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大好きな人が教えてくれたこと

何から書いたら良いのだろう。
書きたい事が多すぎる。間違いなく長くなるのでおヒマな時にでも。

大好きな患者さんがいた。
看護師だって人間なので、やはり合う患者さんとそうではない患者さんがいる。
とてもとても大好きな患者さんがいた・・・そう過去形。
過去形という事は・・・そういう事だ。
私が在宅医療の現場に入りすぐくらいに初めてその患者さんのお宅へ訪問した。患者さんはとある癌の末期で、病院で2ヶ月くらいと言われたと。
そこで、最期はご自宅でと患者さん・ご家族が考えてご自宅へ戻られ、訪問診療を開始された方だった。

介護用のベッドに横になっている患者さん。私にはとても怠そうに見えた。
小さい身体で色んな治療を頑張ってきたんだろうなとも思った。
決して体調が良いとは言えないはずなのに笑顔で「ありがとねー」と何度も言って下さった。
患者さんのお部屋から中庭が見えて、そしてその向こうにはリビングが見える創りになっているお宅だった。
その日、親戚の方がいらしていてリビングは賑わっていた。それが患者さんのお部屋からも見えるし、リビングから誰かが手を振ればそれも患者さんに見える。素敵な創りのお宅だなぁ。

そう、それらが第一印象。
それからも訪問診療は続いた。
看護師は前日に翌日、どの医師と一緒に回るかが決まる為毎回(月2回)の診察全てに同行できる訳ではない。
けれど最初はベッドでの診察だった患者さんがいつの間にかリビングでの診察になって行った。

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ご家族もとてもあたたかかった。笑顔が絶えないご家族だった。
介護をするに辺り、大変な事もあったと思うけれど笑顔だった。
そして私達にいつも美味しいお茶とお菓子を用意して下さって、それらをいただきながら色々なお話をさせてもらった。
私は患者さんもご家族も大好きだったんだ。
そこの「ご家庭」が大好きだったんだと思う。

ある日の診察の時、なぜか患者さんと一緒の写真が欲しくていつもは診療車に置いておく自分のスマホをポケットに入れてお邪魔した。

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顔の大きさの違いよ・・・笑
患者さんはいつも「あったかい手だねぇ」と私の手を握ってくれた。
だからこの時も写メを撮るから手を握ってくれているんじゃないんだよね。
ご家族は仰っていた。
「病気なのを忘れちゃうくらいなのよ」
と。
後日お伺いしたお話だと患者さんは今、患者さんが出来る家事をやっていたそうだ。ご飯も作っていたそう。
ここだと思う。ここに大きなヒントがある様に私は思う。

病人を病人扱いしないこと


殆どの場合が病気なんだから静かにしていて、安静にしていて・・・それはご家族の思いである。否定をする訳ではないけれど患者さん本人はどう思っているだろうか?
身体が動くなら「出来る事」「やりたいこと」をしたいと思うのではないだろうか。

病人を病人にしてしまうのは身近な人

とも言う。勿論その「身近な人」はそんなつもりは無いのだけれど。
私がそこのお宅で感じた色々な事は「病人扱いしていない」という事が大きかったのかもしれないと今は思う。

患者さんは主治医が大好きだった。ふざけて「LOVEですね」と言うくらい。

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先生に会える診察日を毎回楽しみにしていてくれたのでは無いだろうか。
この患者さんも含め、私は在宅医療に携わる様になってから、患者さん・ご家族から教えられた事が沢山ある。その中でも大きいものが2つ。

・医療は誰のためのものなのか
・寄り添うとはどういう事なのか

本当にこの2点に尽きると言っても過言では無い。
病院の役割・在宅医療の役割はそれぞれが違う。だから仕方がないのかもしれない。けれど、けれどなのだ。
病院では医療者はホームに立っている。患者さんはアウェイだ。
語弊があるけれど医療者の言うことを守る→良い患者さん。
治療や今後の事について医療者とは反対の意見を真っ向から伝える人→扱い難い患者さん。
治療されるのは患者さんご自身だ。
自分の身体に何をされるのか、その結果何が起きる可能性があるのか・・・それを知り、医療を選択する権利はある。というか、どんな医療を選択するか?その権利は患者さんにしか無いのでは無いだろうか。
しかし、病院だと患者さんの意見より医療者の意見が優先されてしまう。
看護師として患者さんに寄り添おう、そう思ってきたけれど患者さんを私達に寄り添わせていたのでは無いかと感じる。

