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バッタを倒しにアフリカへ

20240624

自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。
子供の頃からの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。

虫を愛し、虫に愛される昆虫学者になりたかった。それ以来、緑色の服を着てバッタの群れに飛び込み、全身でバッタと愛を語り合うのが夢になった。

時は流れ、数多くの昆虫の中でたまたま巡り合ったバッタの研究をはじめ、博士号を取得した。着実に昆虫学者への道を歩んでいたが、子供の頃には想定だにしなかった難問に直面した。大人は、飯を食うために社会で金を稼がなければならない。バッタを観察して誰がお金を恵んでくれようか。あのファーブルですら、教師をして金を稼いでいたのだ。なんということでしょう。

科学として認められるのは、「他の研究者が同じように実験をしても同じ結果が再現できる」ものだけだ。つまり、いつか誰かが私の観察を確認しようとしたときのことを考え、誰にでもできる手法で統一しておく必要がある。

たぶん、人生には勝負を賭けなければならないときがあり、今がそのときに違いない。自分ならどうにかなるだろうという不確かな自信を胸に、アフリカンドリームに夢を賭けることに決めた。

私は「バッタを捕まえてきたらご褒美をあげる」とは言ったが、「生きたバッタに限る」とは言っていなかった。普通は生かして持ってくるだろうと、自分の常識を相手に押し付けていた。とくに異文化では、物事を正確に伝える必要がある。私の「普通」など、世界では所詮「例外」なのだ。

バッタを失い、自分がいかにバッタに依存して生きてきたのかを痛感していた。自分からバッタをとったら何が残るのだろう。私の研究者としての魅力は、もしかしたら何もないのではないか。バッタがいなければ何もできない。まるで翼の折れたエンジェルくらい役立たずではないか。
研究が進められなければ、就職戦線からはあっさりと離脱する。 戦場で死ねないサムライが無念と思うように、バッタの研究ができずに社会的に死んでいくのは我ながら不憫だ。

自分たちがどんなに大変な目に遭っていても、自分よりも困っている人がいたら、自分の身を削ってでも助けようとする。このモーリタニアの献身的な精神は、いついかなるときでもぶれない。厳しき砂漠を生き抜くために、争い奪い合うのではなく、分け与え支え合う道を選んできた。この国民性が、サハラ砂漠という厳しい環境でも生きることを可能にしてきたのだろう。

それにしても、目標とは生きていく上でなんと重要なのだろう。あるとなしとでは毎日の充実感が大違いだ。

やれやれ、自分で自分のご機嫌をとるのも一苦労だ。

生物の世界では、異性に好まれるために、生存に不適な極端な形質が進化することがある。
クジャクのオスの派手な羽なんかがその典型例だ。大きすぎて動きにくいったらありゃしない。
モーリタニアでは太る方向に選択が進んできたが、逆に日本では細い方向に進み、過剰なダイエットで健康を害する女性が増えるなどの問題が起こっている。

昼に飲むビールの幸せたるや、自分はこのために生きてきたといっても過言ではない。

虫好きはどこに行っても虫さえいればハッピーになれる幸せ体質なのだ。

日本にいる同期の研究者たちは着実に論文を発表し、続々と就職を決めています。 研究者ではない友人たちは結婚し、子供が生まれて人生をエンジョイしています。もちろんそういう人生も送ってはみたいですが、私はどうしてもバッタの研究を続けたい。

「つらいときは自分よりも恵まれている人を見るな。みじめな思いをするだけだ。つらいときこそ自分よりも恵まれていない人を見て、自分がいかに恵まれているかに感謝するんだ。嫉妬は人を狂わす。お前は無収入になっても何も心配する必要はない。研究所は引き続きサポートするし、私は必ずお前が成功すると確信している。ただちょっと時間がかかっているだけだ」

励ましソングとして知られる、
坂本九が唄う「上を向いて歩こう」

思い出す 春の日
涙がこぼれないように
上を向いて歩こう
一人ぽっちの夜

上を向けば涙はこぼれないかもしれない。しかし、上を向くその目には、自分よりも恵まれている人たちや幸せそうな人たちが映る。その瞬間、己の不幸を呪い、より一層みじめな思いをすることになる。私も不幸な状況にいるが、自分より恵まれていない人は世界には大勢いる。その人たちよりも自分が先に嘆くなんて、軟弱もいいところだ。これからつらいときは、涙がこぼれてもいいから、下を向き自分の幸せを噛みしめることにしよう。

私は、自分自身がどれだけバッタ研究をやりたいのか測りかねていた。ババ所長に「バッタ研究に我が人生を捧げます」と告げたときの気持ちは、うわべだけのものだったのか、それとも本心だったのか。たまたまはじめたバッタ研究を惰性でズルズルとやっていこうとしているだけか、それとも心の底からやりたいのか。

苦しいときは弱音が滲み、嘆きが漏れ、取り繕っている化けの皮がはがされて本音が丸裸になる。 今回の苦境こそ、一糸まとわぬ本音を見極める絶好の機会になるはずだ。

惜しむことなど何がある。出せるものはなんでもさらけ出し、思いつくことはなんでもやってやれ。それだけが悔いを残さず、昆虫学者になる夢を諦める唯一の方法だ。一片たりとも未練を残さない。たとえダメでも堂々と胸を張って路頭に迷い、せめて鮮やかにこの身を終えよう。

誰も気づいてくれていなかった私のこだわりポイントを、汲み取ってくださっていることが判明してきた。
「やだこの人、わかってくれてる」
ここまで人の本を読み込んで内容を覚えているなんてすごいぞ。

