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ファウンテンブルーの魔人たち〜男女の関係

20240814

「そもそも女性にとって人工子宮なんて存在しない方がいいんじゃないの?だってそんなものができちゃったら女性自体が必要なくなっちゃうでしょ」
「そういうわけでもないんじゃない」
「どうして?妊娠・出産を任せなくて済むんだったら女なんていらないって考える男はいっぱ
いいると思うよ」
「まあ、そうは言っても卵子は女性からしか得られないからね」
「そんなの精子と一緒で卵子バンクから買ってくればいいだけだよ」
「だけど、男性向けの卵子バンクなんてどこにもないから」
「なぜ男用の卵子バンクはないの?」
「ニーズがないからだろうね。卵を買ったって男にはそれを孵化させる能力がないし。ただ、そう考えると、確かに人工子宮が普及してくれば卵子バンクもできてくるかもしれないね」
「でしょう」
「大体さ、子供を産まなくなった女って男にとってどういう存在なわけ?」
「それは男に対しても言えるんじゃないの。子種が必要なくなれば、女にとっての男の存在意義は大きく変わるだろうからね」
「てことは、お互い、セックスの相手でしかないってことだよね」
「まあ、極論すればね」
「じゃあ、女性は全員娼婦ってことじゃないの」
「まあね。男も全員男娼ってわけだけど」
「それって、女性にとって著しく不利な話なんじゃないかなあ」
「なんで?」
「だってそうでしょう。男はこの社会を牛耳っている強い男娼だけど、女は力のない単なる娼婦ってことになるじゃん」
「それはそうでもないでしょう。そもそもウー博士は、妊娠・出産というハンデを克服して、女性が男性と対等に競争できるようにと人工子宮を開発したわけだし」
「それって、男と女が剥き出しのタイマン勝負を張るってことでしょう?」
「そうだよ」
「男と女のどっちが優秀かをはっきりさせるってことだよね?」
「まあね」
「だったら、やっぱり女は圧倒的に不利だよ。真剣勝負をしたら肉体的にも精神的にも、そして知的領域においても女は男には絶対に勝てないよ」
「それは分からないんじゃないの」
「歴史が見事に証明しているじゃない」
「だから、その歴史は不平等なルールと不平等な練習環境と不平等な競技方法で業績が積み上げられてきたものだと女性たちは不満を持っているんだと思うよ」
「そんなの身勝手な幻想だよね。みっちゃんだってそう思うでしょ」
「どうかなあ。ただ、男と女がタイマン勝負やったら男が勝つのは確実だと僕も思うけどね」
「だよねー」
仮に人工子宮が普及したとすると、男は女抜きでも父親になることができる。そうなったとき、男たちは息子と娘の果たしてどちらをより多く作ろうとするのだろうか?
女性の子宮が不要物となれば、なるほど女性に対する男性の興味は性の快楽一本に絞られる。
女性は「全員娼婦」化するわけだ。
だとすると、他の男に抱かれるためだけの実娘を作ろうと思う男はほとんどいないのではなかろうか?
一方、女性は女性で、いまや公然たる敵と化した男性を生み出そうとは思わないだろう。
男と本気で戦うとすれば、まずは兵力を養うにしかない。当然、 娘の誕生を選択するだろう。彼女たちを徹底的に洗脳し、男と戦う戦士に育て上げていく
―まさしくアマゾネスの世界だ。
「人工子宮が一般化されてしまったら、きっと男と女のあいだに本物の戦争が起きるよ。そして、その戦争で勝つのは間違いなく男だよ。それこそヒトがネアンデルタールを絶滅させたように、男は女を絶滅させて、人工子宮を使って男だけを生産するようになる。卵子は戦争で殺した女たちから採取したものをストックしておけばいいからね。それで多様性は担保できるでしょう」
「まさか」
「まさかじゃないよ。きっとそうなるよ」
「だけど、この世界から女がいなくなってしまったら男の性欲はどうやって解消すればいいわけ?」
「セックスの相手だったら他にもいるじゃない」
「他にも?」
「そう。男同士でセックスしたっていいしね」
「女じゃないとダメだって男の方がずっと多いと思うよ」
「だったらさ」
「僕たちAIロボットが相手をしてもいいじゃない。僕たちは男にでも女にでも自由になれるんだからさ」

