#10 音楽史⑤ 16世紀(ルネサンス後編)
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16世紀 = 1501~1600 。日本では戦国時代真っ只中。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が登場してくるころですね。
世界史的にここまでを振り返ると、
オスマントルコの勢力が拡大するなか、
アルプスの向こう側の僻地であるフランス~ドイツ地域では教会の権威失墜とペスト流行、百年戦争などにより混乱が続いた一方、
アルプス手前側のイタリア地域では都市国家が発達してルネサンス発生、文化が発達。
そんな中、イスラムから独立したスペインとポルトガルが世界各地を山分け侵略しに海へ出た
という、大航海時代です。
楽器の発展
この時期、イタリア=ルネサンスの隆盛とともに楽器が発展していきます。
・撥弦楽器
→リュートが家庭用の楽器として愛用される。
また、スペインのビウレラから発展したギターも
リュートに代わって人気に。
・擦弦楽器
→ビオール属と呼ばれる数種類の楽器が発展。
さらに1550年頃、バイオリンも登場。
・管楽器
→リコーダーが現在の形になり、盛んに用いられる。ファゴットやオーボエの祖先も登場。
(※ただし、まだ「合奏」という段階には至らず。)
・鍵盤楽器
→オルガンが現在の形になる。チェンバロも登場。
ヴェネチア楽派
前回(15世紀)、それまでのグレゴリオ聖歌から解放されて、「作品」の概念が出現したところまででした。
複数の旋律の重なり合いであるポリフォニーの全盛期となり、それを牽引したフランドル楽派はその後イタリアを中心としてヨーロッパ全体へ影響。
音楽の中心はイタリア地域。特にヴェネチアで盛んとなり、後にヴェネチア楽派と呼ばれます。
【ヴェネチア楽派】
商業都市だったため祝祭的なムード。
ここでようやく器楽と合体し、
ポリフォニーが衰退していきます。
つまり、旋律どおしを重ねる(横軸)のではなく、
縦の線 (和声、ハーモニー)での考え方が出現しました。
世俗歌曲
また、世俗歌曲の作品も出現。イタリアではフロットラが流行。
やがてマドリガーレの流行へと続き、これがオペラ誕生への重要な布石になります。
そして、活版印刷術によって楽譜も発展していき、一時期は6~8本線のものまで出現しましたが、統一運動が起き、イタリアでついに五線譜が統一されつつありました。
ルターの宗教改革とドイツ音楽
16世紀初頭。ローマ教皇は失われた権威を取り戻すため、「サンピエトロ大聖堂」を有名芸術家の手で豪華改築しようキャンペーンを考えます。その資金集めのために免罪符の販売を始めました。
「この紙を買えば買うほど罪が減り、天国に近づくよ」
この悪徳商法は、皇帝権力が弱く諸侯の寄せ集まりだったドイツ地域(=神聖ローマ帝国)で、中世以来長続きする社会不安と相まって数多く売れました。ドイツ国民の爆買いにより、資金がローマ教皇庁へと搾取されていったのです。
このような制度に疑問を持ったルターは、「95か条の意見書」で指摘。しかしカトリックを破門にされてしまいます。
そこで、聖書の言葉をラテン語によって聖職者のみで独占していたカトリックに対し、ルターはドイツ語に翻訳して諸侯に広めていきます。こうして、ローマカトリック、東方正教会に次ぐ、キリスト教第3の勢力、プロテスタントが分派しました。
ルターはカトリックのラテン語の聖歌に対抗し、音楽でも「コラール」という、みんなで歌えるドイツ語の讃美歌を生み出します。これが、プロテスタント文化に支えられる、ドイツの宗教音楽的文化の基礎になります。
また、ルターは、一生懸命働くことで神の意思にかなう、と説きました。ここから、ドイツ人の勤勉で厳格な風潮に繋がっていきます。
このように、ルネサンスによる文化の発展で祝祭的なイタリアや貴族的なフランスとは一線を画すことになる、重厚なドイツ音楽の空気感。カトリックに対する対抗意識。覚えておいてください。
ドイツの諸侯の多くはプロテスタント派になったのに対し、ドイツ地域を「神聖ローマ帝国」と言い張ってこの地域をおさめていた神聖ローマ皇帝は当然カトリックなので、ここから泥沼の戦争状態が続いていきます。さらにペスト流行もおさまらず。社会不安は終わりを見せません。
僻地ドイツ地域はいつになったら発展するのでしょうか。
他の国の情勢
フランスやスイス地域でもルターに影響を受け、カルヴァンが「救済は神によって事前に定められているため、自分の役割を誠実に努めるべき」という「予定説」を提唱し、ルター派よりもさらに過激な思想でしたが、市民に多く広まっていきます。
こうしたカルヴァン派はフランスでユグノーと呼ばれ、1562~1598の長きに渡って、カトリックとの熾烈なユグノー戦争が巻き起こります。結局、フランス王朝のアンリ4世がカトリックを保護しつつ、プロテスタントも認めることになります。この後、フランスでは王権の力が強まっていきます。
イギリスではカルヴァン派はピューリタンと呼ばれ、カトリックと決別してイギリス国教会が成立します。
そんな劣勢のカトリック側も、プロテスタントに対抗するため対抗宗教改革が始まり、スペイン中心のイエズス会が設立。大航海時代により海洋進出していたスペイン・ポルトガルは世界各地、特にアジアへと、布教と侵略を進めていきます。
こうして、日本も、イエズス会のフランシスコ=ザビエルらに「発見」され、布教によりカトリックに改宗する大名が出てきます。
時は戦国時代、織田信長のころです。鉄砲伝来ですね。
そして、ローマ教会的には、聖歌のポリフォニーを明確にすることが目指されるようになります。この流れでつくられた音楽はローマ楽派とされ、ポリフォニーからの脱却が進んだヴェネチアの「革新派」と比べて、ローマ楽派は、フランドル楽派を継承する「保守派」とされました。
ところで、海洋進出により世界最大の植民地帝国となったスペインですが、
プロテスタント派地域のオランダの独立や、イギリスとの関係悪化などで
衰退していきます。
旧教(カトリック)国のスペイン・ポルトガル
や
ルター派 vs 旧教派で、泥沼混乱のドイツ地域
に対して、
オランダ、イギリス、フランスが成長していく。
という構図で、17世紀に入ります。
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