在宅医療は私達医療者がアウェイだ。
今のご家族の介護力や諸々を他職種を含めて考え、患者さんが望む最期を迎えられる様にする。

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病院から出たからもう何も手立てが無い、そうでは無い。
ちゃんと受け皿はある。
病院の医療者の様に脚光は浴びないけど(浴びてるか知らんけど笑)、最期を自宅でと考える方々にとって望みを出来るだけ叶えられる一筋の光になれたらいいなと思う。
※訪問診療は外来通院が困難とされた方が受けられる医療です

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この患者さんは、間違いなく主治医がいる時にお迎えが来るだろうなと思っていた。だって、LOVE主治医だもの。
そうして、この日の診察が最後のリビングでの診察となってしまった。
私は何か予感していたのかなぁ・・・ただ一緒に写真を撮りたかっただけだったの。
この診察から2週間後くらいなのかな・・・患者さんは永眠された。
それも、主治医が往診でお宅に伺っている最中にだ。
訪問診療だと「呼吸をしていない様です」等の連絡で向かう事が多い。
けれど違った、この方の場合。
主治医を待っていたんだと思う。
一緒に最期の時を過ごしたかったんだと思う。
ご自身の人生の幕が降りるその時に、そばにいて欲しかったのかもしれない。
亡くなられた日、私は休みだった。翌日出勤した時に他のスタッフが教えてくれた。「ササキさんが知ったらショックで熱を出すんじゃないかって話してたの」そう言って。そう、そのくらい大好きな人だったんだ。

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後日、主治医と一緒にご自宅に伺わせていただき、手を手向けさせていただいた。その時に娘さんが動画を見せて下さった。
告別式ではなく、ご自宅で「お別れ会」をしたそうだ。その時に娘さんお二人で患者さんが好きだった「テネシー・ワルツ」を歌ったという動画だった。涙が出てしまった。
在宅医療の良い所は亡くなられた患者さんに手を手向ける事が出来ることもあるなと思う。病院では無理だからね。
そしてまた後日、診療車を運転していたら娘さんの車とすれ違った。
お互いにブンブンと手を振った、笑顔でね。
そしてこれまた後日(後日ばっかり笑)、娘さんが診療所に写メを取りに来て下さった。私は手紙も入れたのだけれど、書きたい事が山ほどあって支離滅裂なお手紙になってしまった。
そして娘さんはその写メを持って、納骨で患者さんが長年住んでいた場所へ行き、親戚の方々に写メを見せたそうだ。私の手紙も・・・恥ずかしい・・・。
その時に一番評判が良かったのが先ほども載せたこちらだったそう。

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娘さんはこんな風に仰ってくださった。
うちの診療所の車を見ると幸せな気持ちになると。
母が亡くなって悲しいけれど、こんな風に過ごせた事を思うと嬉しい様な幸せな気持ちになると。
患者さんは訪問診療になって1年半だった。
ご家族がそんな風に思って下さるなんて本当に有難い限りでしかない。
お礼を伝えたいのは私達の方なのだ。いや、私なのだ。
先に挙げた2点を教えて下さった事、自分が今後どういう看護師でいたいのかを考えさせて下さった事。
本当に1年半、大好きで大好きで主治医から「大好きオーラが出過ぎてる」と言われるほどだったのですね、私。

今、職場の私のデスクには顔の大きさが違いすぎる写真を飾っている。

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疲れた、今日はもう帰りたい(出勤直後から)、嫌だ、辞めたい

そんな時に手を握っては「あったかいねー」と言ってくれていた事を思い出す。優しい笑顔を思い出す。
亡くなられてからも私を支えてくれている人。
大好きな人。
本当にありがとうございました。

とんでもなく長文(3200文字以上)になってしまったのに、支離滅裂で自分の文才の皆無さを思い知らされます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
このブログを書く事、写真掲載はご家族から了承を得ています。

それではまた

サポートいただけた分は写真の機材や看護師としての勉強に使わせていただきます。