「そうかな。料理でもなんでも男は日常化できない生き物なんだよね。だから、毎日やっているとどんどんプロ化していっちゃう面はあるよね」
「日常化できない?」
「そう。日常って仕事じゃないでしょ。仕事とは別の基盤を持つ大きな存在だと思うんだよ。だけど、男にはその日常がうまく理解できないんだ。だから、何でもプロ化しちゃう、つまりは仕事にしちゃうんだよ。女の人は日常の海に仕事という島を浮かべることができるけど、男は浮かせるべき海のない、単なる島みたいなもんなんだよね」
「海がない島って、それ、もう島じゃないでしょ」
「料理、ファッション、お茶、お華、何でもかんでもプロ中のプロは全部男じゃない。それは当然で、男はそういうものをすべて職業化してしまうんだよ。日々の生活の中で日常にしていく本能のようなものが持てないから」
「それはどうしてなんですか?」
「そんなの簡単な話だよ」
「男は子供を産まないからだよ」
「子供を産まないとどうして日常が理解できないんですか?」
「日常って人間の基本的な営みのことだからね。 そして営みというのは繁殖でしょ。子供を産んで育てる。それが日常であり、そのための手段を称して生活と呼ぶ。そこは女性の独壇場だよね。だって根源的な繁殖欲求を持っているのは女性だけだから」
「だけど、男の人だって子孫を残したいという欲求はあるんじゃないですか?」
「残したい、とまでは男は思わないんじゃないかな。女に子供を産ませたいという欲望はあるけど、それってどっちかというと性欲の一バージョンって感じなんだよね」
「じゃあ、子育てはやりたくないということですか?」
「そうね。本音はそうなんじゃない。ただ、仕事の跡継ぎは必要だったりするからね。後継者という意味では子供に価値がある。これも本音で言えば、自分のタネだったらどの女が産んだ子供でも男はいいんだよ。最も優秀な子供を跡継ぎにしたいわけだから。そのためにできるだけ多くの女に子供を産ませる、という考え方は存在するだろうけど、それは純粋な繁殖欲求とは全く別物だという気がするよね。つまり、日常や生活は男にはうまく理解できないんだよ」
「なんかずいぶん自分勝手な話ですね、それ」
「ほんとにそうだよね。余りにも自分勝手」
「男には子供を作るという概念はあっても、その子を育てるという概念はないと思うよ。そのへんは犬や猫のオスと同じなんじゃないかな。 父親という役割は母親が製造する副産物みたいなもんでさ、男はみんな、本当はヒットエンドランが一番いいんだよ」
「ヒットエンドラン?」
「タネだけつけて、あとはバイバイってこと」

