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まさか

人生には3つの坂があると言われる。結構よく耳に、目にすると思う。

・上り坂
・下り坂
・まさか

の3つの坂が人生にはあると。
看護師をしていると自分の人生以外の「まさか」に多く遭遇する。
「まさか」しか無いんじゃ無いかとさえ思う。

「まさか」家族がこの病気になると思わなかった
「まさか」自分がこの病気に罹患するとは思わなかった
「まさか」こんな風に人の手を借りて生きるなんて思わなかった

まさか、まさか・・・が沢山ある。

ある日突然やってくる「まさか」もある。
それは哀しい「まさか」だ。

患者さんのお宅に到着した時、主介護者である方は取り乱し、泣かれていた。
私たちも突然の事で意味がわからなかったくらいなのだから、ご家族がそうなるのも何らおかしくは無い。
何度も言う。
「もっと優しくすれば良かった」
私たちから見たら十分すぎる程に長年介護をされていた。とてもとても頑張られていた。だけれどもそんな言葉は慰めにもならない。

「昨日の夜中に喧嘩をしちゃって・・・そのままだった・・・どうして喧嘩なんてしちゃったんだろう」

長年に及んだ介護生活だ。
そしてその日の前の4日間くらいは患者さんの訴えが多く、ご家族は殆ど眠れていなかった。
疲れもあるだろう
寝不足で疲れてイライラだってするだろう
家族だもの、ぶつかる時もあるだろう

けれど、喧嘩をしたままで最後の時が突然にやって来たのだ。
後悔しても、どんなに後悔しても拭えるわけがない。
私たちがどんな言葉をかけたって、それが軽くなる事はない。

喧嘩をする事が悪いというのでは無く、「まさか」はいつ来るのかわからないということ。
ICUで長年勤務していた時にも同じ様に「喧嘩をして口も効かずに朝、出勤して行った」という方を多く看てきた。

家族だから喧嘩をしたって当たり前だ。だけど、最後の会話が喧嘩というのは遺された人にとっては多分ずっとずっと心に重石の様な物が残るのだと思う。

これを読んで下さる方に「まさか」が起こるとかそういう意味ではない。
私にもあなたにも起こり得る事が「まさか」なのだと思う。

だけどね、少しだけ思うのだ。
もしかしたら最後の会話が喧嘩だった事は幸せだったのかもしれないなと。
そりゃもちろんそうじゃ無い方が良いのだろうけど。
それは遺された人の想いであって、ずっと介護を受けていた側からしたら

「最後に我慢せずに喧嘩が出来て良かった」

と思っているかもしれない。
それを確認する術は無いからわからないけれど。

日常に突然やって来るのが「まさか」という坂。
嬉しい「まさか」と哀しい「まさか」
人生にはこの坂が一番多いのではないかなと思う。
今、あなたはどの坂にいますか?

それではまた

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