見出し画像

看護師になると決めていた


とうとう医師から「看護師を続けるのは無理」と言われた。
4月からメニエール病の発作の頻度が多くなり、ここまで酷いのは発症してから初なんじゃ無いかと思うほど。13〜14年?寛解が来ること無く付き合ってきたこの病気だけれど、確実に今まで味わったことのないキツさだった。
まだ気持ちの整理はしっかりとできない。
なのでnoteを書いていこうと思う。
・看護師になりたかったこと
・看護師に拘ったこと
・看護師から退くと決めたこと
・今まで出逢った患者さんとの思い出
そういう事を順を追うように書いていきたい(毎日は書けないけれどね)。


私は看護師になると決めていた。
4歳の時に「看護婦さんになる!」って思い、中学生の頃くらいには看護師の自分しか想像できなかった。
きっかけはTVアニメだったのだけど(4歳ですから)、そこから違う思いも芽生えていった。
ただ、「人の役に立ちたい」とか「人を救える仕事だから」というのは一度も思ったことは無かったな・・・そういえば。自分がなりたいからなるんだという感覚。多分ね、父の仕事柄転校、転校、はいまた転校。という子供時代だったから「自分は忘れられる人」というのがあった。受験の時に面接で

「どんな看護婦になりたいですか?」

と質問された際

「ふと『そういえばこういう看護婦さんがいたな』と思い出してもらえる様な看護婦になりたいです。」

って答えたのは凄く覚えている。


ただ、自分に「何か」の光が欲しかったんだと思う。それが「ふと思い出してもらえること」なのか「忘れられない人になりたい」なのかはわからないけれど。
ただただ看護師になりたくて歩いてきたという感じ。
自分の中で「看護師になる」は揺るぎないもので、それで転校にも耐えられて、学校が嫌いだったけれど「看護師になるため」に行けていた。本当に学校が嫌だったんだよね。転校生で注目されるし、ついでにいじめられるし。
不登校(私の時代は登校拒否と言われていた)になりたかったんだ、本当は。けれど看護師になるにはそれをしたらなれないと思っていたから。
あーそうか・・・


「看護師になる」は私自身の道を照らしてくれていたんだ、きっと。
影があって光があるように、影の部分から道標を照らす光になってくれていたんだな、きっと。

心の整理も込めてまた書きます。

※私が看護師になって3年目くらいまでは「看護婦」が女性の看護師の通称でした

サポートいただけた分は写真の機材や看護師としての勉強に使わせていただきます。