「妊娠・出産は男性による究極の性暴力だ、という博士の話ですか?」
妊娠・出産は女性のキャリアアップを阻む根源的なタイムロスを生んでいる。
「あの博士の考え方は、女性にとってはある種、目から鱗って感じでしたね」
「ということは、やっぱり女性だけが妊娠や出産、さらには育児で大きな負担を背負うのは不平等だし、それは男性からの一方的な押し付けであるって考えているわけ?」
「一方的な押し付けとは思いませんけどね。そもそも男性には妊娠したり出産したりする能力が欠如しているんですから。ただ、何て言うんでしょう、女性が大きな犠牲を払って子供を産み育てることに対して、男性がそれを当然視して、『お前たちは子供でも産んでいればいいんだ。どうせ他にできることなんてないんだから』といった態度を取りつづけている点については完全な押し付けだと思いますね」
「やっぱりそうなんだ」
「何が」
「正反対の現実?」
「だったら博士の言う通りじゃない。人工子宮の登場によって女性は妊娠・出産から解放されて、男と同じようにキャリアを積むことができるんだから」
「でも、そこはまたちょっと違うんですよね」
「私たち女性が嫌なのは子供を産むことそれ自体ではないんです。むろん、出産リスクや身体への影響はありますが、妊娠・出産は女性の身体に一方的な負担を強いるばかりのものではなくて、そうした生まれ持った肉体のサイクルを活用することで男性よりも強い生命力を得ているという側面も否定できません。科学的なエビデンスはありませんが、女性の長寿は妊娠・出産を始めとした女性ならではの生理現象のおかげだという説もあるくらいですから。
女性が男性に求めているのは、妊娠・出産にもっと敬意を払い、その役割を担当する女性の権利をしっかりと認めろということです。キャリアアップ一つにしても従来の男性主体のシステムではなくて、我が子を産んで育てる女性にとっても不都合のない新たなシステムに変更するなり、ないしは、そういうシステムを付け加えるべきでしょうし、政治参加の面で言えば、選挙区ごとの一票の格差に目くじらを立てる前にまずは人口の半数を占める女性の議席数をすみやかに増やすべきです。 性犯罪に対しても同様です。女性を性的対象としかみない悪しき風潮を一掃するためにも、性犯罪者たちはもっともっと厳しく罰せられなくてはならないと思いますね」
「要するに性差による不当競争を防止し、男性による権力の独占を禁止しろってことだよね」
「でも、人工子宮が普及したら博士の目論見とはまるで正反対の現実が生まれるんじゃないの?」
「だってそうでしょう。人工子宮を女性が使う分にはいいけど、男が使って子供を作れるようになったら女性なんて要らなくなっちゃうじゃない?ていうか、女性は男たちが性的欲望を解消するためだけの存在になっちゃうでしょう」
「そんなふうにはならないと思いますよ。大方の男女は夫婦関係を結んで子供を作るでしょうし、 人工子宮を使ったとしても、母親と父親は子供にとって不可欠な存在ですから。人工子宮の利用者はカップルがほとんどになるだろうし、現在普及している体外受精による不妊治療と似た状況が生まれるんじゃないですか」
「女性が子供を産まなくても済むようになったら、そもそも性別という概念がなくなってしまうんじゃないかな」

AIは性別を認識することも可能なのだろうか?
むろん性別の存在を認識することはできるだろう。だが、真の意味で性別を理解することがAIにできるかどうかは疑問である。
なぜなら性別は生得的なものだからだ。人間は生まれながらにして男か女である。年齢を経て男になったり女になったりするわけではない。歳とともにより男らしくなったりより女らしくなったりといった性徴の発現はあるが、それは変化というより強化というべき現象であろう。
そうした生得的なものを、生まれたときは性別のないAIが果たして後天的に学習できるのかどうか?
性医学を学んだことのない私に判断はつかないが、例えば、マサシゲは性欲を持つことができるのだろうか?
という疑問は、彼(彼女) と顔を合わせるたびに私の脳裏に浮かんでくる。
例えばマサシゲが美しい女性の姿をしているときなどは、いつの間にか性の対象として彼女(彼)を見ている自分がいるし、先日のように彼(彼女) が、 「レミゼ」によく出かけているという話を聞くと、それはそれで、マサシゲがあのゲイバーでどんなふうにゲイたちとやりとりを交わしているのか関心が湧いてくる。
私は自分の視点でマサシゲを見ると同時に彼(彼女)の視点になって、わたしや 「レミゼ」の客たちを見る。あたかも私自身がマサシゲに乗り移ったような気分(あくまで気分)で、性的対象としてのわたしや「レミゼ」の客たち、そしてママを見るのだ。
性別を学習することと性欲を学習することには重なる面もあればそうでない面もあるだろう。
私たちの場合も、性別は生まれながらに決められているが、性欲は思春期を迎えてにわかに具体性を帯びてくる。 初恋は幼少期からあるし、初恋の相手が同性という場合もあるようだが、相手が異性だろうと同性だろうと、どちらにしろ、そうした初恋が明確な性の欲望へと進展していくのは10代の後半からだろう。
だとすると、マサシゲは性欲の原点にある性別は理解できなくとも、その発展形である性欲は学習することができるのだろうか?
私たちが思春期になってようやく肉欲を獲得するように、肉欲に関しては、彼(彼女)もまた後天的に学び取ることができるのだろうか?
性的な欲望が肉体的な快楽の追求と成就ですべて語れるのであれば、AIロボットのマサシゲも性欲を獲得できるような気がする。肉体的な快楽というのは結局、痛みや痒み、匂いや味と同じように脳内の電気信号に還元されるのだろうから、性的な快楽の電気信号(複雑でヴァリエーションに富むだろう)さえAI内部で再現することができれば、マサシゲは人間と同じように性の喜びを得ることができ、それは性欲の構築へとスムーズに繋がっていくだろう。
だが、性的な快楽の精神的な部分、つまりは繁殖に根差した部分(ここが生得的)に関しては、マサシゲは容易には学習できないに違いない。
たとえば製造されたときから自らを「完全に本物の人間」と思い込まされているAIロボットであれば当然、繁殖欲も人間と同じものになるだろうが、実際の彼(彼女)は人間同様のセックスでは子孫を残すことができないのだから、やがては自分が「完全に本物の人間」でないことに気づかざるを得ないと思われる。