そもそも誰かを惹きつけるにはどんな手段があるか。自然界を眺めてみると、昆虫は甘い蜜や樹液に惹きつけられる。人も同じで、甘い話や物に寄ってくる。 みんな甘い物好きだ。
そこで、ピンときた。「人の不幸は蜜の味」で、私の不幸の甘さに人々は惹かれていたのではないか。実感として、笑い話より、自虐的な話のほうが笑ってもらえる。本人としては、不幸は避けたいところだが、喜んでもらえるなら不幸に陥るのも悪くない。
この発想に至ってからというもの、不幸が訪れるたびに話のネタができて「オイシイ」と思うようになってきた。考え方一つで、不幸の味わい方がこんなにも変わるものなのか。

「過酷な環境で生活し、研究するのは本当に困難なことだと思います。 私は一人の人間として、あなたに感謝します」
危うく泣きそうになった。まだ何も成果を上げていないから、人様に感謝される段階ではないが、自分なりにつらい思いをしてきており、それを京大の総長が見抜き、労をねぎらってくださるなんて。ずっとこらえていたものが決壊しそうになった。泣くのをこらえて、その後の質問に答えるのはきついものがあった。
なんとスケールの大きい感謝だろうか。世界を我が身の如く捉えていなければ、こんな感謝ができるはずはない。ましてや京大の総長が一介のポスドクに、面接の場で。ご自身が大きな視野を持ち、数多くの困難を経験していなければ、このような大きな感性は身につかないはずだ。京大の総長ともなると次元が違う。

思えばこの一年で、私はずいぶん変わった。 無収入を通じ、貧しさの痛みを知った。つらいときに手を差し伸べてくれる人の優しさを知った。そして、本気でバッタ研究に人生を捧げようとする自分の本音を知った。バッタを研究したいという想いは、苦境の中でもぶれることはなかった。
もう迷うことはない。バッタの研究をしていこう。研究ができるということは、こんなにも幸せなことだったのか。研究するのが当たり前になっていたが、失いそうになって、初めて幸せなことだと気づいた。 無収入になる前よりも、もっともっと研究が好きになっていた。

私の指先は群れの先頭を差していた。我々は死闘に向けて走り出した。飛んでいくバッタを次々に追い抜いていく。幼少期にファーブルに出会い、昆虫学を専攻し、無収入になってまでアフリカに残り続けたのはこの闘いのためだ。そう、私の人生の全ては、この決戦のためにあったのだ。この手でバッタの恐怖に終止符を打ち、歴史を変える。私の手はペンを強く握りしめ、新しいノートを手にしていた。

昆虫学者になりたいとか、子供だから気軽に言ってしまったが、なんとかなるもんだなあと、あらためてびっくりしておく。 アフリカに旅立つ前の自分に、こんな日が訪れるとは予想できただろうか。夢に導かれ、ここまでやってこられた。なんだか照れくさいが誇らしさがこみ上げてきた。来たからにはやるしかない。皆の期待に応えるべく、さぁショータイムのはじまりだ!

私が人生の諸先輩たちに施してもらったことを、命果てる前に次世代に繋ぐことができて本当に良かった。人前で話をできることが楽しかった。皆が楽しそうにしているのを見るのは快感だった。

憧れた人を超えていくのは、憧れを抱いた者の使命だ。アフリカでの闘いを終え、いまだにファーブルを超えることはできていないが、サバクトビバッタのことならファーブルにすら負けない自信がある。自慢できることがたった一つだとしても、憧れた人を一部分でも超えられるものができたことを、私は誇りに思う。こんなことを思うのは、驕りや傲慢かもしれない。謙虚さを失った人間は成長が止まるとも聞く。だが、この誇りは私をより高みへと押し上げ、ファーブルに近づく原動力になるはずだ。

夢を追うのは代償が伴うので心臓に悪いけど、叶ったときの喜びは病みつきになってしまう。叶う、叶わないは置いといて、夢を持つと、喜びや楽しみが増えて、気分よく努力ができる。

夢を語るのは恥ずかしいけど、夢を周りに打ち明けると、思わぬ形で助けてもらえたりして流れがいい方向に向かっていく気がする。夢を叶える最大の秘訣は、夢を語ることだったのかなと、今気づく。
色々あったけど、アフリカでのバッタ研究の旅は楽しすぎた。いつまでも消えない余韻に浸りながら、この先も虫たちにまみれて生きていけますように。 憧れのファーブルに少しでも近づく夢のためにも。

モーリタニアでは、年に一カ月間、ラマダンなる断食を行っている。日が昇っている間は、飲食禁止で唾すら飲んではならず、砂漠の国で水分補給を断つ苦行を己に課している。日が沈んでいる間は飲み食い自由なので餓死することはないが、大変なイベントだ。
一度、ラマダン中とは知らずに野外調査に出向いたことがあるが、炎天下でもモーリタニア人は一口も水を飲まなかったので、熱中症にならないか心配していた。ただでさえ厳しい自然環境なのに、何ゆえ過酷な状況にその身を追い込むのか。答えを求めて自分も彼らに倣ってたった3日間ではあるが、ラマダンをしてみた。すると、断食中は確かにつらいが、そこから解放されたとき、水を自由に飲めることがこんなにも幸せなことだったのかと思い知らされた。明らかに幸せのハードルが下がっており、ほんの些細なことにでも幸せを感じる体質になっていた。おかげで日常生活には幸せがたくさん詰まっていることに気づき、日々の暮らしが楽に感じられた。ラマダンとは、物や人に頼らずとも幸せを感じるために編み出された、知恵の結晶なのではなかろうか。
モーリタニア滞在中の3年間、友達とは遊べない、彼女がいない、日本食は手に入らない、自由に酒を飲むことができないなど、ないないづくしのオンパレードだった。
人間として生命を維持する分には困らないが、生きる上で大切な「モノ」を欠いた生活を送っていた。まさに我が人生のラマダンだったと言える。








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