けないが、とにかく哀しい職場だった。 スタッフの悪口は当たり前。 そして患者さんの悪口も当たり前。 管理者が率先するかの様にスタッフや患者さんの事を言うのだからそりゃそうなりますよねという感じ。 私がここにこれを書く時点で私も同じなんだけれども。 自分がやりたい事が出来ると思って入った職場だ。 選んだのは自分。 綺麗事に聞こえるかもしれないけれど後悔はしていない。 辞めるにあたり、色々あったけれ

          SOSに気付くこと

          TKマガジンが発売された!!

          私の大切な友達。 TKことタケヒロのマガジンが発売された。 クラウドファンディングで出版されたこのマガジン。届くのをとても楽しみにしていた。 〜タケヒロとゆうさんとの出逢い〜 それは西野亮廣さん(絵本作家・芸人)のオンラインサロンだった。今の様に(現在の会員数は68000人と国内最多)ここまで大きくは無くて、4000人いるかいないかくらいの頃だったと思う。 「えんとつ町のプペル」という絵本の光る絵本展をやっていて、人混みに出られない子の為に1日だけの絵本展をやったという

          TKマガジンが発売された!!

          大好きな人が教えてくれたこと

          何から書いたら良いのだろう。 書きたい事が多すぎる。間違いなく長くなるのでおヒマな時にでも。 大好きな患者さんがいた。 看護師だって人間なので、やはり合う患者さんとそうではない患者さんがいる。 とてもとても大好きな患者さんがいた・・・そう過去形。 過去形という事は・・・そういう事だ。 私が在宅医療の現場に入りすぐくらいに初めてその患者さんのお宅へ訪問した。患者さんはとある癌の末期で、病院で2ヶ月くらいと言われたと。 そこで、最期はご自宅でと患者さん・ご家族が考えてご自宅へ戻

          大好きな人が教えてくれたこと

          さっちゃん

          暖冬と言っても寒い日。 その日に「暮らしたい場所で最期まで〜さっちゃんの場合〜」という集まりがあった。 土曜日だった事とお看取りを一緒にした先生が待機明けだったので二人でお邪魔してきた。 鎌倉野菜の販売もしていた。 近所の方やそのご近所さんに声をかけられた方、沢山のの方がいらしていた。さっちゃんのお宅に。 さっちゃんは家で最期を迎えたいと望んでいた98歳のおばあさん。 ほぼお一人で家事もやり、頑張っていた。 入院もしたりした。 ご自宅で最期を迎えるには多くの人の手が必要と

          さっちゃん

          焦る、焦らない

          6〜10月頭まで仕事の休みを貰っていました、まぁ病気休暇です。 その間に母方の叔母が2人亡くなりました。 2ヶ月連続での訃報で、1人の叔母は事故による急逝だった為、気持ちの整理が追っつかない感じでした。今もそうかな。 もう1人の叔母は癌で手術をして1年で再発して緩和ケア病棟で亡くなりました。 人は必ず死にます。 それは(現代は)変わらない事実です。 そんな叔母たちの件で自分が今までいかに焦っていたかを知る事ができました。 交替勤務が23年続き、最後の6年はほぼ夜勤専従で勤務

          焦る、焦らない

          下を向いたり上を向いたり

          1日おきに病院へ行き、耳は男性の声なら小さいながらも聴き取れて来るようになりました。 けれど、それに集中するのでかなり疲れます。 今日は電車に乗るなと医師から言われていたのに電車に乗ったら、また聴こえなくなってしまい、乗り越しそうになりました。 先生のいう事は聞かないといけないなぁ・・・でもスッキリしたかったんだもん。 自分がこうなってみて、不自由に感じたり、怖いと感じることがとても多いなと。 後ろからいきなり歩きスマホの人にぶつかられたり。 ポッケから落ちた物に気がつかずに

          下を向いたり上を向いたり

          みみ

          ある朝起きてトイレに行った。 トイレの水が流れない(私は便座の蓋を閉めてから流す)。おかしいなと思ってなんども流す。 水が溜まるタンク?あそこの流れる所からは水が出ている。 水は流れているんだ・・・どうして聞こえないんだろう。 そのくらいの気持ちでいた。 TVをつけた。音が聞こえない。消音になっているのかと思ってボリュームをあげたけれど消音ではなく、聞こえていないとわかった。 そこからは何が何だかわからないし不安で怖くてパニック状態だった。 意味もなくお鍋を叩いてみた。聞こ

          声なき声を聴く

          私は看護師生活25年のうち約18年をICU(集中治療室)という場所で働いてきた。 大きいオペをした後の患者さんや病棟で急変して全身管理が必要になった患者さんが入る。救命センターを持っている病院ならセンターのICUに入るけれど、そうでは無い場合は救急外来から直接ICUや救急車から直接ICUに入室という場合もあった。 流石に救急隊員が直接ICUに搬送してくる職場にいた時は「ここは早く辞めないといかん」と思ったけれど。 ICUに入っている患者さんの半数以上は人工呼吸器が着いている

          声なき声を聴く

          狭い世界に生きている

          全く関係の無いサムネを貼りました。どうも、ジュンコです。今日は毒を吐くかもしれません・・・吐くでしょう。 昨日久しぶりに友人と話していた。非医療従事者の友人。 間違いなく看護師あるあるだと思うのですが、健康相談です、病気相談です。 「受診した方がいいよ」とか「主治医に訊いた方がいいよ」としか答えられないのだけれど(というかそう答える様にしている) 友人が言った。 「ねぇ、何で医者ってちょっと変わってる人が多いの?」 多分、そう思った経験がある人は多いだろう。 一緒に働い

          狭い世界に生きている

          どうしてカウンセリングなのか

          HPを作って、写真撮影のメニューを出してその中にカウンセリングも入れた。どうしてカウンセリングが入ってるの?って訊かれる。 カウンセリングと写真は似てるからというのもあるんだけど。 私が行うカウンセリングは「親子関係」を主としたもの。 親子関係って凄く大きいなというのは自分自身でも経験して感じていた。 私の場合は父との関係だったんだけどね。 私の話は端折りますが。 働く場所を変え、高齢者の虐待が多い事を知った。 100歳を越える方や90代の方がご自身の両親への不満をずっと

          どうしてカウンセリングなのか

          まさか

          人生には3つの坂があると言われる。結構よく耳に、目にすると思う。 ・上り坂 ・下り坂 ・まさか の3つの坂が人生にはあると。 看護師をしていると自分の人生以外の「まさか」に多く遭遇する。 「まさか」しか無いんじゃ無いかとさえ思う。 「まさか」家族がこの病気になると思わなかった 「まさか」自分がこの病気に罹患するとは思わなかった 「まさか」こんな風に人の手を借りて生きるなんて思わなかった まさか、まさか・・・が沢山ある。 ある日突然やってくる「まさか」もある。 それは

          私が知らない私を見る

          珍しくiPhoneでブログを書いています。 先日の出来事。 早朝に患者さんのお看取りをした。 お孫さんが医療関係者だったので2人で最期のケアをした。その時にもう1人のお孫さん(この方も医療関係者)がスマホを向けているのはわかったけれど、特に気にもせず。 お孫さんと2人で想い出話を聴かせていただきながら、時には笑い声を出して、穏やかにというか、和やかにというかケアをさせていただいた。 朝の光がさしてまるで患者さんは寝ている様な、本当に穏やかなお顔だった。 ケアが終わる時に

          私が知らない私を見る