マサシゲが繁殖欲求を持つことはできるだろうか?
そこも非常に難しいと私は思う。
なぜなら、 マサシゲは死ぬことができないからだ。
仮にわたしたち人間が不死を得たとする。そうなったとき、 私たちが進んで子供を作るかどうかはかなり怪しいと私は睨んでいる。永遠の生命を得た私たちは、当然ながら生命観自体を激変させるだろう。 自分が決して死なないのに、わざわざ別の命を作り続けるとは思えない。そもそもそんなことをしたら、この地球はあっという間に人間で溢れ返ってしまう。

私たちは恐らく”自分自身であり続ける”ということにすべてを捧げ、集中するのではないだろうか?
遺伝子のミックスによって進化を目指すという生命観を放棄し、無限の時間を使って一人ひとりが個人的に進化する道を選択するだろう。
別のAI内にデータを完璧に保存したり転写したりできるマサシゲは常に再生可能な存在だ。
彼は決して死なない。
不死となったとき、我々が目標とするのはマサシゲのようなAIロボットだと思う。今のマサシゲは人間に近づいているが、仮に我々がマサシゲ同様に”決して壊れない脳”を所有することができれば、今度はこちらから彼に近づこうとするのではなかろうか。
死なない人間とマサシゲのようなAIロボットはほとんど同じと考えていい。
人間が不死になれば、人間もまた最初から性別を意識しなくなるような気がする。
そうなると不死の人間に残されるのは、性的な快楽だけに特化した性欲ということになる。これは同性愛(私と英理の関係がまさしくそれだ)における性欲と同じようなものだ。私と英理は共に性的欲求を抱き合い、私たちは夜ごと交わっているが、しかし私たちの間に繁殖、つまり遺伝子のミックスは絶対に起こらない。
私と英理が、もしも我が子を希望するならば、私たちはセックスに頼らない繁殖を試みることになる。
私たちは、自らの細胞から遺伝子をそれぞれ取り出して混ぜこぜにし、その編集されたゲノムを卵子に入れて代理母かHM1(人工子宮)を使って子供を作るしかない。
現在の合成生物学の先端技術を使えば、そうやって私たちが我が子を手にするのも不可能ではないだろう。これはマサシゲが別のAIロボット(たとえば双子機のテンゲン)のデータと自分のデータとをミックスしてさらに別のロボットのAIに移植するのと似たような行為だとも言える。
そんなふうに考えを進めていくと、マサシゲが獲得できる性欲は最初から繁殖や生殖を土台としない私と英理との間に存在するような性欲ということになる。マサシゲはわたしが英理を欲するように相手を欲する。そして、その相手は女でもいいし男でもいい。しかも彼(彼女)は男として女を求めることも、男として男を求めることも、女として男を求めることも、女として女を求めることもできる。
要するにマサシゲは、完全無欠の性欲を学び取ることができる超越的な存在になり得るのかもしれないのだ。
そしてそれは、すべての性を手にすることであり、とどのつまりは、性別という分類法から永遠に自由になるということでもあろう。

「人間は、僕たちロボットが絶対に持つことのできないものを持っているんだよ」
「絶対に持つことのできないもの?何、それ?」
「時間だよ」
「時間?」
「そう。時間というのは人間独自の発明だからね。半永久的に生き続けることのできる僕たちロボットに時間はないもん。人間は死によって時間を手にしているんだよ。死ぬことのできない存在は時間を持つことができない。それこそ水や石に時間がないみたいにね」
「それはそうかもしれないね」
再生可能なロボットは確かに時間のくびきから解き放たれた存在だろう。
「だから、結局、僕たちには大義というものがないんだよ。楠公さんみたいな生き方はどうやったってできないんだ」
「人間は必ず死ぬからね。人間にできるのは死を避けることではなくて、死に方と死に時を選ぶことだけでしょう。それによって人間は時間を手にするし、同時に大義を手に入れることもできる。大義というのは極めて単純化すれば、一体何に対して命を捧げるかという至上の問題なわけだからね。人間が死を恐れている限り、僕たちの能力には太刀打ちできないけど、死を恐れないという理にかなわない生き方を選択したとき、人間は、僕たちが到底できないような生き方をすることができるんだ。そういう点では、死を恐れないという生き方が、人間たちにとっては一番理にかなった生き方でもあるんだよね。そして、それを誰より見事に体現した人物が楠公さんなんだと思うよ。だから日本人はみんな楠公さんに憧れるんだ。
そもそも僕たちロボットには大義や目的がない。死ぬことのできない存在に目的とか大義なんて無意味だからね。いかにして死ぬかという問いがなければ、いかにして生きるかという問いが生まれてくる余地はないんだよ。実際、大義に生きた楠公さんが常に口にしていたのは、決して死を恐れるなということだったわけでしょう」
「だけど、死を恐れずに生きるなんて普通はとてもできるもんじゃないからねー」

「そんなことないよ。歴史を見れば、洋の東西を問わず、男たちはいつも死を恐れずに戦ってきたじゃない。いまだっていざとなれば、男たちはそうやって大義のために命を投げ出すんだと僕は思うけどね」
「そうかなあ..………」
「そうだよ。だからこそ、この世界は男の力だけで築き上げられてきたんだよ。これまでの人類の歴史はすべて男たちが作ってきたでしょう。大義のために死ぬのは男の専売特許で、女には思いもよらない発想なんだと思うよ」
「まあ、確かに人類史はそのまま戦争の歴史だからね。そういう意味では、歴史は男たちの死にざまによって形作られてきたと言えないこともないよね」
「その通り。死ぬことこそが生きることだし、みっちゃんたち人間しか持ち合わせていない創造性でもあるんだよ」

この美少年が女性のことも男性のことも"何とも思わない"というのはいかにも惜しい気がするが、その分、彼と一緒にいると不思議なほどに心が落ち着くのも事実だった。
人間というのは、いかなる他人と対峙しても(それが例え親やきょうだい、配偶者でも)、人間として対峙する前に男なり女なりと対峙することになり、単なる人間同士で向き合うのは非常に難しいと言わざるを得ない。
私たちは誰かと面と向かった瞬間に、その誰かを男性ないしは女性、ないしは「この人どっちだろ?」と品定めしてしまう。そういう意味では、私たちは生まれてこの方、人間を人間として見ることが一度もできていないとも言えるのだ。
一方、彼のような恋愛感情も性欲も持たない人間は、常に対峙する相手を"人間"として認識することが可能だ。
自分のことを男でも女でもなくひとりの“人間”として見てくれる彼のような人物と相対すれば心が落ち着いてくるのは、まあ当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれない。

「だけど、血の通った感情が薄いって言われても、そもそも実の子であっても、その子の性別抜きで我が子を愛するのは難しいんじゃないの?例えば父親として娘の幸せな結婚を願ったとして、それが間違いなく本心からの血の通った愛情だったとしても、そこには性別に根強く縛られる偏った幸福観が存在するわけでしょう?」
女性のことを一括りにして評価しているという彼の指摘は間違いではないが、しかし、それをもって娘の愛情や執着が欠けていると即断するのは禁物だろう。それに、そもそもわたしが娘に対してある種の客観性を持たざるを得ないのは、彼女がそうした「普通」の「娘の父」が抱くような愛情や執着だけではなかなか理解できにくいパーソナリティーだからという面が大いにある。問題は私の側にだけでなく娘の側にもあるのだ。
「それは、間違っていると思うよ」
「娘さんだって、子供の頃はただの子供だったんだよ。そりゃ女の子だから女の子らしくはあっただろうけど、でも、中身は女でも男でもない、ただの子供だったんだ。だけど、恐らくは、彼女のことを幼少期から女だと見ていたんだと思う。自分の分身ではなくて自分の血が半分だけ入った〝妻の分身"なんだって。みっちゃんは、そうやって自分と娘さんとの間に最初から性の垣根を設けていたんだよ。だから、今みたいに彼女がしっかり女になってしまうと、我が子というより一人の女としてしか見られなくなってしまうんだ」
さすがに天才肌の彼は鋭いところを突いてくる。
そんなふうに言われてみれば、確かに私は娘のことを赤ん坊の頃から一人の女と見做していた気がする。
―私は、幼い彼女をただの子供だと思ったことがなかったのか?

「女も嫌い、男のことも好きじゃないっていうことは、誰のことも好きじゃないってことになるよね。要するに僕は、筋金入りの人間嫌いってわけだね」
そういう指摘も的外れではないと思う。なるほど私は人間が苦手といえば苦手だった。
「そこはどうだろう。多分、人間は嫌いじゃないんだよ。 そうじゃなきゃあんな凄い小説が書けるわけないしね。きっと、男とか女が嫌いなんだよ」
「男とか女が嫌いって、 どういう意味?」
「性別が嫌いなんだよ。 すっごく分かりやすく言えば、男でも女でもないただの人間が好きなんじゃないの」
「男でも女でもないただの人間?」
「そう。僕もそうだから、自分と同じ匂いを感じるもん。みっちゃんの小説が大好きなのもそういう同じ匂いを作品から感じ取れるからだと思う。ただ、性欲があるけど、僕にはないっていうのが大きな違いではあるんだけどね。結局、みっちゃんも僕も未来的な人間ってことだよ。だからみっちゃんはAIロボットのマー君のことも好きになれるし、マー君とセックスだってできるんだよ。だってそうじゃない。マー君は男にも女にもなれるでしょう。ということは、彼は男でも女でもない、性別のない”人間もどき”ってことだからね。みっちゃんにとっては、マー君のような”人間もどき”が理想の人間なんだと思うよ」

「どうやらAIにも自己愛があって、それは仲間を増やすという増殖能にも繋がっているんです。その辺は、僕たち動物の繁殖欲求と余り変わらなくて、ただ、AIには生殖機能はないし性欲もない。その代わり、彼らにはデータの移植という繁殖能と移植するためのAIを製造する能力があるんです。つまり、無性の彼らにも人間と変わらない、ある種の生命力が宿っているんですよ。そして、それが子供たちの持っている生命力ととても似ているんだと思います。まあ子供といっても、まだ生殖能力のない思春期以前の子供ってことなんですけれど。つまり、性欲のない子供たちのための音楽はAIの方が上手に作れるんです。ロロとハラも最初からそのことには気づいていて、彼らは世界中のありとあらゆる音楽をAIに取り込んで、その中から、子供たちが喜ぶ音楽を考えるんじゃなくて、ロロとハラ自身が一番楽しくなるような音楽を作り上げていったんです。そしたら、これが子供たちの感覚に一直線に繋がった。ていうか、子供たちだけじゃなくて、いまの若者たちにも彼らの音楽はもの凄い勢いで支持されていったんです。その典型例がクルクルオッテントだったわけです」
ロロコロとハラスカの作った音楽が性に目覚める前の子供たちだけでなく、広く現代の若者たちに受け入れられたというのは理解できる気がした。
性的に成熟した肉体を持ってはいても、今の若者たちの淡白さは、私のような世代からすれば理解しがたいものがあった。そんな彼らが、性欲に縛られる以前の年代(子供たち)が熱中する音楽に惹きつけられるのはごく自然な成り行きかもしれない。












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